選挙の結果は民主圧勝となった。キャッチコピーでいうと自民党の「責任力」と民主党の「政権交代」の戦いだった。
政権投げ出し総理大臣を二人も排泄、モトイ排出した政党が「責任力」とか「政権担当能力」をいうこと自体パロディだし、安直な自民党内「政権交代」のおかげで民主党への「政権交代」に対する抵抗感もずいぶん和らいだと思う。この程度だったら民主党でもいいじゃんという機運は高まったね。
それはさておき…。
「責任力」という言葉にずっと違和感があった。
この言葉を聞いてすぐに思い出したのは、赤瀬川源平の「老人力」だ。老人になってくると物忘れがひどくなったり、行動が鈍くなったりする。それを「ボケてきた」とマイナスに表現をするのではなく、「老人力が備わってきた」とプラスの表現をするという反語的なユーモラスな提案だ。これが直接のきっかけだったのかどうか、その後「○○力」という言葉がよく造語され使われるようになった気がする。それ以前はあまりなかったように思う。だが、「老人力」とその後の「○○力」には大きな違いがあった。たとえば、それまでなら「人間性」とか「人間的魅力」といっていたところを「人間力」というように、それらの言葉はあまり反語的ではない。むしろ、肯定的な言葉をより強調するような例が多い。ひねりがなく、ひとことで言うと野暮なのだ。
さて「責任力」だが、よく意味がわからない。収まりが悪い。「責任」と「力」という言葉はどう結びつくのか。「能力」「協力」「張力」「権力」「握力」「圧力」「遠心力」「購買力」、通常「力」がつく熟語は前にある言葉が「力」を発する源であったり、「力」の性質や状態を表していたりする。「老人力」はあえてマイナスのイメージ(力の衰え)が強い言葉に「力」という言葉をくっつけることでマイナスをプラスに転じる反語だ。
では、「責任」から「力」は発生するだろうか。あるいは「責任」という言葉は「力」の状態を表しているだろうか。広辞苑を引いてみよう。「責任:@人が引き受けてなすべき任務。A[法]法律上の不利益ないしは制裁を負わされること。その核心は不法な行為をなしたものに対する制裁で、対個人的なものと対社会的なもの及び民事責任と刑事責任がある」。「責任」は受動的なもので、そこから力が発生してくるものとは思えない。
正統な保守を標榜する政党がおかしな言葉を使うもんだなあ。
ついでに熟語を引いてみよう。「責任感」「責任者」「責任準備金」「責任条件」「責任年齢」「責任保険」、ウームやっぱり「力」のつく熟語はないな。
あれ、こんなのがあるぞ。「責任内閣:議会の信任の如何によって進退を決する内閣で、議院内閣制における内閣の条件の一。→超然内閣」。まあ総選挙の結果新しい議会が開かれ、新内閣が信任されるわけだな。今の制度での内閣はすべて責任内閣なんだなあ。でも「力」とは関係ないな。
あっ、「責任」と「力」の合体した熟語があった。でも間に「能」が入っているなあ。「責任能力:[法]違法行為による法律上の責任を負担しえる能力。自己の行為の結果が不法な行為であることを弁識しえる能力」。事件や犯罪がおきたとき、犯人に責任能力があるかどうかというあれだ。そのために、場合によっては精神鑑定をして責任能力があると認められると罪になるわけだ。
広辞苑の中に、「責任」と「力」が合体した言葉はこれしかない。そうか、責任力って責任能力のことだったのか。だが、自民党は別に「不法行為」をしたのではなく「立法行為」をして国民に迷惑をかけたわけだ。だから、「責任能力」という言葉は適切ではない。そこで「能」を抜いて「責任力」としたのかな。
で、自民党には「責任力」ありと世間が認めた結果、罪に問われるのではなく選挙に負けたわけだ。なんだ、そういうことだったのか。