2008年09月29日

写メールがつかめない

写
写メールってばかりいってたけど、これはJーフォンの商標名で、auではフォトメールっていうんだぁ。でも、一般的に携帯メールのことを写メールっていうとも書いてあるな。国交省も御用達のウィキペディアに。同じように商標名が一般的な名称として使われている例として、ホッチキスやウォーマンが挙げられている。
とりあえずここでは、写メールと呼んでしまおう。
私は、写メールのルーズさが好きでちょっと前から「写メー人日記」というカテゴリを作って、写メールによる記事を書いている。特に決まりは作らず、その日の気分で撮りたいときは撮りアップしたいときはアップするようにしている。
写メールのルーズさが好きなのだが、そのルーズさを生かすスタイルがまだつかめない。
よく言われることだが、携帯写真はシャッターを押す瞬間にぶれやすい。ピントや露出の操作がしにくい。あるいはできない。など、意識的に絵を作るには不向きなカメラである。だが、街中を歩きながらふと気がついたときにズナップシし、ネットにアップできるというのは魅力的だ。携帯写真は、事物との出会いやすれ違いの記録だという気がする。
写真評論家の西井一夫が森山大道の写真を擦過(擦り傷)という言葉で表現していたが、写メールこそまさにそんな感じだ。だが、そういった写メールのよさをどうもうまく生かしきれていない。不満足感がつきまとう。
それこそ、森山大道や中平卓馬のプロヴォーグ的なブレ・ボケの真似事をするのがせいぜいだ。自分とカメラと世界の関係がカチリと噛み合って生まれた表現がまだつかめていない。
すれ違いざまに何かをキャッチし、ブログにアップすることが、自分の体感としてしっくりきていない。
そのスタイルを求めて、もう少し続けてみよう。
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2008年09月28日

曼珠沙華

曼珠沙華群根映画
曼珠沙華咲く山寺で、フェイクムービー。
木の力、根の力。
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2008年09月27日

都市の祭り

まりつだ
池袋はふくろまつり
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都市水景

都市水景
都市の中で、水は表情を変える。
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連続テレビ小説『瞳』が終わった

 NHKの朝ドラ『瞳』の最終回を見た。
 きょうは10時ごろに家を出ればいいので、ちょっとゆっくりだ。テレビをつけると『瞳』が始まった。
 このドラマ、毎日ではないが今日のように時間が合ったときはちょくちょく見た。飯を食べながらとか、出かける準備をしながら見るので、真剣に集中して見るのとは違った接し方だ。また、週に2、3回ぐらいと飛び飛びなのでストリーを完全に把握しているわけではない。だが、見始めるとだいたいストーリーはわかるし、ながら見でも十分楽しめる。朝ドラのノウハウが詰まっているのだろう。
 家でテレビを買ったころにやっていた朝ドラは『娘と私』、『瞳』とはだいぶテンポが違う作品だった。といっても、見たのは幼稚園児の私だが。
 『瞳』は登場人物のキャラクターが鮮明だ。また、人間関係がやや複雑だが、その複雑さがドラマの構造を作っているので、一度理解してしまうと「ながら見」でもドラマに入っていきやすい。
 ヒップ・ホップ、下町の人間関係、里子、家族関係、福祉制度、バイセクシュアル、もんじゃ、祭り、などなど色合いのちがったモティーフが混在しながらストーリーが展開するのだが、このあたりも彩のあるドラマを作り出していたように思う。
 うちの老母は、西田敏行が風呂上りのシーンでぼさぼさ頭に上半身裸で映ったときは「いやらしい」と顔をしかめ、当然ヒップ・ホップなどなじみがなく「こんなわけのわかんないもの」とはじまったころはいろいろと文句を言っていたが、途中からドラマが始まるのを楽しみにするようになった。NHKの朝ドラにローズのママのようなホモセクシュアルだかバイセクシュアルのキャラクターが登場するというのも驚きだ。
 しかしそれらがどぎつくならないように、うまく中和されている。血縁関係と下町の人間関係に擬似的な家族関係が結びつき、ねじれた家族関係がほぐれ、柔軟なコミュニティが形成される。そう考えると、ローズさんの存在は象徴的である。
 
