2008年07月31日

やっと手順がわかった

空朝今朝の空
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朝空

面目ない今度こそとおもいつつ
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松戸のマンホール

まったくもってみっともないことになってきた。失敗を公然と人目にさらさざるをえないとはとほほ。
posted by 黒川芳朱 at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月30日

松戸にコアラ出没

再び挑戦
posted by 黒川芳朱 at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月29日

メールで投稿続編

メールで投稿ところで、携帯小説がブームのようだが、山頭火や尾崎放哉は携帯があったら、一句詠むたびにブログにアップしただろうか。それより芭蕉はどうだろう。「奥の細道」はブログで人気を博しただろうか。モブログ俳人松尾芭蕉。ちょっと凄みがないな。
posted by 黒川芳朱 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メールで投稿

今度旅行した時に投稿できるようにメールで記事を投稿してみよう。
写真も付けてみようと思ったが付け方がわからない。
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2008年07月28日

イタロ・カルヴィーノが読みたくなった

 朝日新聞の生活欄に、『疑問解決モンジロー』というコーナーがある。読者の投稿した質問に、猿のモンジローが答えるという設定だ。回答はギャグではなく、まじめなもの。
 今朝は、小学校3年生の「貝殻は一体どうやって大きくなるのでしょう」という質問に答えていた。貝の内側には膜があり縁に沿って厚くなっている。そこから「貝殻質」を分泌し、縁を広げるように大きくなる。貝に木の年輪のような同心円状の線があるのはそのため、という回答だった。
 これを読んで、私はイタリアの作家イタロ・カルヴィーノの『レ・コスミコミケ』という短編集の中の一篇『渦を巻く』を思い出した。
 『レ・コスミコミケ』は、宇宙的冗談というタイトルが示すとおり、ビッグバン以来の宇宙の出来事すべてに立ち会ってきたというQfwfq爺さんの法螺話である。
 各短編の頭には、宇宙の歴史上の出来事が短く記されており、それについて爺さんの話が始まるという趣向になっている。月が地球から遠ざかった瞬間の記憶から始まり、水中生活をやめ地上に上がったときの話、恐竜の絶滅の時のようすなどなど、すべてを目撃してきた爺さんの話は奇想天外だ。
 『渦を巻く』は視覚をもたない腹足類の貝殻に、美しい模様ができる秘密がテーマになっている。
 その頃、Qfwfq爺さんは軟体動物の肉片として岩にへばりついて暮らしていた。自由で満ち足りた生活だった。他の存在を知らなかったわけではない。水が多くの情報を運んできた。あるとき、他の性の存在に気づく。「水が一種独特の、フリン、フリン、フリンというような、波動を伝えてくるのだ」。その波動に自分だけの個人的な波動で返事がしたい。
 そのうち、無数の彼女たちの波動の中から、自分の好みに合うひとりの波動が理解できるようになった。「要するに、わしは恋していたというわけだった」。こうして、彼女たちのひとりが海の中に排卵し、爺さんはそこに精子を降り注いでやるようになった。彼女に向け波動を発し、彼女もそれに答えるようになった。
 だが、ここで疑念が生じる。本当に彼女は、自分だけを識別しているのか。だれかれかまわず寝てしまう乱交癖ではないのか。あるいは、自分と勘違いして他のオスどもとも睦みあっているのではないか。「そのときだったのさ、わしが石灰状の物質を分泌し始めたのは。わしとしてはこのわしの存在を魔義らうことのないやり方で特徴づけ、これを守ってくれる――他のものすべての、まるでのっぺらぼうな頼りなさから、このわしの存在を守ってくれるも――ような何かをつくり出したかったのだな」。「わしが体外に分泌させていた石灰上の物質は、規則的な間隔で、色を変えて出てきたため、実に美しい縞模様が螺旋の形を通じてまっすぐにのびてゆくのだった」
 かなり乱暴な要約なので、微妙な味わいは消えてしまっているが、繊細かつダイナミックなユーモアの数パーセントでも伝わっただろうか。実はこの話、まだまだ続くのだがしょうかいはここまでにしておこう。
 久しぶりに、カルヴィーノが読みたくなった。

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2008年07月27日

縄文コンテンポラリーアート展inふなばし

 船橋に「船橋市飛ノ台史跡公園博物館」がある。飛ノ台貝塚という縄文早期の遺跡につくられた野外展示施設と博物館である。野外展示では、貝塚のようすを伝えるため型どりし模型を設置してある。博物館には遺物や竪穴式住居の模型などが展示してある。
 家からもそう遠くはない。
 その博物館で、毎年夏になると恒例のアートイベントが行われる。チラシにタイトルがいろいろあってどれがどうなのかわからないので、全部書いておく。
 『縄文コンテンポラリーアート展inふなばし/縄文アートまつりvol.4縄文と遊ぼ!/出会いの造形U/古代飛ノ台とアート』
 主催が船橋市飛ノ台史跡公園博物館と縄文コンテンポラリーアート展実行委員会となっているので、「縄文コンテンポラリーアート展」がメインタイトルのようだ。
 博物館内と公園を使い、造形作品の展示が7月20日から9月14日まで行われ、7月20日から8月30日の毎週土日には、様々なワークショップが行われる。
 今日、7月26日は朝から『縄文アートまつり』と称して、ワークショップとパフォーマンスが行われた。
 夜の7時からは踊りと音楽のパフォーマンスがあった。音楽1人、ダンス・舞踏者が5人、友人のダンサーであり映像作家である万城目純君が構成・振り付けだ。もちろん彼も踊る。
 実行委員会の中心メンバーであり、出品作家でもある酒井清一さんからご案内をいただき、夜のパフォーマンスを見に行った。直前に数十分の豪雨があったが、7時ごろには止んでいた。
 夕焼けが赤い。草と水の匂いがする。
 20日にワークショップで作った粘土の作品を焼いている。しばらく前から弱火で焼いていたようだが、最後に作品を覆うように薪をくべ、大きな炎が上がる。その炎をバックに、パフォーマンスが始まる。ゆっくり始まった踊りは、やがて観客を巻き込み盛り上がる。その後参加した観客が引け、ゆっくりと終息に向かう。観客が加わったときはタテノリになるのがおかしい。
 パフォーマンスが終わった頃、粘土作品も焼きあがっていた。
 博物館のある辺りは、今では海から遠く小高い岡の上といった場所だが、古代にはこの近くまで海だった。帰り道、古代の海を歩いて帰ってきた。
 
