2009年08月31日

台風・戦争・怪獣

 台風とともに総選挙が始まり過ぎ去っていった。
 以前から感じていたことだが、台風は日本人のイメージや世界観に大きな影響を与えているのではないだろうか。世界観という言葉は、いまややあんまり使いたくない言葉になってしまったが。
 日本の戦争映画を見ると、戦争が災害のように描かれている。庶民は被害者で、赤紙一枚で戦場に送り出され、残された父や母や妻や子や内地で苦労し、やがて兵士は戦場から帰還する。場合によっては負傷し、トラウマをかかえ、あるいはお骨や形見の品だけとなって。庶民は戦争が過ぎ去っていくのをじっと耐えている。そんな描き方が多い。
 そのことを意識したのは、エミール・クストリッツァ監督の『アンダー・グラウンド』を見たときのことだ。ユーゴスラビアという複雑な歴史を持つ国の現代史を寓話的に描いた作品だが、歴史の中で一般の民衆が加害者にも被害者にもなることを見事に暴き、それでいながら人間への深い愛情に満ちた傑作だ。
 もうずっと前に亡くなった遠縁のおばさんがいる。これもとっくに亡くなった祖母に子どもの頃に聞いた話だと、戦前のことだがその遠縁のおばさんは政治家などの演説を聞いて、その内容が反戦的だったり政府に批判的だったりすると、官憲に「あの人は国家のためにならん」と告げ、官憲に「あなたは立派に人だ」と褒められたそうだ。祖母は彼女を尊敬していたように語った。餓鬼のおれは偉いおばさんだと思って聞いていたが、歴史を知るにつけてとらえ方も変わってきた。だが、子どもの頃親戚に遊びに行くと可愛がってくれたおばさんは、しっかり者の優しい人だったことに変わりはない。
 庶民が単に戦争の被害者だったというとらえ方は、一面的過ぎるように思う。その結果戦争という人的災害が自然災害のように描かれてしまう。そこにある被害と加害という分裂した人間のあり方がすっぽりと抜け落ちてしまう。
 そう考えたとき、戦争が台風のように描かれていることに気づいたのだ。空襲も、原爆も。
 さらにいえば、『ゴジラ』に始まる怪獣映画も形を変えた台風映画だ。南の海からやってきて、日本に上陸し去っていく。
 日本人は大きな変化や社会的な変動を、台風のようにとらえる習性があるのだろうか。自分がそこに加担して起きる出来事というよりは、どこからともなくやってきて日常生活をめちゃくちゃにし、通り過ぎていく。人々をそれをやり過ごす。
 そう考えると、黒船もマッカーサーも台風のようにとらえていたような気もしてくる。もっとさかのぼって、元寇のときに吹いた神風も台風だ。
 何の検証もしていない思い付きと連想だが、日本人のイメージに台風が深く関与しているのかもしれない。少し調べてみるか。
 ところで、今回の総選挙は自然災害ではなく多くの人が加担したという実感を持った事件だった。
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2009年08月30日

