べつに引っ越したわけではなく、いわゆる住居表示の変更ってやつだ。以来うちは三丁目だ。
俺がむかし二丁目の夕焼けだったころ、弟は二丁目の小焼けで、親父は二丁目の胸焼けで、おふくろは二丁目のしもやけだった。というのは夕日のような真っ赤な嘘で、おれには弟はいない。おまけにこれはパクリじゃん。ギンギンギラギラ嘘っぱちが沈む。
時は昭和三〇年代。
そしてそのころの記憶は、いつのまにか三丁目の夕日ということになってしまった。
今日の夕方、一〇分ほどうとうとした。気づくと首の周りに汗をかいていた。寝汗は冷たくなっていて、異物感があった。自分の体から出たものが、自分の体とまわりの環境の間のズレを証明する。おまけに発汗していたときの意識はない。
この三日ばかり、暑さの記憶ということにこだわったのは、CGで再現された見える記憶、視覚の記憶ではなく、暑さという視覚化や言語化が難しい感覚を、いかに記憶するかということに興味があったからだ。そして、このイコン化もテキスト化も難しい感覚に、戦後どのような変化があったかを再現できないかと思ったからだ。
それは暑さの戦後史とでもいったらいいだろうか。
そのほか、匂いの戦後史や、触覚(手触り)の戦後史なども面白い。そういったなかなか形にならない感覚の変化を、いかに記録したり再現したりできるかということに、昔から興味がある。
このテーマは、思い出したようにポツリポツリと覚書を書いていこう。