 展覧会はまだまだ続く。詳細は以下のURLから
http://www.city.funabashi.chiba.jp/tobinodai/

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タグ:縄文
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2008年07月26日

花火と映画と絵画

 ちょっと電車に乗って、隅田川の花火大会を見に行きたいところだが、今夜中に片付けないといけない野暮用があるのでがまん。そういえば、去年は東京湾花火大会に行った。
 ボボボボボッ、遠くで音が聞こえる。
 テレビをつける。中継が行われている。コンクール部門が面白い。作り手のアイディア満載で、意表をつくような動きや色が楽しい。フィナーレの「百花繚乱 墨田の大花絵巻」は静かに始まり、やがて光が空を埋め尽くすように炸裂し圧巻だった。
 花火は火薬を使った抽象絵画だ。カンディンスキーの著書に『点線面』があるが、花火は爆発した点が、帯を引いて線になる。点の爆発が連続して線になる。爆発した点が集積し、面になる。燃えた火薬の発する煙が、霞のような幕面をつくる。たぷリ水を含んだ墨や絵具のようでもある。煙の幕面は、短い間だがボリュームをもった色の塊になる。点、線、面、塊、さまざまな絵画的要素が、現れては入れ替わりやがて消える。
 ジョン・ウィットニーの、一連の点描抽象アニメーション、特に『アラベスク』を思い出す。レコード盤のような円盤に細かい点を打ち、裏から光を透過させカメラで駒撮りする。穴の大きさによって、また光の強さによって、一個一個の点に遠近感が生じる。星の等級のように。そして、円盤の回転をコンピュータで制御する。
 画面のどこかで点が光る、次の瞬間その脇で点が光る。私たちの目はそれを点の移動と見る。点滅のインターバルが短ければそれは線に見えるかもしれない。だが、点と点は全く別のもので移動したわけでも、つながった線でもない。ウィットニーの映画では、点から点への移動は関数によって制御されていながら、時々予想外の動きをする。気まぐれに見える。そして、点と点の間に連続性、言葉を変えて言えばアイデンティティはない。私は、その瞬間に入り込む非連続性が好きだ。
 花火は綿密に計算されながら、最終的には偶然が入り込む余地がたっぷりあるのだろう。花火師にも完全には制御できない。緻密さと偶然が夜空に描き上げるライブペインティングだ。

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2008年07月25日

最新ビデオカメラの脅威

 本棚を整理していると、1981年の『月刊イメージフォーラム』1月号が出てくる。何気なく開くとビル・ヴィオラの『ハリネズミと車』というエッセイが載っている。懐かしさについ読み始める。
 日本のビデオアーティストの多くに影響を与えた文章だ。私はちょっと違った経路でビデオアートを始めたのだが、当時ビル・ヴィオラは静かだが強い影響力を持っていた。パイクとヴィオラの影響力の違いというのも、話としては面白いが今日はやめておこう。
 『ハリネズミと車』の冒頭のエピソードは、その後もすっと覚えていた。正直言うと、読み直して持て冒頭のエピソードだけを覚えていたことに気づいたくらいである。それはこんなエピソードだ。
 あるとき、ビルビオラは友人から使い古しのオーディオカセットを袋一杯もらう。ビル・ビオラは興奮し台所にマイクとテープレコーダーを設置し、そこで起きるずべてを記録しようとする。何日か後彼は恐ろしいことに気づく。何十時間の記録したテープを聴こうと思ったら、同じ時間必要になる。巻き戻す時間を考えたらそれ以上だ。
 「もしも本気で一生続けようと思えば、人生がまだ半分のところで生きるのを止め、それまで録っていたテープを聞き返すのに余生を費やさなくてはいけなくなる」
(『ハリネズミと車』ビル・ヴィオラ 浜口邦子訳)

 ビル・ヴィオラは「何を記録しないか」が重要だとしている。そこで思い浮かぶのは、最近のビデオカメラだ。
 AVCHDと呼ばれるタイプの最新のハイビジョンビデオカメラの録画時間は、これまでの常識をはるかに逸脱している。ハードディスクに録画タイプのある機種だと、最高画質でも約14時間、最低画質では48時間連続録画できる。2日間回しっぱなしにできるのだ。
 『48時間』という映画があったが、ボタンを押すだけで今から48時間の出来事が記録できるのだ。
 映画は長い時間の出来事を、90分とか2時間に圧縮することで「現実」帆あの批評性を発揮してきた。ところが、48時間連続録画できるとなると、映像と「現実」の関係が変質しつつあるのかもしれない。
 ただ、そのことを正面かり上げた作品は、今のところお目にかかっていない。