 数日前、久しぶりに『ハング・ザ・DJ』を見た。ヒップ・ホップやクラブミュージックのDJに関するドキュメンタリーだ。そこに描かれたヒップ・ホップは、『瞳』の中のヒップ・ホップとはあまりにもちがう。
 そのことを思い出したとき、『瞳』が突然白昼夢に思えたきた。
 
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2008年09月26日

歩数計つけて帰ってきたぜ

 帰ってきたぜ。デジタル歩数計をつけて。
 約1時間、13583歩までいった。これできょうのトータル距離は8.149キロメートル。消費カロリー約800キロカロリー。
 家を出る直前が5413歩だったから、そのあと8170歩歩いたことになる。ふう。

 実はこのまえの写メールコーナーは、家に帰って風呂の中から投稿した。暑いからね。汗かいたしね。ああいい湯だ。チャポン。
 
 家はJRの駅と駅の間、3/2ぐらいの位置にあるが、遠いほうの駅まで歩き戻ってくるつもりだった。というかそうしたのだが、途中ちょっと知らない道を行ってみたら行き止まりになり、そこからはじめの角まで戻り、そこから来た道を戻らず脱出しようとしたら遠回りになってしまった。そもそも、きょうのコースは予定以上の歩数がいくコースだったのだが、道に迷ってさらに増えた。

 しかし、夜道を親父が1人で歩き、写メを撮ってる姿は怪しいだろうな。若いときはそんなこと全然気にしなかった。夜道で写真を撮ろうが、道路に模造紙を引いて鉛筆でこすりフロッタージュをしたときもとくいにこそなれ、怪しいとか、犯罪者ッぽいなんてかんがえてもみなかった。
 写真やビデオや映画を撮るということも、いまやすっかり怪しい行為になってしまった。

 以前ジョギングをしたときは、走るたびにめきめき痩せた。そのときは、元旦にジョギングを始めた。寒いときにはじめたのがタイミングとしてよかった。夏になると、朝7時を過ぎると暑くなって苦しかった。

 食事のあと30分くらいが軽い運動のタイミングとしていい、と聞いたので午後7時36分に歩き始めたが、夜風に吹かれての散歩いい気分だった。

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折り返し地点を越えて

店人花夜
怪しいオヤジ。夜のひとり歩き。
メタボメタボと足音が。飲み屋の脇をとおり、ちょっと道に迷う。
俺以外の怪しい人。2人の酔っ払い。人通りのない道で、電柱にもたれ携帯を見つめているオヤジ。

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怪しい親父、歩行中

散歩1散歩2散歩3
歩いてます。てくてく。
夜道で見たもの。大口であくびをしながら自転車で駆け抜ける中年女性。回収され残ったゴミ袋数点。通り過ぎる電車。
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posted by 黒川芳朱 at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 写メー人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

デジタル歩数計とともに

 こんばんは、糖尿病のメタボーグ0096ちゃんです。
 きょうは某高等学校で授業だったんですが、腰につけた歩数装置のカウンターは、まだ5413歩しかいってません。学校の最寄の駅から、バスに乗ったのが失敗でした。
 あれを歩けば、結構いったのにな。歩くとそれなりのハイキングコースです。ま、ようは田舎道ってワケですけど。
 歩数計をつけた初日は楽に1万歩いったので、何だたいしたことないなあ、やっぱり「万歩計」って老人向けのものかと思ったんですけど、なかなかどうして、きのうも8500歩止まりだし、1万歩いくのって苦労するんですね。
 きのうは8500で妥協したけど、今日は1万歩いこうと思います。で、これから残り4587歩歩いてくるか。夜の7時30分に。
 というわけで、戻ってきたらまた書きます。