責任力という言葉

 政治について語るつもりはない。
 選挙の結果は民主圧勝となった。キャッチコピーでいうと自民党の「責任力」と民主党の「政権交代」の戦いだった。
 政権投げ出し総理大臣を二人も排泄、モトイ排出した政党が「責任力」とか「政権担当能力」をいうこと自体パロディだし、安直な自民党内「政権交代」のおかげで民主党への「政権交代」に対する抵抗感もずいぶん和らいだと思う。この程度だったら民主党でもいいじゃんという機運は高まったね。
 それはさておき…。
 「責任力」という言葉にずっと違和感があった。
 この言葉を聞いてすぐに思い出したのは、赤瀬川源平の「老人力」だ。老人になってくると物忘れがひどくなったり、行動が鈍くなったりする。それを「ボケてきた」とマイナスに表現をするのではなく、「老人力が備わってきた」とプラスの表現をするという反語的なユーモラスな提案だ。これが直接のきっかけだったのかどうか、その後「○○力」という言葉がよく造語され使われるようになった気がする。それ以前はあまりなかったように思う。だが、「老人力」とその後の「○○力」には大きな違いがあった。たとえば、それまでなら「人間性」とか「人間的魅力」といっていたところを「人間力」というように、それらの言葉はあまり反語的ではない。むしろ、肯定的な言葉をより強調するような例が多い。ひねりがなく、ひとことで言うと野暮なのだ。
 さて「責任力」だが、よく意味がわからない。収まりが悪い。「責任」と「力」という言葉はどう結びつくのか。「能力」「協力」「張力」「権力」「握力」「圧力」「遠心力」「購買力」、通常「力」がつく熟語は前にある言葉が「力」を発する源であったり、「力」の性質や状態を表していたりする。「老人力」はあえてマイナスのイメージ(力の衰え)が強い言葉に「力」という言葉をくっつけることでマイナスをプラスに転じる反語だ。
 では、「責任」から「力」は発生するだろうか。あるいは「責任」という言葉は「力」の状態を表しているだろうか。広辞苑を引いてみよう。「責任:@人が引き受けてなすべき任務。A[法]法律上の不利益ないしは制裁を負わされること。その核心は不法な行為をなしたものに対する制裁で、対個人的なものと対社会的なもの及び民事責任と刑事責任がある」。「責任」は受動的なもので、そこから力が発生してくるものとは思えない。
 正統な保守を標榜する政党がおかしな言葉を使うもんだなあ。
 ついでに熟語を引いてみよう。「責任感」「責任者」「責任準備金」「責任条件」「責任年齢」「責任保険」、ウームやっぱり「力」のつく熟語はないな。
 あれ、こんなのがあるぞ。「責任内閣:議会の信任の如何によって進退を決する内閣で、議院内閣制における内閣の条件の一。→超然内閣」。まあ総選挙の結果新しい議会が開かれ、新内閣が信任されるわけだな。今の制度での内閣はすべて責任内閣なんだなあ。でも「力」とは関係ないな。
 あっ、「責任」と「力」の合体した熟語があった。でも間に「能」が入っているなあ。「責任能力:[法]違法行為による法律上の責任を負担しえる能力。自己の行為の結果が不法な行為であることを弁識しえる能力」。事件や犯罪がおきたとき、犯人に責任能力があるかどうかというあれだ。そのために、場合によっては精神鑑定をして責任能力があると認められると罪になるわけだ。
 広辞苑の中に、「責任」と「力」が合体した言葉はこれしかない。そうか、責任力って責任能力のことだったのか。だが、自民党は別に「不法行為」をしたのではなく「立法行為」をして国民に迷惑をかけたわけだ。だから、「責任能力」という言葉は適切ではない。そこで「能」を抜いて「責任力」としたのかな。
 で、自民党には「責任力」ありと世間が認めた結果、罪に問われるのではなく選挙に負けたわけだ。なんだ、そういうことだったのか。
 
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2009年08月29日

ぴあを買ってみた

 ひさびさに『ぴあ』を買ってみた。
 『この惑星』というWebマガジンに、毎月イベントレヴューを書く事になった。引き受けたはいいが、このところ出不精になっている上に、持病の金欠病が悪化して、あまり映画も展覧会も芝居もコンサートも行っていない。友人知人の画廊での個展や踊りやライブ程度で、チケットを予約していくようなものにはほとんど行っていない。そこで、『ぴあ』でも買っていろいろ見に行くものを探そうと思ったのだ。
 この夏に行ったそれらしいイベントといえば『山下洋輔トリオ復活祭』ぐらいだ。これは歴史をライブで目撃する、耳で確かめるという貴重な体験だった。しかも、本人たちが年をとっていたり、死んで代役を立てたりと二重三重の意味で歴史性が絡み、複雑な味わいに満ちた
コンサートだった。
 イベントレヴューを引き受けたのはアーティストが見たイベント評という依頼だったためだ。可能な限り、今アートの現場で何が起きているかといった視点で書こうと思う。そのためには、新しい今を感じさせるものを取り上げよう。
 というわけで『ぴあ』を見っているのだが、まだ勘が戻ってこない。
posted by 黒川芳朱 at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | この惑星 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月28日