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2008年07月24日

ハイビジョンビデオカメラ

 今日から3年後の2011年7月24日に、地上波アナログ放送は終了し、地上波デジタル放送となる。
 夜中に地震があったので、朝起きて地震の情報を見ようとテレビをつけNHKにする。
 画面の右上に「アナログ」の表示。出た出た。今日からNHKの総合、教育放送をアナログ放送で見ているとこの表示が出る。
 うちのテレビは時代遅れの烙印を押された。
 放送が変わると、テレビだけでなくハイビジョンビデオカメラなど色々なものを買い換えなくてはならない。
 私は依頼がない限り、まだSDのカメラで撮影している。見る・見せる環境が、まだまだSDのほうが多かったから。だが、徐々にHDを使う機会も増えてくるだろう。
 カメラが変わると、シャッターチャンスのつかみ方や勘の働かせ方、さらには体の使い方も変化する。狙いのはずし方も難しくなりそうだ。
 まず、画面のアスペクト比(横と縦の比例)が4:3から16:9に変わる事は大きい。デヴィッド・リーンでいえば『逢引き』から『アラビアのロレンス』への変化だ。。
 油絵を描いていたときも、Fキャンはよく使ったがPキャンはあまり使っていないな。Pキャンは細長いキャンバスだ。
 4:3は主題をひとつに絞って見せることが可能だが、16:9だと配置したものの関係を主に考えないと画面が持たない。横に広がることは、単に水平方向が広がるだけではなく、奥行き感覚も深まり複雑化する。ルネサンス絵画の空間の作り方など、もう一度研究してみたくなってくる。
 色々なことが変わりそうな予感がする。

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2008年07月23日

文化財への落書き

 きょう(7月23日)の朝日新聞の朝刊に「落書き被害4割」という記事があった。国内の世界文化遺産を構成する建物など計62件について、朝日新聞が落書き被害の実態を管理者に問い合わせたところ、回答のあった57件のうち4割に当たる23件が被害にあっていたというのだ。
 記事では、常時きれいにしておくことで落書きが減ったという仁和寺の例も紹介されていた。
 今年6月にはイタリアはフィレンツェにある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」に岐阜市立女子短大生、京都産業大学生、常磐大高校の野球部監督らが落書きしたことが知られ、問題となった。 はじめに話題になった岐阜市立女子短期大学では、落書きをした学生の代表と教員と学長がフィレンツェに謝罪に行った。京都産業大学は、当該学生を停学にし、学生の謝罪文を大聖堂に送った。常磐大高等学校の野球部監督は解任された。
 岐阜市立女子短期大学は、謝罪とともに損害賠償や修復作業への参加の申し出もしたようだが、これに対し、大聖堂側は謝罪すれば賠償は不要、修復は専門家がやるという対応だったという。
 常磐大高等学校の監督解雇という処分は厳しすぎるという声が、イタリアでも日本でもあったようだ。たしかに、処分としては重すぎる。しかし、名前が出てしまった以上、野球部顧問を続けるのは難しいだろう。生徒が、落書き監督と茶化して言うことを聞くまい。ユニホームに落書きされても文句は言えない。俺ならするね。こういう大人は格好の標的だ。しかも、名前が知れ渡ったのは、自分が名前を落書きしたからだ。
 この事件以来、様々な施設や文化財への落書きが問題視されるようになった。神社仏閣・教会などの施設ばかりでなく、鳥取砂丘などの自然への落書きも取り上げられた。
 私も鳥取砂丘に行き、砂丘の広大な斜面にでっかい相合傘が描かれているのを見てがっかりした事がある。砂丘はどうせ消えるので罪の意識も低いのだろうが、「俺はこんなもんを見に来んじゃない」というやり場のない怒りを感じた人は多いはずだ。ただ、その斜面を歩くと当然足跡がつく。その足跡は景観にとって邪魔ではないのかといえば邪魔である。邪魔だがいたしかたない。それに比べ、落書きは意図的でそのくせ個人的な分うざい。
 落書き問題はつまるところ美意識の問題だ。大聖堂や砂丘を見に行って相合傘や名前を見せられることにうんざりするかどうか。落書きがかっこ悪いという意識が浸透すれば、落書きも減るだろう。
 この世には、文化財的な価値のある落書きもある。唐招提寺金堂の梵天立像の台座の落書きは、当時の工人たちが描いたようだ。法隆寺金堂や塔の天井板にも、絵師たちの落書きが残っている。表向きの表現とは違った面が表われており、資料としても重要である。
 やっかいなのは、「カッコイイ」落書きである。70年代にニューヨークのストリートから発し、82年映画『ワイルド・スタイル』で世界に広まったグラフィティ。いまやうちの近所のガードにもそれ風の落書きがある。『ヒップホップストーリー』という映像作品の中に、グラフィティのアーティストのエピソードがあり、面白かった。アーティストといってもチンピラである。チンピラといっても、ポリシーはしっかりしている。ニューヨーク市当局が取り締まりを強化している中、「奴らがどんなに締め付けても、俺は絶対にやめないぜ」とか言って、地下鉄の車庫に忍び込み車両に描く。この落書きは、メッセージがあろうがなかろうが、外に向かって開かれていた。見られることを意識していた。グラフィティの中からキース・ヘリングやバスキアといったアーティストが現れた。だが、今また日本のあちこちでグラフィティの被害が問題になっている。グラフィティは当初、文化を持っているものに対する持っていないものの闘争だった。だからいいとか、許されるのではなく、社会的には迷惑だが同時に魅力もあった。この、社会通念上は否定しなければならないのに、魅力があって否定しがたいところがグラフィティの発信力である。
 今、あちこちの街で頭を抱えているグラフィティは、どうなのだろう。少なくともヒップホップの真似と思えるものには興味がない。
 文化財への落書きの話を聞いたとき、ルーブル美術館のことを思い出した。ルーブルはほとんどの作品の写真撮影を許可している。また、申請すれがキャンバスや絵具を持ち込み模写することもできる。日本の美術館では考えられないほど、観衆に対してオープンだ。ところで、世界中から人が集まるルーブルでは、落書きの被害はないのだろうか。
 「ルーブルを焼き払え」と言ったのは、19世紀写実主義の画家クールベだが、もちろん自分で火はつけなかった。落書きもしなかった。ただ、アカデミズムに対する闘争を開始した。クールベも絵具や画材を買えず、サロンへの出品資格すらなかったならば、落書き闘争を始めたかもしれない。
 公共施設、特に文化財への落書きはダサい犯罪である。犯罪でありながらもなお、訴えかけてくる魅力的な落書きもごく稀にある。だからといって、それらの落書きが犯罪でなくなるわけではない。魅力的であり、かつ犯罪なのだ。