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2008年09月24日

光・景

二本
二本の曲線に交わる一本の太陽直線。
光で見る。光を見る。歪みを見る。屈折を見る。すべての眺めは光・景なのか。

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2008年09月23日

カメラという絵具

 きのうは学校でビデオカメラの使い方の授業をした。ごくごく基本的なことから説明し、操作させる。フォーカス、ズーム、明るさ調整、NDフィルター、ホワイトバランス、など。明るさ調整は露出と言い切れないところがつらい。民生機のビデオカメラの限界だ。
 学生はひとつひとつの機能を確認し、そのたびに映像に変化が起こることに興味をもって大騒ぎしている。あまりに学生が面白そうにしているので先公はとまどうほど。
「カメラの操作によって、絵作りができる。つまりカメラは絵具なんだ」などとえらそうに思い付いた言葉を口にして、ふと初心に変える。
 そうだ、カメラは絵具なんだ。それも、機種によってちがった絵を描く絵具なんだ。油絵具、透明水彩、不透明水彩、パステル、色鉛筆、木炭、コンテ、アクリル、さまざまな絵具があるようにカメラによってちがった絵が描ける。
 8ミリフィルムのカメラと、16ミリフィルムのカメラと、35ミリフィルムのカメラと、SDのビデオカメラと、HDのビデオカメラと、みんな違った絵が描ける。いや、同じSDのビデオカメラでも、HDのビデオカメラでも、機種によって微妙に絵が違う。
 ビデオカメラで絵柄に大きな変化が現れたのは、撮像管から撮像素子に変わったときである。撮像管は発光体を取ることができなかった。太陽や電球を撮ると焼きつきというしみができた。また、画面の中を光が移動すると光は帯を引いた。当時は不便だと思ったが、同時にビデオでしかできない映像だと思った。
 1982年ぐらいにソニーがはじめて撮像素子CCDを使った、CCD−G5を発売した。あまり解像度はよくなかったが、色彩が強調され、軽くて太陽も撮れた。トイカメラのような画質だった。その後、撮像素子はどんどんよくなりいまや主流である。
 家庭用のハイビジョンビデオカメラが登場し、画質はかつての業務機や放送用機器よりずっときれいになった。だが、単に高画質という価値基準ではなく、それぞれのカメラを絵具として考え、高画質も低画質も同等に扱うことは可能だろう。
 ラフなスケッチもあれば、緻密な油絵もある、そんな形でいろいろなカメラを生かすことができると面白いなあ。

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2008年09月22日

相倉久人パフォーマンス・ジョッキー『重力の復権』

 相倉久人パフォーマンス・ジョッキー『重力の復権』
日時:9月24日(水曜日)19時30分より
料金:800円(予約、当日とも)
会場:Live Space plan−B
住所:東京都中野区弥生町4−26−20モナーク中野B1
アクセス:東京メトロ丸の内線(方南町線)中野富士見町駅より徒歩7分
JR中野駅南口より京王バス、 渋谷行きか新宿駅西口行、富士高校前下車 徒歩1分
会場への連絡:03-3384-2051(公演当日のみ)
問合せ先:090-5385-9631(石原)
会場への地図等はplan-Bホームページからhttp://www.i10x.com/planb/

 音楽・映像評論家、相倉久人さんのパフォーマンスジョッキー『重力の復権』が開催される。
 内容については乞うご期待としかいいようがない。アシスタントを務める私も、今のところどうなるか、正確なところはわからない。
 といっても一応の打ち合わせは済んでいるので、いくつかのモティーフは決まっているのだが、それもここでは発表しないでおこう。
 なにしろ、このパフォーマンスジョッキーの面白さは、相倉さんのドライブのかかった即興的なトークにあるからだ。
 といっても「ハーイ、みんなのってるかい」みたいな、いわゆるDJ口調を期待すると肩透かしにあう。
 ふつうに茶飲み話でもするようにはじまり、音楽、映像から、美術、文学、都市、歴史、ポルノ、科学、などなどあちこちに話題が飛び交い、気がついたら耳から………、目から落ちるのがうろこなら、耳から落ちるのはなんだろう。何だかわからないが、気がついたら耳から多量に何かが落ちていたといった具合なのだ。
 このジャジーな話の魅力は文章では伝えられない。ぜひ、一度ご来場ください。
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2008年09月21日