自称プロサーファーと自称芸術家

 法ピーが起訴された。
 今回の事件で、久しぶりに自称○○という言葉を聞いた。今さらいうまでもないだろうが、法ピーの夫高相裕一の肩書きが「自称プロサーファー」と報道されているのだ。
 自称○○という言葉を聞くとカチンとくる。嫌な気分になり、ふざけんなという気分になり、バカ野郎ざまあみろテメエラみんな皆殺しだとわけのわからない物騒なことを叫びそうになる。誰に対して怒っているのかよくわからないままに、あたりを走り回りぜいぜいと息が上がる。 わけのわからない怒りは餓鬼のときとまったく同じだが、体力はまるで駄目だ。だが、餓鬼のころよりは少しはものが見えてきた。怒りの対象はもちろん「自称○○」という言い方をしているもの、報道機関であり、その背後にある世間一般の常識に対してだろう。
 まてよ、餓鬼の頃もその程度のことはわかっていたか。
 
 むかしオレは画学生だった。美術学校を卒業すると画学生は何者でもなくなる。誰もそう呼んではくれないので画家を自称する。画家、小説家、詩人、音楽家、芸術家は自称で始まる。
 そういえば、学校を卒業して吉祥寺にアパートを借りようと思って不動産屋に行った。不動産屋で絵描きだといったら、絵描きに貸す部屋は無いといわれた。
 そういえば一時、そのように自称することを自嘲して「画家」とか「詩人」と名のらず、自分から「自称画家」とか「自称詩人」と呼ぶことが流行った。ミニコミ系で。
 だが、これほどバカげた事は無い。誰も呼んでくれないからこそ自称するのに、そのことに照れていてはさらにバカにされるだけだ。
 その後、いくつかの雑誌や新聞などで紹介されるとき、肩書きに映像作家と書かれるようになったが、いまだに誰にも呼ばれないからこそ自称しているという意識はある。
 数年前、PLAN−Bで行われた『山谷 〜やられたらやりかえせ〜』の上映会の後に、その映画の佐藤満夫監督の友人の映画関係者の方のスピーチがあった。佐藤監督は山谷を撮影することで、山谷を縄張りにするヤクザに殺されたのだが、そのことを報じた新聞記事に「自称映画監督佐藤満夫」と書いてあったことに腹がたった、彼は間違いなくプロの映画監督だとその方は話していた。この呼び方には明らかに侮蔑的な意図がある。
 
 ところで、…。
 ゴッホは、生涯自称画家だった。
 いまオレが、何かしでかして新聞沙汰になったら映像作家と書かれるだろうか、それとも自称映像作家と書かれるだろうか。
 どちらが誇るべきことだろうか。
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2009年08月27日

街角が変わった

 あれ…。
 いつも通る交差点、何かが変だ。朝通ったときは何も感じなかったのだが、夕方におなじ所を通ったらどことなくいつもと違う。いつもは目立たない街角が、ちょっとめかしこんだような。
 立ち止まって、ぼおっと見た。
 通り過ぎる人も車も、いつもと変わらない。今日は雨も降っていない。公園の木立も刈り込んだ様子はない。花が咲いたり、何か看板やモニュメントめいたものが立っているわけでもない。
 子どもがチャリンコで走っている。おばあさんがヨタヨタ歩いている。信号が点滅を始めた。信号待ちの車はいない。大丈夫だおばあさんは渡り切った。
 あっ、信号機が違う。新しくなっている。車両用の信号機も歩行者用の信号機も真新しく、光もクッキリしている。隣の交差点を見ると、信号機の灯体は黄色っぽい。あっちはまだ交換していないのかな。
 そしてもうひとつ、ささやかな大変化があった。古い歩行者用の信号機は、緑ないしは赤の光の中に、歩いているあるいは止まっている人型が白抜きで描かれているのに、新しい信号機では、黒い四角の中に人型が緑ないしは赤で浮かび上がるようになっている。このほうが、人型がひきしまって見える。
 街角がちょっと表情を変えたのは、人型のネガポジが反転していたからのようだ。
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2009年08月26日