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2008年07月22日

誕生日にハイビジョンを思う

 本人にとっては重要な意味を持ちながら、世間一般にとっては何の意味もない日が誕生日だろう。
 私が生まれたのが1954年、そして今年は54歳になる。これは何の符合でもなく、数字が揃ったからといって天からパチンコ球が降ってくるわけでもない。だが、本人はこういうつまらない符合に何か意味を見つけようとする。見つけようとするが、やはり何もない。
 1954年には、その後の日本映画に決定的な影響を与える二本の映画が封切られている。『七人の侍』と『ゴジラ』だ。その前の年、1953年、昭和28年2月1日には東京地区でNHKのテレビ本放送始まり、8月28日には日本テレビの民放初の本放送が始まった。そして、『ALWAYS三丁目の夕日』ですっかりおなじみとなった1958年(昭和33年)12月23日、東京タワー完工式が行われた。
 この完工式については、間接的な記憶がある。完工式の写真やニュース映画を見たのではない。たしか『ぼくら』だったと思うが、月刊漫画雑誌を買ってもらったらその中に『少年ジェット』という武内つなよしのマンガが載っていた。そのマンガで、この完工式が舞台になっており、そこに悪役ブラックデビルがあれわれ、式をめちゃくちゃにするのだった。
 その後、『少年ジェット』はテレビで実写版も放送されたが、そちらでこのシーンがあったかどうかは覚えていない。ただ、マンガを読んで東京タワーを始めて知り、父に色々質問をした覚えがある。
 家でテレビを買ったのが何年かはハッキリしないのだが、買った日のことはハッキリ覚えている。近所で友達と遊んでいた私を、テレビを買ったから帰って来いと父が呼びに来たのだ。
 ただし、小学生になったとき(1961年=昭和36年、4月)には確実に家にあった。しかし、1959年=昭和34年4月10日の皇太子・美智子妃の結婚パレードは近所の親戚の家にテレビを見せてもらいにいったので、おそらく1960年=昭和35年のことだろう。
 小学校高学年の頃には、カラーテレビを電気屋さんなどで眼にすることも増えた。私が通っていた学習塾は、地元幕張ではテレビセンターと呼ばれていた。学習塾の経営者と電気屋さんが親戚関係で、電気屋さんの裏に塾があっただけの話である。授業の合間にテレビセンターの前で、カラー放送の『ジャングル大帝』を見た。色が鮮やかだった。実写のカラーは不自然な感じがしたが、アニメーションはきれいだった。
 家のテレビがいつカラーになったのか、これもまた記憶がない。おそらくこの1、2年後だろう。そう考えると、白黒放送からカラー放送への移にはそんなに時間はかかっていなかったのだ。
 テレビについての最大の意識改革は、1980年にビデオカメラとポータパック(小型ビデオデッキ)を買ったときだろう。そこらの風景がテレビに映るのだ。8ミリで撮った風景を映写機にかけスクリーンに映した時の感動とはまったく違った。NHKやフジテレビが映るテレビに、自分が撮った風景が写るので。自分の行為が広く拡大していくように感じ、初めてセックスしたときのような感動だった。
 今日テレビを見ていると、2011年7月24日のアナログ放送の終了に向け、あさって24日からアナログ放送の画面の一部に「analog」という文字を出すという。何だか「時代遅れ」の焼印を押される様な気分だ。
 白黒からカラーへの移行は、比較的スムーズにいったように思う。カラーテレビを買わなければカラーで見えないだけで、白黒では見えた。だから、人それぞれの経済状態に合わせてあわてることなく、白黒からカラーへと自然に移行すればよかったのだ。
 だが、今回は廃止である。これから何が起きるか分かれないが、かなりの混乱は予想される。