『新日曜美術館』でジョセフ・コーネルを見た

 新日曜美術館で、ジョセフ・コーネルを取り上げていた。
 あらためて不思議な作家だ。
 私がコーネルをはじめて知ったのは画学生だったときだ。当時講談社から出ていた『現代の美術』という美術全集の中の一冊に、コーネルの図版が載っていたのだったと思う。
 たぶん、誰もがコーネルという作家を知った瞬間に「あっ」と何かに思い当たるのではないだろうか。同じような気持で。
 この世にはさまざまな箱がある。道具箱、靴箱、お弁当箱、標本箱、おもちゃ箱、玉手箱にパンドラの箱。箱のついた言葉は、コレクションという意味で、アンソロジーや作品集など書物やCDやDVDなどのタイトルとして使われることも多い。「○○の標本箱」「○○のおもちゃ箱」といった具合に。
 箱は小宇宙の喩えとしてもよく使われる。ジョセフ・コーネルの作品も小宇宙と評されることが多いが、それはコーネル固有のものが詰まった小宇宙というのとはちょっと違うように思う。一見固有のイメージの世界に見えながら、そこに留まってはいない。
 ジョセフ・コーネルの箱の魅力は、特定の箱ではなく、いろいろな箱に私たちが感じる「普遍的な箱の魅力」なのではないだろうか。箱の中に入れられたことで物と物の間に生まれるイメージの力学、箱の内と外に生まれるイメージの磁場、そういったものがコーネルの作品に感じる最大の力だ。コーネルの箱は、コーネル固有のイメージの小宇宙のように見えながら、固有のイメージから離れ、箱という普遍的な場に向かっていくのだ。
 誰もがコーネルの箱を見た瞬間に感じる「こんな箱見たことある」という根源的郷愁、だが誰もそれまではこんな箱を見たことはなかったはずである。これまで見たことがあるのは、様々な個別の箱なのだから。
 そして、コーネルの箱を見たあとは、箱型オブジェの作品はほとんどコーネルの亜流に見えてしまう。
 ジョセフ・コーネルは「箱」というイメージの場の公理を作った。小宇宙というのはそういうことだろう。
 いとおかし。
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2008年09月20日