秋と距離感

 午後3時半ごろ、外を歩きながら友人と携帯電話で話していた。
 「なんか後ろでぎんぎん音がするよ」
 「あっ」
 言われて気づいた。オレのまわりでは蝉が鳴いている。
 「なに?」
 「つくつくぼうし、ほーしつくつく、ほーしつくつく、もういいかいもういいかいもういいかい、じー」
 「あはははは、ほーしつくつく、ほーしつくつく、もういいかいもういいかいもういいかい、じー」
 バカだなあ。あはははは。
 つくつくぼうしは、7月から発生し8月下旬に鳴きはじめる。他の蝉より少し遅れて声が聞こえてくる。暑いだの、夕立だのといっているうちに、確実に秋に近づいているのだ。 
 「過ごしやすくなってきましたね」とは夏から秋にかけての時候の挨拶で、今日も数人の人とそんな会話を交わしたし、テレビの天気予報でもそんな言葉を耳にした。
 過ごしやすくなると、じょじょに距離感が戻ってくるような気がする。暑いときは自分の皮膚とその周辺ぐらいにしか神経が通わない。もちろん遠くも見えているが、見えているだけで、自分とはあまり関係がない。世界は日向と日陰に二分される、ってのはちょっと大げさかもしれないが。涼しくなり始めると、少しずつ遠くのものも細やかに意識できるようになる。遠くのものと自分との関係を意識し始める。
 そんな秋の動向の象徴的な行事が十五夜かもしれない。
 携帯越しの蝉の声で、そんなことに気づいた。
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2009年08月25日

シマウマの世界

 転寝をした。
 夢を見た。
 世界の光景が、シマウマの縞のようになってしまう。太い、不均衡な白黒の縞縞の世界。あれ、これは何だ。あれは何だ。ここはどこだ。あそこはどこだ。どこが境目だ。なぞ解きをしながら歩いていく。
 夢は見ているときは強烈な体験なのに、言葉にしようとするとどんどん曖昧になる。記憶の中でしだいにぼやけていく。
 そういえば、縞縞も縞縞自体ははっきりしているのに、全体としては曖昧なぼやけた世界だ。
 シマウマのようだったのだから縦の縞だ。これはまちがいない。
 歩いていくと、自分の体の一部つまり手や足も視野のなかに入ってきたのだろうか。よく覚えていない。入ってきたとしたら、まわりの世界と自分の手足は分離して見えたのだろうか。よく覚えていない。
 物が動くと縞縞も動く。
 おれたちの目は、視野のなかから特定の対象を選び出し、その対象だけに注視するはたらきがある。たとえば誰かと話しているときは、視野のなかのもの全体を均等に見ているのではなく、話している相手を視野から切り離すように浮かび上がらせている。縞縞の世界でそれがどうなっていたか、思い出せない。
 縞縞のなかの縞縞のなかの縞縞のなかの縞縞のなかの…
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2009年08月24日

にわか雨

 にわか雨にあった。
 夕立というには少し早い時間、3時過ぎぐらいだ。仕事で外にいた。ずぶ濡れになった。30分ほどで止み、日が照ってきた。ずぶ濡れになった服は乾き始めた。だが、完全には乾かずじめついたまま6時ごろ帰宅した。
 
