私は赤塚不二夫の代表作を単行本で持っていない。
『おそ松君』も『天才バカボン』も『もーれつア太郎』も『レッツラゴン』も、もちろん『ひみつのアッコちゃん』も。いや、『天才バカボン』は1、2冊あったかもしれない。『おそ松くん』の副産物なのだろうか、『ちび太くん』というのを中学生の頃に買ったおぼえがある。いずれにしろあまり熱心なファンとはいえない。とはいえ、雑誌掲載時には、けっこう読んでいる。
日本で最高のギャグ漫画家は誰かと訊かれれば、間違いなく赤塚不二夫と答える。それ以外にはいない。だが、単行本を手元に置いて、何度も読み返そうという気持ちにはならなかったようだ。なぜかはわからない。結果的に単行本は買っていないのだ。
そんな私だが、赤塚不二夫責任編集とうたったマンガ雑誌、『まんがbP』は持っている。増刊号はともかく、本誌は全部もっている。
この雑誌が出ていたのは、私が高校3年のときだ。受験勉強(といっても石膏デッサンだが)の骨休めに、この雑誌を買っていた。とにかくハチャメチャな雑誌だった。ギャグと批評性とお下劣としゃれたユーモアーと下品な露悪趣味とパロディと宴会芸と音楽性とナンセンスがごちゃ混ぜになっていた。
まんが以外の目玉は、表紙が横尾忠則であること、毎回謎のミュージシャンによるソノシートがついていたことだ。創刊号は表紙が3枚あって、ソノシートは謎の歌手少年Aの『おまわりさん』。聞けばすぐわかるのだが、少年Aは三上寛である。そのほか、井上陽水、つのだひろ、佐藤允彦、中山千夏、山下洋輔などなど豪華メンバーが謎のミュージシャンの正体である。私は山下洋輔トリオ+渡辺文夫の『ペニスゴリラ』と、三上寛の『ホイ!』が大好きだった。
赤塚不二夫は『クソばば』というマンガを連載していた。メルヘンチックな少女漫画を描く中年の男性漫画家山本四十六(しそろく)。四十六歳の童貞である。その名のとおり、しそこなってばかりいる。彼が女性とセックスしたり、結婚しようとすると、彼の母親(クソばばあ)が現れて邪魔をする。ひどいときは、相手の女をレズビアンのテクニックで落としてしまい、息子はフラれるはめになる。とにかくなんとしてでも息子の童貞を守り続ける。山本四十六はやりたくて仕方がなく、頭の中はスケベな妄想でいっぱいなのだ。
ちょうどこの頃、『天才バカボン』にカオルちゃんというおカマのキャラクターが出てきた。同級生にカオルという男がいたのでよく覚えている。
赤塚不二夫は中年の童貞やおカマを気持悪いものとして描くことで笑いを取ろうとしているのだろうか、わたしはその姿勢に苦しいものを感じていた。なんか無理してんじゃないかな。
それ以前のキャラクター、イヤミ氏やデカパンもそうとうおかしなぶっ飛んだキャラクターだ。世の母親たちは「イヤラシイ」といっていたし、PTAの攻撃の対象だったし、悪書追放運動の標的でもあった。手塚治虫も含めて、まんが全体が悪書だったが、赤塚不二夫は特に下品でアクが強いという印象があった。
パンツ一丁で走り回り、パンツから猫を出すデカパンなど、今の時点から振り返ると明らかに変質者だ。平成の時代、マンガの中でも生息するのは難しいだろう。
だが、私が子どもの頃はマンガの中なら無理なくデカパンと子どもたちが共存できる町があった。また、パンツ一丁でそこらを歩いているおっさんは、現実にいたし、シミーズ一枚でそこらを歩いているおばさんもいた。だから、おそ松君を読みながらデカパンを変でおかしなおじさんとは思ったが、変質者だから警察に通報しなきゃとは思わなかった。デカパンやイヤミ氏は変だが魅力的だった。人間の多面性、多様性を感じさせてくれた。マンガの中には、彼らが子どもといっしょに存在できる原っぱが、町が、幻想の共同体があった。
都市化によって、デカパンは変質者になった。
都市化に対応して、赤塚不二夫のマンガはどんどん過激になった。マンガの枠を破り、ナンセンスでシュールなギャグを炸裂させた。そのころ、山本四十六やカオルちゃんというキャラクターが登場した。ふとおもうのだが、山本四十六やカオルちゃんは幻想の共同体を追われ都市化した空間に迷い込んだデカパンではないだろうか。
都市化に対応して先鋭化していった赤塚不二夫の中でも、それによって何がが解体していったのではないか。ここでまた、何の脈絡もなく中上健次と路地のことを思い出す。
『まんがbP』の3号だったと思う。つのだひろ作曲の『スケバンロック』というソノシートが付録で、雑誌全体のテーマもスケバンという号があった。中には、赤塚不二夫はじめフジオプロの面々がセーラー服にチェーンなどを振り回し、今で言うスケバンのコスプレをしたグラビアがある。私は、近所の本屋さんでそれを買った。「これ下さい」といって横尾忠則がデザインした表紙を表にレジの上に本を置いた。小学生の頃から顔なじみだったおばさんが、値段を見るために本を裏返した。裏表紙には赤塚不二夫がスケバンに扮しセーラー服のスカートの前をおおっぴらにまくり上げている写真が載っていた。下半身はスッポンポン、局部には前張りがしてあった。まさにエロ本、しかも男の裸という複雑な猥褻さ。おばさんは、一瞬にして雑誌を表に戻した。見たくない!という感じで。どうやって値段を調べたかは忘れたが、おばさんは二度と裏返すことなく、私はきちんと定価を払いその号を購入した。
訃報を報じるテレビで、キャスターのもっともらしい言葉と、酒を片手にやや呂律が回りにくく語る生前の赤塚不二夫の姿を見て、私はこのことを思い出した。
あのときの本屋のおばさんの困惑した表情と、一瞬にして本を戻したすばやい手の動きこそ、私は赤塚不二夫に対する最も正当な評価だと思っている。
そして、赤塚不二夫は戦士だったのだと。

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ラベル:赤塚不二夫