『坊ちゃん』を読んだ

 夏目漱石の『坊ちゃん』を久しぶりに読んだ。
 理由はこのブログにある。9月9日の「言葉の力」という記事に、中学生のときに『坊ちゃん』を読み、その中の人を罵倒する言葉を羅列するシーンが面白くて、その言葉を覚えようとしたということを書いた。
 実はそのとき、原文を引用しようかと思い漱石全集を引っ張り出した。たしか料亭のシーンだったよな、と思いながら探したら次のような箇所があった。
 「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫っ被りの、香具師の、モヽンガーの、岡つ引きの、わんゝ鳴けば犬も同然な奴とでも云ふがいゝ」
 う〜ん、こんな感じだったけど、もっと長かったよなあ。とページをめくってみたが該当する箇所がない。しかたがないので、引用はあきらめ記事を書いた。
 きのうの夜、眼が冴えてなかなか寝付けなかったので『坊ちゃん』をめくりはじめた。けっきょく、読み終えてしまった。で、あれより長い罵倒のセリフは無かった。この間発見したあのセリフだったのだ。
 中学生の頃、何であんなに腹を抱えて笑ったんだろう。必死に覚えようとしたんだろう。こんなの覚えられるよな、すぐに。
 そのほかにも、いろいろと意外だったことがある。
 まず、キャラクターだ。赤シャツ、狸、うらなり、野だいこ、マドンナ、山嵐、そしてもちろん坊ちゃん、このキャラクターをよく覚えている。というより、この登場人物たちは、私の人間理解の類型を作ってしまったのではないかと思うほど、私の中にいまだに生きている。若者が世間の欺瞞と戦うという、いろんな青春ドラマの原型にもなっている。
 だが、ひとつだけその後の青春ドラマと違うところがある。坊ちゃんが生徒の味方ではない点だ。山嵐は生徒に人望があるが、坊ちゃんは生徒に対する共感は無いし、生徒も坊ちゃんに対する共感は持っていない。むしろ坊ちゃんには、生徒が卑しい連中と映っている。
 また、中学時代に読んだときはあまり気にせず、自然に受け止めていた清という下女の存在が、あらためて不思議に思えてきた。そもそも、物語にはまったく関係が無い。手紙や回想の中にしか登場しない。しかし、清という女性が坊ちゃんの心の支えになっている。家族愛とも恋愛感情とも友情とも違う愛情である。
 それとも関連するのだが、青春ドラマ特有のにおいがない。主人公の若者に新しい時代の息吹というものが感じられないのだ。もちろん若者らしさはある。だが、その若者らしさは新しい時代の価値観を代表していない。むしろ、新しいものに被れた俗物に対する嫌悪が強い。「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫っ被りの、香具師の、モヽンガーの、岡つ引きの、わんゝ鳴けば犬も同然な奴」というわけだ。
 中学生のとき、『坊ちゃん』の「竹を割ったような」明るさに夢中になり、これもきっと面白いぞと期待に胸を膨らませて『吾輩は猫である』を読んで唖然とした。何だかひねくれてややっこしい。
 そのあと高校生になって『心』を読み、漱石はややっこしい事を描いている作家だと考えるようになった。だが、『坊ちゃん』は例外的に明るい小説なのだと思っていた。その後読み返すことも無く。
 きのう読み返して、実は『坊ちゃん』もかなり屈折した小説であることに気づいた。
 ちょっと、漱石を読み返してみようかな。
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2008年09月19日

メタボーグ0096

 こんにちは、メタボリック症候群のクロカワ、人呼んでメタボーグ0096(ゼロゼロクロ)ちゃんで〜す。
 ♪加速装置がカチリと入り
 確かそんな歌詞だったように思う。サイボーグ009の一番最初の主題歌は。だが、ネットで調べた範囲では歴代のサイボーグ009の主題歌にそんな歌詞はない。私の記憶違いかなあ。なんせ小学生の時の記憶だもんな。しかも、その歌を聴いた記憶はなく、『少年キング』の誌面で見た記憶があるだけだ。怪しいもんである。
 とにかく、きょうからメタボーグ0096として生きることになった私は、起きて出かけるときに万歩計を腰に装着した。
 ♪万歩装置がカチカチ入り
 今日一日分の歩数と移動距離を測った。いろいろおかしなこともわかった。
 私の家は、千葉県の某市にある。まず、自宅からJR駅近くの銀行に行って金を下ろし、そこから少し離れた私鉄の駅に向かった。その駅では定期が買えないので、電車で2駅移動し今日からの通勤定期を買った。そして、そのまま電車で飯田橋に向かい、飯田橋で有楽町線に乗り換えて池袋へ行った。池袋の創形美術学校で授業をし、授業後JUNKDOに行き、三つのフロアーをかなり念入りに回った。そして、朝のコースの逆を辿り帰宅した。
 歩数にして11759歩、移動距離は7.055km、消費カロリーは550キロカロリー。なるほど、万歩計という言葉の実感がなんとなくつかめてきた。今日一日で、1万歩を少し超えるぐらいだったのか。でも、これじゃあいつも通りで運動にならないな。万歩というのは老人向けの基準なのかな。
 ただ、万歩計をつけたおかげでいろいろな誤差が気になった。駅でエスカレーターに乗って歩いたとする。ここで、「歩幅×歩数=移動距離」という公式は崩れる。エスカレーターが移動しているので歩いているのは「60cm×5歩=300p=3m」であっても移動距離は10mだったりする。
 もっとも、「歩幅×歩数=歩行距離」であることには変わりない。そうか、万歩計が測るのは身体運動の量で、移動距離ではないんだ。移動距離でいったら、電車に乗っている間はじっとしていても、ものすごい距離を移動しているもんな。
 ところがどっこい、電車に乗って座席に座り歩数を確認した。その時点で4768歩だった。飯田橋から池袋まで4駅座って降りる直前にチェックすると4771歩、座っているだけで3歩増えている。ありゃりゃ。ユレてるのね。
 ユレるといえば汚い話だが、トイレに入って小用が終わったところで腰をフル。胸騒ぎの腰つき。カチカチカチ、ここで3歩。電車の移動と水切りは同じか。
 意外と歩いているのが授業中。学生に実習させながら教室の中をうろうろする。学生がうろうろするのは徘徊だが、教師の場合は仕事だ。授業中はほとんど立ってるし、それなりの足の運動ではある。
 歩数に関しては目標設定をしないと意味なさそうだが、まずは自分の体の動きと周囲の状況のズレを意識するのが面白い。明日も万歩装置を装着してみよう。
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2008年09月18日

