まずはメモランダムでストレッチ。
去年のことになるが、『横浜トリエンナーレ』に行くと、映像を使ったインスタレーション作品が山ほどあった。何か違和感を感じた。
映像は簡単に時空を編纂する。時空を俯瞰して、作り手が操作できる。そして、ビデオプロジェクターはかなりのスペースを映像で埋めることを可能にした。インスタレーションの道具としては実に手ごろだ。
子どもの頃、『2001年宇宙の旅』で、類人猿が投げた骨が宇宙船になったのを見た。宇宙や時間が小さくなるようないやな感じがしたことを思い出す。
世界観という言葉の変貌も、このことに関連しているのだろう。自分を取り巻くこの世界をどうとらえるかということが世界観だが、いまはガチャガチャの中に入っている世界観を気分で交換できるような感じがする。
先日、美術家の大串孝二さんとパフォーマンスを行った。『Body Scan』というタイトルで、2007年に続き今回で2回目になる。2007年にこのタイトルをつけたときはあまり意識していなかったのだが、私にとっては、いまの映像のあり方を考えるキーワードになっている。
映像について今考えていることは、映像が時空の編纂を簡単に行えるのだとすると、むしろその細部に、より細部に入っていく必要があるのではないかということがひとつ。もうひとつは、映像の問題を物質や身体を使って展開してみるということだ。
とりあえずきょうはここまで。