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2008年07月21日

暑さの記憶

 暑い。明日はもっと暑いという。
 地球温暖化だという。ヒートアイランドだという。
 いまとむかしの暑さは違うらしい。らいしのだが、ハッキリとはわからない。だが、なんとなくわかる気もする。
 自分が成長するにしたがって、暑さの感覚が少しずつ変化して来たような記憶はあるので、それを逆にさかのぼると過去の暑さに戻るのではないか、などと暢気なことを漠然と考えている。
 浪人の頃、すいどーばた美術学院の夏期講習は、ギュウギュウ詰めのアトリエでまだ目新しいエアコンがほとんど効かず、みんな汗をだらだら流しながら木炭デッサンをしていたなあ。実家にエアコンが入ったのはいつごろだったろうか。高校時代、体育の時間にタマを打った井出君が、「うちに帰ってビーバーエアコンで冷さなきゃ、ビーバーエアコンで冷やさなきゃ」と盛んにエアコンが家についたことをアピールしていた。ビーバーエアコンというのは、今もある三菱のエアコンだが、すでに1972年ぐらいにはこの名称で売っていたわけだ。
 一人暮らしの若者の部屋にエアコンがついているのが当たりまえになったのは、いつごろからだろう。
 以前は夏といえば山梨県の白州町で毎年過ごしていた。東京と違い湿気がなく日向は暑いが日陰は涼しい。東京の暑さはどこかから変わってしまったのか、昔は暑さをどう感じていたのか思い出そうとしても、思い出せない。
 『ALWAYS 三丁目の夕日』以来昭和30年代ブームだが、昭和30年代の夏の暑さを再現することはできるだろうか。古い映画を見ると、夏のシーンに出くわすことがある。黒澤明監督の『野良犬』の中でだらだら汗を流し、扇風機やうちわで体を冷やし、スイカや水道の水で涼をとる、エアコンのない夏が描かれていた。そこに描かれている東京は、今よりずっと風通しのよい町だ。
 その頃の人々の姿はフィルムに焼き付けられているが、その頃の人々の体感温度は再現することができない。あのときの、大泉学園に吹いていた風はどんなふうに感じられたのだろう。あのときの日差しを、頬はどんなふうに感じていたんだろう。 

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2008年07月20日

『アール・ブリュット/交差する魂』を見た

 しんどかった。
 松下電工汐留ミュージアムへ『アール・ブリュット/交差する魂』を見に行った。前々から見ようと思っていたのだが、ギリギリ最終日に駆け込むようにして見た。失敗だった。もう少し前に見に行った上でもう一度、最低でも二度は見るべきだった。この展覧会は駆け込みでざっと見て済ませられるような代物ではなかった。
 「アール・ブリュット=生の芸術」とは、正規の美術教育を受けていない人たちによって制作される美術作品のことで、画家のジャン・デュビュッフェの命名である。デュビュッフェは子どもや美術界とは無縁の作家が制作した絵画、彫刻などに、人間の根源的な表現衝動を発見し作品を収集、スイスのローザンヌ市に「アール・ブリュット・コレクション」を設立した。
 今回の展覧会は、そのアール・ブリュット・コレクションの作品と、滋賀県にある「ボーダレス・アート・ミュージアム」の作品で構成されている。
 私は不勉強で、日本にそんな美術館があることを知らなかったのだが、障害者アートを紹介する美術館だ。単なる紹介ではなく、一般のアーティストの作品と並列して展示するなど「人の持つ普遍的な表現する力」を浮かび上がらせ、障害者と健常者などさまざまな境界(ボーダー)を越える試みをしているのだという。
 アール・ブリュット・コレクションの作品は必ずしも障害がある人の作品というわけではなく、ネック・チャンドのように道路建設の仕事の傍ら、こつこつと石で作品を作り続けた作家もいる。
 仕事の傍ら創作するといえば、趣味で絵を描くアマチュア画家がいる。いや、日本のほとんどの美術家も仕事の傍ら制作している。だが、美術家はもとよりアマチュア画家も、多くはこれまでの美術を参照するなり影響を受けるなり反発するなりして創作を行っている。それに対して、ネック・チャンドラは美術の歴史や制度と無関係に創作をしている。これが・アール・ブリュットの特徴だろう。また、アール・ブリュットなどという概念にグルーピングされることも、本人の意志とは無関係だろう。
 今回の展覧会で取り上げている作家のすべてが、精神障害を持っているのではない。しかし、多くが障害を持った人たちである。
 どの作品も強烈だった。そしてしんどかった。簡単には感動できない。人間の精神の奥深さや多面性を感じさせられたと言うことはできるが、そんな生易しいものではない。
 チラシには「様々な社会的規制の束縛から精神の自由や独創を獲得する人間の力」という言葉がある。たしかにそう感じる。だが、同時になにか大きな力やイメージに束縛されてもがく人間の姿も感じる。何かが憑依して美術家たちに作品を作らせているような感じすら受ける。自由と同時に激しい不自由も感じる。
 美術家の主体的な意志と、憑依しているものが相互に入れ替わり、見ているうちに混乱してくる。両者の線引きは難しい。見れば見るほど怖くなってくる。
 精神に障害を持った画家、たとえばゴッホの絵を見たときの感想とはまた違う。遺された絵画には、ゴッホの精神が病に勝利したことが刻印されている。実人生では病が勝利してしまったのかもしれないが、絵画においてはゴッホの精神が勝利している。
 この展覧会に出品されている多くの作品は、まさに精神と病の戦いの戦時報告といった趣だ。戦いの最中だと感じる作品は、見ていて苦しくなる。だが、明らかに突き抜けた感動に至る作品もあった。
 感動に至る作品もそうでない作品も、どれもひどく孤独な作業に見えた。
 美術家の主体と彼に描かせている力という言い方をしたが、一般の画家の場合も本人の意志だけではなく、彼を動かし描かせる力がないわけではない。そして、美術家はその力を乗りこなしたり、戦いを挑んだりする。そのひとつが、美術の歴史や制度という文化だ。文化は広く共有されているから、美術家がそれに乗っかっても、戦いを挑んでもその作業は開かれたものとなる。
 だが、アール・ブリュットの美術家たちを突き動かす力は、より根源的かもしれないが文化として共有されてはいない。これは、精神障害のあるなしに関わらない。そういった人たちをアール・ブリュットと呼んでいるのだ。したがって、彼らの作業は孤独にならざるを得ない。
 ゴッホの絵を見ているだけでは見落としていただろう深淵が、ぽっかりと口をあけている。眼が離せない。
 