万歩計をゲット

 やばい。
 先日受けた健康診断で、腹囲が87だった。
 メタボリック症候群だ。
 夏は水分を取りすぎる。室内に籠りっきりの日もあるが、野外で仕事をすることも多いので、そういう日は水分補給が欠かせない。これは、熱中症対策としては不可欠なのだが、メタボ対策としては困りものだ。
 ひどい日は、4リットルぐらい飲む。甘いものは避け、お茶か水、ごくごくたまに(数日に1本)スポーツドリンクを飲む程度だが、とにかく水腹でぷよぷよだ。
 念のため、今計ったら85cmで、まだ限界ギリギリアウトだ。
 先日、大先輩の画家の葬儀の香典返しを、カタログショッピングの形でいただいた。 
 何をもらおうか考えた末、万歩計にした。自分買うには抵抗がある。だが、志半ばでこの世を去った先輩のことを考えると、体には気をつけなければと改めて思う。だいたい、歩くというのは毎日やることなので、その実態を知りたいとは前々から思っていた。つまり、万歩計は買おうかと思いながら、なかなか買う気持になれなかった物なので、このチャンスに手に入れることにした。
 おととい現物が送られてきた。いま、歩幅と時間の設定をした。私の歩幅は60cm、明日から歩数と距離を測定できる。
 気分は伊能忠敬だ。