 都会のにわか雨は嫌いではない。山奥のわか雨は遭難の危険性があるが、都会は逃げ場所はいくらでもある。電車に乗れないくらいびしょ濡れになったとしても、ユニクロあたりで上下そろえて着替えることもできなくはない。だから、都会のにわか雨にはちょっとしたわくわく感がある。
 そういえば、おととしパリに上映で行った時、しょっちゅう小雨が降っていたのだが、街で傘をさしている人をまったく見かけなかった。上映の企画をした映像作家のオータくんは、かつてフランス留学をしていたので聞いてみると、そういえばフランス人はあまり傘をささないなあ、といっていた。大体パーカーなどのフードを被ってすませるのだという。そこで、俺もパリにいる間はフランス人かぶれで過ごした。かなりの時間、ちょっと湿った服ととも生活をするんだなあ。ところで『シュルブールの雨傘』は特殊なのかなあ。
 ただ、都会の雨もバカにはできない。あなたはもう忘れたかしら、大雨で神田川が溢れたことを。おれが運営に関わっているライブスペースPLAN−Bがある中野富士見町にも神田川が流れている。そこからずっと坂を上がったところにの地下一階にPLAN−Bはある。あの、大雨のとき、本来は坂を下って神田川に流れ込むはずの雨の一部がPLAN−Bにも流れ込んで浸水した…という。おれはいなかったけど。
 
 雨があがって、水溜りに写った木々と太陽がきれいだった。
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2009年08月23日

ALWAYS 三丁目の寝汗

 俺がむかし小学五年生だったころ、うちの番地は二丁目だった。俺が六年生になって、うちの番地は三丁目になった。わかるかな〜、わかっても興味ねーだろうな〜。
 べつに引っ越したわけではなく、いわゆる住居表示の変更ってやつだ。以来うちは三丁目だ。
 俺がむかし二丁目の夕焼けだったころ、弟は二丁目の小焼けで、親父は二丁目の胸焼けで、おふくろは二丁目のしもやけだった。というのは夕日のような真っ赤な嘘で、おれには弟はいない。おまけにこれはパクリじゃん。ギンギンギラギラ嘘っぱちが沈む。
 時は昭和三〇年代。
 そしてそのころの記憶は、いつのまにか三丁目の夕日ということになってしまった。
 
 今日の夕方、一〇分ほどうとうとした。気づくと首の周りに汗をかいていた。寝汗は冷たくなっていて、異物感があった。自分の体から出たものが、自分の体とまわりの環境の間のズレを証明する。おまけに発汗していたときの意識はない。
 
 この三日ばかり、暑さの記憶ということにこだわったのは、CGで再現された見える記憶、視覚の記憶ではなく、暑さという視覚化や言語化が難しい感覚を、いかに記憶するかということに興味があったからだ。そして、このイコン化もテキスト化も難しい感覚に、戦後どのような変化があったかを再現できないかと思ったからだ。
 それは暑さの戦後史とでもいったらいいだろうか。
 そのほか、匂いの戦後史や、触覚(手触り)の戦後史なども面白い。そういったなかなか形にならない感覚の変化を、いかに記録したり再現したりできるかということに、昔から興味がある。
 このテーマは、思い出したようにポツリポツリと覚書を書いていこう。

 
posted by 黒川芳朱 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体感覚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月22日