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2008年07月19日

『ビデオサロン』に8ミリの記事

 『ビデオサロン』の8月号に「今8mmフィルムで撮るということ」という記事が載っている。ビデオサロンが主催する「テレシネ映像コンテスト」というというイベントの関連企画ということだ。
 イベントの趣旨は、むかし撮った8mmフィルムをテレシネした映像を編集し、課題曲をダウンロードしてそれにつけて応募する、というものだ。ただ、むかし撮ったものばかりではなく、新しく8mmで撮影したものも受け付けるので、ぜひ応募して欲しいとのことである。
 記事は見開き4ページ、はじめの2ページでは往年の名機と呼ばれる8mmカメラが写真入で紹介されている。フジカZC1000、Z800、キャノン518SVなど、シングル8のカメラばかり、スーパー8はキャノン1014XL−Sの1台のみ。
 次の見開きには、8mmで最近の東京を撮った作例と、スーパー8とシングル8の説明がある。
 記事では8mmの魅力を、今この瞬間を撮影しても温かみがありノスタルジックに見えること、カメラを手持ちで撮影してもそのゆれが味に見えることの二つをあげている。
 これは、一般的な8mmの映像に対する反応だろう。だが、8mmのあの独特の画質を、ノスタルジーに結び付けずに評価する必要があるように思う。8mmフィルムは、単に古さをまとった趣があるのではなく、今なお現役のメディアとしてとらえることも可能である。今だからこそ、積極的に8mmの画質を35mmやハイビジョンとは別の、それらの代用品ではない独立した画材としてとらえることができるだろう。
 まだ公開になってはいないが、原将人監督の新作『あなたにゐてほしい』では、35mmやハイヴィジョンとともに8mmフィルムが効果的に使われている。まさに、8mmフィルムでしか描けない映像を作り出すための独立した絵具という使い方だ。
 とはいえ、こういったコンテストが行われ、8mmフィルムに再び光が当てられることは喜ばしい。
 私も、この1年半ばかり、8mmを積極的に使っている。21世紀になって8mmを使って作品作りをすると思わなかったが、あらためてその魅力を、積極的な価値として引き出してみようと思っている。

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2008年07月18日

ユナボマーとその時代

 以前ユナボマーという、アメリカの爆弾魔に関連することを書いた。
 ユナボマーは18年に渡って、アメリカ各地で爆弾事件を起こした男である。本名ではなく、逮捕前の犯人像がまだ不明なときに、FBIが仮につけた名前である。本名はテッド・カジンスキーというかつて天才的な数学者と呼ばれた男で、逮捕時には山奥で隠者として生活していた。
 前回も書いたのだが、私がユナボマーに興味を持ったのは、1942年生まれで、1978年から1995年という犯行時期に引っかかるものを感じたからである。60年代の反乱の季節から遅れること10年、30代半ばのテッド・カジンスキーがなぜ爆弾テロに走ったのか。
 この事件があった時期がどんな時期だったかを再確認したくなり、『ユナボマー爆弾魔の狂気』(KKベストセラーズ)という本をもとに、ユナボマーとその時代の年表を作ってみた。あくまで私の興味を満たすためのものなので、他人には役に立たないだろうが、一応発表しておこう。
 太字がユナボマー事件の項目、それ以外の項目はさまざまな資料からなんとなくこの事件と併記してみたくなったものを、私見により抜き出しただけである。事件との直接の関係はない。