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2008年09月17日

シュール、シュール、シュール

 今日は高校で映像の授業。
 女子チームは先週編集が終わったので、今日は次回作の企画コンテ作り。花より男子チームは編集。
 編集しながら「シュール、シュール」という言葉を連発している。シュルレアリスムはともかく、シュールという言葉はすっかり日常語として定着した感がある。
 よく見ていると、編集で前後関係がうまくつながらなかったり、唐突なときシュール・シュールといっている。前衛親父の私から見るとさほど唐突でもないのだが、まじめな高校生のためらいがそういわせているのだろう。かわいいもんである。
 以前教えた専門学校の学生が、自分の作品の面白くもない常識的なギャグをシュールだと説明したときは、とことん問い詰めてやった。ちょっと相手が悪かったな、サイトウくん。
 シュールという言葉が、これほど気軽に使われるようになったのはいつごろからだろう。
 「おいでイスタンブール、人の気持はシュール」。シュールを、シュルレアリスムとは直接関係のない修飾語として使ったはじめの例として、私が記憶しているのは庄野真代のあの歌だ。庄野真代のほかの歌のことはよく知らないのだが、あのフレーズだけは鮮明に記憶に残っている。作詞はちあき哲也。
 実は画学生仲間では、日常的に「これシュールだね」なんていうことは結構あった。文学青年や演劇青年のあいだでもあっただろう。だが、これはスラングに近い使い方で、そういった言葉を使うことで互いに仲間内であることを確認するといったニュアンスも強い。いまのようにテレビなどでも説明抜きに使われるほどは浸透していなかった。あの歌を聴いたとき、そういったスラング的な言葉を使ったところが斬新だと思った。
 その後、シュールが頻繁に使われるようになったのは、お笑いに関してだろうか。特にダウンタウンあたりの笑いをシュールというようになったころから、日常的にも使われる言葉になったように思う。
 私はダウンタウンの大ファンだが、本当に好きだからこそシュールというような言葉で褒めることはしたくないと思っている。
 シュールという言葉がこれほど浸透したのは、「シュール」というゆるい語感の面白さと同時に、実はシュールという感覚がかなり普遍的なものだからではないだろうか。
 この普遍的な感覚と、シュルレアリスムの先鋭的な意識の乖離が、運動としてのシュルレアリスムを終わらせ、シュールな感覚を娯楽や広告やコマーシャルアートの世界に広げることとなったように思う。

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2008年09月16日

クローズアップ現代『コピペ』を見た

 9月1日に放送され録画しておいた『クローズアップ現代』を見た。『「コピペ」〜ネットの知とどう向き合うか〜』というタイトルで、コピー&ペーストの問題を取り上げていた。
 この問題は私もものすごく興味がある。『パクリ学入門』という著書でもこの問題を取り上げた。
 『クローズアップ現代』は、コピペは人間を退化させるのか、進化させるのかという問いから始まる。
 ゲストの脳科学者茂木健一郎は、コピペをすると脳の成長を失うという。脳は様々な情報を編集することで発達する、だから検索やコピペを使うのはいいが、脳も使うべきだという。
 
 番組では2人の人物の情報への向き合い方を紹介する。
 経済学者の野口悠紀雄氏は、コピペを積極的に使う。統計データを表計算ソフトに貼り付ける。データの組み合わせで新しい問題意識が生まれるという。コピペをどういう目的・用途に使うのかが重要だと指摘する。
 教育学者の齋藤孝氏は、著書の中にたくさんの本からの引用することで知られている。だが、引用するときネットからコピペするのではなく、本を読み、三色ボールペンでマーキングし、ペンで書き写す。あるいはPCに打ち込む。その身体性によって、情報に深く集中することができるという。
 一見対極的な2人だが、どちらも、情報をそのまま流用するのではなく、なんらかの変容が加えられている。齋藤氏の場合は受容の仕方が重要であり、野口氏の場合は受容はそのままだが編集によって新たな価値が生まれる。
 
 基本的に、この番組ではコピペをいかに創造や有意義な情報の生産に結びつけるかという観点で作られ、まとめられていた。
 それ自体はまともなアプローチであり、挙げられた事例や結論も予想の範囲である。
 簡単に言ってしまうと、コピペで終わりにするんじゃなくて、そのあと自分で考えましょうということだ。はは。

 私がこの問題に興味があるのは、もちろんこういった実のある創造や「知的生産」の問題としてと同時に、この問題の負の側面にもひきつけられるからだ。
 新聞、雑誌、テレビ、インターネット、流通している情報の大半は、拡大再生産によって成り立っている。テレビのニュースのなど、一日に何度も同じ映像が流される。
 だが、いままで情報を拡大再生産して流通させていたのは、マスコミなどに限られていた。
 コピペはそういった情報の拡大再生産を、誰もがおこなえるものにした。
 コピペが、情報の拡大再生産を支えている潜在的な構造を露にする可能性があるのかないのか、そのことに興味がある。

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posted by 黒川芳朱 at 23:30| Comment(2) | TrackBack(0) | メディアとネットワーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