そしてまた暑さの記憶

 うちにエアコンが入ったのはいつのことだろう。
 うちのことははっきり覚えていないが、イデのうちのことなら覚えている。
 あれは高校2年の時、2年5組の悪ガキが集まってしょうもないイタズラをしていた。なにをしていたのか、誰かのせいだったのかもはっきり覚えていないが、悲劇が起こった。
 突然、コカーンといい音がして、といってもその音は誰の耳にも聞こえなかったのだが、イデが騒ぎ出した。
 「いてててて、玉打っちまったよ。早く家に帰ってビーバーエアコンで冷やさなきゃ。早く家に帰ってビーバーエアコンで冷やさなきゃ、ビーバーエアコンで冷やさなきゃ、ビーバーエアコンで冷やさなきゃ」
 誰一人としてイデという男の一生を心配するものはいなかった事を考えると、イデが勝手にふざけて勝手に痛い思いをしただけだったのだろう。みんな、おどけて痛がるイデを面白がり、それ以上に股間を押さえながらビーバーエアコンを自慢するイデを笑った。たぶん、あの直前にイデの家にはビーバーエアコンが設置されたはずだ。
 そのとき、まだうちにはエアコンはなかった。だが、イデを羨ましいとは思わなかった。エアコンがある生活をリアルに想像できなかったので、羨ましいという感情も起きなかったのだ。
 その一年後もうひとつエアコンに関する忘れられないできごとがある。
 高校3年になって美大志望のおいらはすいどーばた美術学院の夏期講習に行った。凄まじかった。オンボロ木造校舎のアトリエに恐ろしい人数が詰め込まれていた。肘と肘が触れ合うほどの距離に受験生がびっしりと座り、石膏デッサンをする。中学、高校の人口密度とはまったく違った、亜熱帯講習会に脳みそは完全にヒートアップアップし、朦朧とした意識で真っ白い石膏像を凝視し、木炭紙に木炭をモクモクとなすりつけていた。その時、浪人生らしき奴が「クーラー効かねえなあ」といった。そっか、こういうとき救いの神として現れるのがクーラーか。こうしておいらはクーラーというものと疎外論的な出会いを果たした。
 高校のはじめから通っていた画塾の石野先生にどばた(すいどーばた美術学院)のようすを聞かれた。推定浪人生の言葉を思い出し「すごい人数で、クーラーが聞かなくて大変です」と答えた。すると石野先生は「むかしはクーラーなんてなかったのに、今の子はぜいたくだなあ」としみじみといった。
 そこでおいらはふと考えた。そういえば、クーラーって何だっけ。
 おいらが通っていたのは某都立高校だが、クーラーなどなかった。区立中学も。そもそも、学校は8月は夏休みだ。8月に集団で勉強するとしたら塾や予備校だがそれまで行ったことのある(美術ではない)塾や予備校もクーラーはなかったし、クーラーが無いという不満もなかった。ただ、暑いといって下敷きで扇いだりその程度だった。アイスノンで頭を冷やしながら計算問題や英文解釈をした。
 そもそもおいらは、クーラーの恩恵に浴して、クーラーにどっぷりつかり、クーラーなしでは生きられないの、という生活を送っていたわけではない。
 ただ、初めて体験するあのどばたの人口密度が暑さといっしょになってカルチャーショックだったのだ。そのことを表現するのに、推定浪人生の利いた風なせセリフをちょいと真似てみただけのこと。
 だが、石野先生はベビーブームより少し前の世代だが、おいらたちより受験生の人数は多かったはずだ。だとすると美大受験予備校の人口密度もこんなもんじゃなかったかもしれない。だとすれば、「エアコンが効かなくて大変だ」というおいらのというセリフは、もろもろの意味で理由なき犯行だ、チキンレースだ。
 このときおいらは、実体験の裏打ちのないジェネレーションギャップを勝手に背負ってしまったのだ。
 
 『ブランクエアコンジェネレーション』
 
 うちにもねえし♪
 あんまし浴びたこともねえけど♪
 俺たちゃエアコンエイジだぜ♪
 生な空気なんてまっぴらごめんだぜ♪
 チョイとその暑さをコンディショニングしてくれよ♪
 ちょっとそのムカツク湿気って奴を吹き飛ばしてくれよ♪
 だけどホントはよく知らねえのさ♪
 エアコンて奴を♪

 だが、その後エアコンが生活の中に浸透してくる。あのできごとは、世代というよりおいら自身の感覚の分岐点だったような気もする。
posted by 黒川芳朱 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体感覚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月21日

