私が生まれたのが1954年、そして今年は54歳になる。これは何の符合でもなく、数字が揃ったからといって天からパチンコ球が降ってくるわけでもない。だが、本人はこういうつまらない符合に何か意味を見つけようとする。見つけようとするが、やはり何もない。
1954年には、その後の日本映画に決定的な影響を与える二本の映画が封切られている。『七人の侍』と『ゴジラ』だ。その前の年、1953年、昭和28年2月1日には東京地区でNHKのテレビ本放送始まり、8月28日には日本テレビの民放初の本放送が始まった。そして、『ALWAYS三丁目の夕日』ですっかりおなじみとなった1958年(昭和33年)12月23日、東京タワー完工式が行われた。
この完工式については、間接的な記憶がある。完工式の写真やニュース映画を見たのではない。たしか『ぼくら』だったと思うが、月刊漫画雑誌を買ってもらったらその中に『少年ジェット』という武内つなよしのマンガが載っていた。そのマンガで、この完工式が舞台になっており、そこに悪役ブラックデビルがあれわれ、式をめちゃくちゃにするのだった。
その後、『少年ジェット』はテレビで実写版も放送されたが、そちらでこのシーンがあったかどうかは覚えていない。ただ、マンガを読んで東京タワーを始めて知り、父に色々質問をした覚えがある。
家でテレビを買ったのが何年かはハッキリしないのだが、買った日のことはハッキリ覚えている。近所で友達と遊んでいた私を、テレビを買ったから帰って来いと父が呼びに来たのだ。
ただし、小学生になったとき(1961年=昭和36年、4月)には確実に家にあった。しかし、1959年=昭和34年4月10日の皇太子・美智子妃の結婚パレードは近所の親戚の家にテレビを見せてもらいにいったので、おそらく1960年=昭和35年のことだろう。
小学校高学年の頃には、カラーテレビを電気屋さんなどで眼にすることも増えた。私が通っていた学習塾は、地元幕張ではテレビセンターと呼ばれていた。学習塾の経営者と電気屋さんが親戚関係で、電気屋さんの裏に塾があっただけの話である。授業の合間にテレビセンターの前で、カラー放送の『ジャングル大帝』を見た。色が鮮やかだった。実写のカラーは不自然な感じがしたが、アニメーションはきれいだった。
家のテレビがいつカラーになったのか、これもまた記憶がない。おそらくこの1、2年後だろう。そう考えると、白黒放送からカラー放送への移にはそんなに時間はかかっていなかったのだ。
テレビについての最大の意識改革は、1980年にビデオカメラとポータパック(小型ビデオデッキ)を買ったときだろう。そこらの風景がテレビに映るのだ。8ミリで撮った風景を映写機にかけスクリーンに映した時の感動とはまったく違った。NHKやフジテレビが映るテレビに、自分が撮った風景が写るので。自分の行為が広く拡大していくように感じ、初めてセックスしたときのような感動だった。
今日テレビを見ていると、2011年7月24日のアナログ放送の終了に向け、あさって24日からアナログ放送の画面の一部に「analog」という文字を出すという。何だか「時代遅れ」の焼印を押される様な気分だ。
白黒からカラーへの移行は、比較的スムーズにいったように思う。カラーテレビを買わなければカラーで見えないだけで、白黒では見えた。だから、人それぞれの経済状態に合わせてあわてることなく、白黒からカラーへと自然に移行すればよかったのだ。
だが、今回は廃止である。これから何が起きるか分かれないが、かなりの混乱は予想される。

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