子どもの絵

 数日前、甥夫婦に息子が生まれた。私とは数日違いの誕生日だ。甥には今年小学校1年生の娘がいて、2人の間は7歳の年の差である。実は、私と姉も7歳の年の差であり、その姉の息子の息子と娘が同じく7歳の年の差というわけだ。
 今日は親戚が集まり、赤ちゃんのお披露目だったが、肝心の坊やのほうはすやすや眠っているばかりで、お姉ちゃんのほうが喋り捲っていた。お絵描きが大好きらしい。
 今まで描いた絵を見せて、と頼むと5冊ばかり自由帳を持ってきて、1ページずつめくりながら見せてくれた。手にとって見ようとするとおこる。順番に見せたいらしいのだ。紙芝居のように、自分がページを開きみんなに見せる。見ずに雑談したりすると「おばちゃん、いいですか」などと注意される。
 ページを飛ばして描いた箇所があると、間が空いていることが気に入らないらしく、その場で色鉛筆でグジャグジャな線を描き、間を埋めようとする。もったいないからあとでゆっくり描きなというと、そこは素直にしたがった。
 後から、描いているのを観察した。『アンパンマン』の絵本を見ながら、キャラクターを模写していく。色鉛筆を使い、まず色面で形をおさえていく。正面向きの平面的なキャラクターはほぼ問題なく模写する。
 とうもろこし人間が、とうもろこしを積んだリヤカーを引いている絵があった。リヤカーは斜めからのパースのついた描き方なので、どうするだろうと思って見ていると、あっさりとリヤカーは縦長の長方形に描いた。このあたりの処理、見ていて実に面白かった。
 子どもから学ぶことが多そうだ。

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posted by 黒川芳朱 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月14日

『ローリー・アンダーソン 0&1』を見た

 久しぶりに、ローリー・アンダーソンのライブパフォーマンス『0&1』のビデオを見た。面白かった。
 日本ではじめに彼女のパフォーマンスがあったのはいつだったろう。80年代の前半だったか後半だったかが思い出せない。ちょうど、パフォーマンスという言葉がアート界で一大ブームを巻き起こしていたときだったのか、その直後だったのか。
 このビデオは1986年の作品だ。記憶ではそれ以前に来たように思うのだが、どうだったろう。そういうこともすんなり調べられるように、部屋の大掃除をしなければと反省しきり。
 時期にこだわっているのは、パフォーマンスブームとの関連で、彼女のライブを見たときちょっとがっかりした記憶があるからだ。
 私は70年代の終わりから、パフォーマンスとワークショップという言葉に新しいアートの可能性を感じ、それらの活動にのめり込んでいた。パフォーマンスという言葉を全面に打ち出したライブスペースPLAN−Bが1982年に設立され、私もその運動に参加した。70年代の終わりから、80年代にかけての私は、パフォーマンスという言葉ともにあった。
 そんな折、ローリー・アンダーソンの来日公演があった。彼女のパフォーマンスは、エンターティメントとしてあまりに洗練され、パッケージ化されていた。私が当時パフォーマンスというものに可能性を感じていたのは、パッケージ化された文化を動的な場に変えることができると思っていたからである。ローリー・アンダーソンのパフォーマンスは、パフォーマンスという運動の終焉を感じさせた。私は、ないものねだりをしていたのだろう。
 その後も、彼女のCDは時々聴いたしビデオも見た。エンターティメントとして楽しむようになった。
 
 久しぶりに観たローリー・アンダーソンは面白かった。私が当時求めていたパフォーマンスとの距離も、よく見えるようになった。
 わたしは、ローリー・アンダーソンにないものねだりをしていたかもしれないが、私の求めていたパフォーマンスそのものがないものねだりだったわけではない。
 私の求めていたパフォーマンスは、私のパフォーマンスとして実現すればいいのだから。距離を知るということは、自分の立ち位置を知ることである。

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posted by 黒川芳朱 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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