暑さの記憶

 エアコンが壊れた。
 壊れたのは一階の仕事部屋のエアコンだ。
 二階の寝室はかなり風が通るので、めったにエアコンをつけることはない。だが、一階の仕事部屋はかなり暑い。だが、壊れたので仕方なく窓を開ける。時々すうっと風が通り涼しい瞬間がある。
 ここ数日、朝と夜は少しずつだが過ごしやすくなってきている。そのせいもあって、エアコンに調整されない生活をしている。
 皮膚が生き返ってくる。それは決して快適な状態ではない。皮膚がじわっと汗ばみ、空気の流れに涼しさを感じ、風がやむとじめっとした感覚に戻される。快適というよりはちょっとした野生の目覚めともいえる。
 エアコンが効いていると皮膚はバカになる。皮膚の感性は鈍くなり、皮膚の思考力は完全に落ちてくる。何も考えず毛穴を閉じて口をつぐむ。汗の引きこもり。もちろんエアコンが効いていると頭は冴えてくる。だが、頭が冴えて皮膚はバカになる。
 ではエアコンを切ると皮膚はいつでもりこうになるか。そうとは限らない。炎天下にいれば、皮膚は毛穴を開き、よだれのようにだらだらと汗を出す。
 だが、だらだらと汗を流す状態と、エアコンで汗が引きこもる状態と、どちらがいいのだろう。いや、いいという言葉は適切ではない。どちらがどうなのだろうと無駄口を叩きたいだけで、体にいいとかそんな価値判断をしたいわけではない。ただ、エアコンが切れたことで、ちょっと皮膚感覚が蘇ってきて、それが面白いと感じたのだ。
 エアコンディショナーって考えてみればたいそうな言葉だ。空気を調整してしまうのだ。そしてその結果人間の皮膚感覚は変調をきたしてしまうのだ。なんてこった。
 暑さといえば黒澤明の『野良犬』を思い出す。拳銃を掏られた若い刑事三船敏郎と、ベテラン刑事の志村喬が汗だくになりながら犯人を捜索する。一日の捜索を終えベテラン刑事の家で涼をとる。夏を描いた映画はたくさんあるのに、なぜかこの映画が真っ先に頭に浮かぶ。『野良犬』は汗だくの映画だ。
 この映画の汗は、皮膚は、涼のとり方は健康的だ。体が循環の中にある。エアコンは太陽光線から人を保護するシェルターだ。
 
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2009年08月20日

言語嫌悪症

 またまたずいぶん休んでしまった。
 おいらの言語嫌悪症とネットワーク嫌悪症がむくむくと首をもたげたせいだ。おまけにこの暑さでナマケ心がぶくぶくに肥大し、水分取りすぎで腹がぷよぷよになってきた。むくむくぶくぶくぷよぷよ。ぷ〜よ、ぷ〜よ、ぷよ、崖っぷちの子。子ってこともないか。
 この間に映像に関するエッセイをある雑誌に書いた。一応依頼を受けて書いたのだが、入稿した後にもっと書き直したいような気になっている。まだ掲載誌は出ていない。
 実はそこで書いたのは言葉と感覚の問題なのだが、これも実は言語嫌悪症、ネットワーク嫌悪症に関係があるのだ。
 ちょっとわかりにくいかもしれないが、言語嫌悪症というのはこういうことだ。何か単語を書く、あるいは口にする。そうするとその単語が別の単語を引寄せ、何か意味のある文節のようなものになる。その文節のようなものはまた言葉を引寄せ、文章のようなものになる。このことが耐えられないくらい退屈なのだ。そこに習慣化した言葉の組み合わせや、言葉の持つ法則性によって言葉が言葉を引寄せ自己組織化し意味の体系をつくっていくさまが見えるとうんざりしてくる。まるで単語が納豆の粒のように糸を引いて見える。
 たぶんおいらは、言葉によって考えるだけではなく、感覚によって考えることを欲しているのだ。
 そして、言葉について言えば言葉と言葉がつながって意味を成すのではなく、言葉と言葉がぶつかって火花を散らすような状態を欲しているのだと思う。
 ようするに、新しい芸術を、真新しいリアルを求めているのだということに、いまさらのように気づかされた。
posted by 黒川芳朱 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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