1977年9月28日 ダッカ事件。日本赤軍パリ発東京行き日航DC−8機をハイジャック。
1978年5月20日 新国際空港(成田)開港。
1978年5月26日 イリノイ大学駐車場に放置された小包発見。差出人として記入されていたノースウェスタン大学に返送され、爆発。大学警備員 テリー・マーカー負傷。
1979年1月13日 国公立大学初の共通一次試験実施。
1979年5月9日 ノースウェスタン工科大学技術研究所に仕掛けられた爆弾爆発。大学院生ジョン・ハリス負傷。
1979年7月11日 東名高速道路、日本坂トンネルで火災事故発生。死者7名。焼失車173台。
1979年11月15日 シカゴ発ワシントン行きアメリカン航空444便の貨物室で小包発火、緊急着陸。不発。12人手当て受ける。
1979年12月24日 ソ連、アフガニスタンへ侵攻。 
1980年5月18日 光州事件。韓国で民主化を要求する学生・市民と軍が衝突。
1980年6月10日 ユナイテッド航空社長バーシー・ウッドが、イリノイ州レイクフォレストの自宅に送られた小包爆弾で負傷。 
1980年9月22日 イラン・イラク戦争勃発。
1981年7月29日 ダイアナ、チャールズ皇太子と結婚。
1981年10月8日 ユタ大学(ソルトレイクシティー)で大学職員が爆弾発見、警察が処理。
1981年10月16日 北炭夕張新炭鉱ガス突出事故。死者93名。重軽傷者39名。
1982年2月9日 日航DC−8型機、羽田沖に墜落。原因は機長の逆噴射。
1982年4月2日 フォークランド紛争。アルゼンチン軍がフォークランド諸島へ侵攻。
1982年5月5日 ベンダービルト大学(テネシー州ナッシュビル)コンピュータ・サイエンス学部長宛に送られたパイプ爆弾が爆発。本人不在のため小包を開けた 秘書ジャネット・スミス負傷。
1982年7月2日 カリフォルニア大学バークレー校、ラウンジでパイプ爆弾が爆発。工学部ダイオグネス・アンジェラコス教授負傷。
1983年4月15日 東京ディズニーランド開園。
1984年7月28 ロサンゼルス・オリンピック大会開催。
1985年3月17日 科学万博つくば’85開催
1985年5月15日 カリフォルニア大学バークレー校、コンピュータ研究室に置かれた箱が爆発。大学院生ジョン・ハウザー負傷。 
1985年6月8日 神戸淡路島鳴門自動車道、大鳴門橋開通。
1985年6月13日 ボーイング社の組立部門に届いた小包が爆弾であると判明。爆弾特別部隊が処理。
1985年8月12日 日航ジャンボ機、御巣鷹山に墜落。死者520名、生存者4名。
1985年11月15日 ミシガン大学(ミシガン州アン・アーボー)心理学のジェームス・マコネール教授宛に送られた小包を、調査助手のニコラス・スイノが開け、爆発。軽傷。 
1985年11月29日 国鉄同時多発ゲリラ事件。
1985年12月11日 カリフォルニア州サクラメントでコンピュータ・レンタルショップの裏に放置してあったごみが爆発。ごみを片付けようとした経営者ヒュー・スクラットン即死。 
1986年4月26日 チェルノブイリ原子力発電所で爆発事故
1987年2月20日 ユタ州ソルトレイク・シティーで、コンピュータ・ショップの経営者ゲリー・ライトが駐車場におかれた爆弾につまづき爆破、負傷。はじめての目撃者あらわれる。 
1987年4月1日 国鉄分割民営化。
1987年11月29日 大韓航空機爆破事件。犯人、金賢姫。
1988年7月6日 リクルート疑惑発覚。
1989年1月7日 昭和天皇崩御。皇太子明仁親王即位。
1990年10月3日 東西ドイツ統一。
1991年1月17日 湾岸戦争勃発。多国籍軍、イラクを空爆。
1992年2月14日 佐川急便不正融資事件。渡辺前社長を逮捕。
1993年6月22日 カリフォルニア大学サンフランシスコ校の遺伝子学者チャールズ・エプスタイン、自宅に送られた小包爆弾が爆発し負傷。
1993年6月24日 エール大学(コネチカット州ニューヘブン)のコンピュータ・サイエンス学部長デビッド・ジェラーンターが、送られてきた小包爆弾を開け爆発。重傷。 
1993年8月9日 細川連立内閣誕生。
1994年6月27日 オウム真理教、松本サリン事件。
1994年9月4日 関西国際空港開港
1994年12月10日 ニュージャージー州ノース・コルドウェルの自宅にて、大手広告代理店ヤング&ルビカム社の事業部長トマス・モザー、小包を開封。爆破、即死。 
1995年1月17日 阪神淡路大震災
1995年3月20日 オウム真理教、地下鉄サリン事件
1995年4月24日 カリフォルニア州 森林協会のオフィスに送られた小包爆発。協会本部長ギルバート・マリー死亡。 1995年5月16日 オウム真理教教祖、浅原彰晃逮捕。
1995年6月28日 『サンフランシスコ・クロニクル』紙に6日以内にロサンゼルス空港発の航空機を爆破する予告がある。後日『ニューヨーク・タイムス』紙に「あれは冗談だ」という匿名の手紙届く。
1996年4月3日 ユナボマーことテッド・カジンスキー逮捕
1996年7月12日 堺市で、学校給食を感染経路とする、病原性大腸菌O157による集団食中毒発生。死者3名、患者数は9500名を越す。以後各地でも多発。
   
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posted by 黒川芳朱 at 09:26| Comment(2) | TrackBack(0) | メディアとネットワーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月16日

『白雪姫』500円也

 最近500円だの1000円といったDVDを見かける。今日500円の『白雪姫』を買ってみた。子どもの頃見た夢のような記憶とのギャップが面白い。興味深い。『まぼろし探偵』だの『怪傑ハリマオ』だのも並んでいる。夢が壊れるような気もするが、見てみたいような気もする。私の中で完全に美化されている番組は『ピロンの秘密』と『アラーの使者』だが、これは実際に見るとやばいだろうな。
 それにしても、DVDが安い。古典的名作は500円や1000円で買える。1980円とかで比較的新しい映画のソフトも買える。
 私がはじめてビデオソフトを買ったのは、1980年ごろ、ニコラス・ローグ監督、デヴィッド・ボウイ主演『地球に落ちてきた男』の輸入版だった。たしか14000円ぐらいした。当然字幕はなかったが、映像が大好きで何度も見た。それにしても14000円である。ビデオソフト1本買うのは一大事だった。日本版が出始めても、だいたい15000円ぐらいした。
 それと比べると、音楽ソフトはそれほど変化がないように思う。小遣いでレコードをちょくちょく買うようになったのは高校生のころ、1970年代はじめだが、LP1枚が1800円か安いもので1500円だった。だが、70年代後半には2000円から2500円くらいになっていたように思う。いま、2500円か3000円ぐらいだ。
 レコードやCDに比べ、ビデオは当初まだハード自体が普及していなかったため需要が少なく、高い値段をつけないと採算が取れなかったのだろう。
 今、音楽ソフトも映画ソフトもあまり売れないらしい。今後ソフト販売がどんな形態になるのか、どんな価格帯になるのか、興味深いところだ。また、コレクションに対する欲求というものの、あまりフォーマットが変わると薄れていくだろう。

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posted by 黒川芳朱 at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月15日

創造のいま

 私の周辺だけかもしれないが、最近美術教育の現場でつくることの意味があらためて問題になっている。簡単に言うと、学生が完成を目指さない傾向が増えてきているというのだ。
 先日も美術教育関係者が集まり、こんな話が出た。あと一歩で完成度が飛躍的に上がるのに、なかなかそこまで追い込む学生が少ない。あるいは、コンピュータが創作のツールとなったおかげで、完成形のヴィジョンがないまま、データをいじくり回して終わってしまう。到達目標が見えていない。
 自分が学生だったときを思い出すと、未完成に終わった作品も結構あるので、一概に今の学生はとはいえない。だが、完成させたいとは思っていたし、できないと悔しかった。完成したときの喜びはひとしおだった。
 学生の問題もさることながら、世の中全体に完成を重んじない傾向があるという点はかつてとかなり違うのではないだろうか。
 今は物の売り方が、完成品を売るという売り方ではなくなっている。同じ映画のソフトが、劇場公開版、ディラクターズカット、テレビ放送版など、さまざまなヴァージョン存在する。同じ曲が、シングルヴァージョン、アルバムヴァージョン、リミックス版と複数存在する。DVDのフォーマットが変わる。アナログ放送が終了する。電化製品の最初のラインは「バグ出し」などと言われ、消費者を使って商品テストをするような傾向がある。似たようなものを変化させ、何通りものパターンで展開し、その変化を売るような傾向がある。
 リミックス文化とでもいえばよいのだろうか。文化は記号の死を生きているような感じさえしてくる。はて、つくるって何だっけ。
 
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posted by 黒川芳朱 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

『スーパーモーニング』って野暮ね

 社会ネタをこのブログで取り上げる気はないのだが、今朝、テレビ朝日の『スーパーモーニング』でいやなものを見てしまい、その気分が一日抜けないので書いておく。
 『スーパーモーニング』は出かけるのが遅い日など、時々見る。わりと愛視聴している。だが、今日は気分が悪くなった。
 無差別に7人が殺された秋葉原事件。現場に設けられた献花台に、花以外にペットボトルやカン入りの飲み物、食べ物、煙草などがたくさん供えられている。被害者を悼む人たちが、供えていったものだ。それを盗む人がいるという。カメラが隠れてスタンバっていると、ホームレスが現れてペットボトルを一本持っていく。スタッフが追いかけ問い詰める。亡くなった方のために皆さんが供えているのに、盗っていいんですか、といった具合に。こういった張り込み取材が3、4人分放送される。盗んだほうは、謝ったり、言い訳したり、どうせ捨てるんだろうと居直ったり。
 情けない。お供えをした人たちの気持ちを踏みにじる行為だ。
 だが、わざわざテレビで報道するほどの問題だろうか。犯人はすべてホームレスや、足が悪くて働けないといっているような人たちだ。彼らを弁護するつもりはないが、テレビで糾弾することでもないように思う。現場の周りの人が、人それぞれの価値観に応じて、怒ったり、注意したり、軽蔑したり、ああはなりたくないと思いながら見て見ぬふりをしたり、まれに同情する人もいたりすればいいことだ。
 周辺の人によほど迷惑をかけていたり、社会問題化しているならテレビで取り上げる価値もあるだろう。だが、報道を見る限りそれほどの問題ではない。あの番組スタッフは、カメラがなくともあそこに行って、ペットボトルを盗っていく人を追いかけ、問い詰めるだろうか。あすも、あさっても。
 番組のコメンテーターが、死者に捧げたものをとるのは恥ずかしいという気持ちが、今なくなってきているのかというようなことを言っていた。これは時代の問題ではない。
 山本有三の小説を映画化した『路傍の石』を小学校のときに見た。たしか、その中にお弔い稼ぎのお婆さんというのが出てきた。見ず知らずの人の葬式に出ては、葬式饅頭をせしめる婆さんだ。『路傍の石』は、田坂具隆、原研吉、久松静児、家城巳代治などの監督が映画化している。私が見たのが誰の作品かはわからない。小学校のときに使っていた『国語自由自在』という参考書にも、そのシーンのスナップ写真が載っていたように思う。こういった卑しさのエピソードは、いつの時代も変わりなくある。
 人間がいる限り、卑しさはなくならない。今後階級が固定化すれば、ブリューゲルの絵のように、卑しさが町にあふれ出すかもしれない。だが、そんなことよりも、追い詰められた人間の卑しさをことさら拡大して報道し、番組を作ろうという姿勢にも、これまた卑しさを感じてしまう。だせえなあ。

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posted by 黒川芳朱 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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