2009年09月30日

大串孝二「床がない」

 きのう大串孝二さんが言っていた言葉がなかなか印象的だった。
 どんないきさつだったか忘れたが、酒が進むに連れて現代社会論のような話になってきた。まあ別に酒が進まなくても、大串さんと話しているとどっかの時点で現代社会論のような話になるのだが。
 きのうの比喩はなかなか面白かった。
 人間は大地にどかっと寝ているのが基本だ。だが、現代は壁があちこちにでき壁ばかりになっている。人間は壁によって立たされている。壁がいろいろなものを細分化し、いつの間にか足もとにほんのちょこっとしか床がなくなっている、とまあこんな話だった。正確ではないが。
 壁による再分化というのが面白い。そういわれると現代においては、いろいろなものが再分化によって、実体が存在しているかのような幻想を生み出しているような気がしてくる。真っ白い紙に細かな線をたくさん引く。そこに何か実体があるかのようなイリュージョンを生み出す。絵を描くときの基本だが、そんなことが社会的に行われているというわけだ。うーむ、うまい比喩だなあ。
 いろいろ思い当たる節がある。美術だの、映画だの、現代芸術だのというのもいろいろ細かくジャンル分けしたり分類したりすることで、あたかもそこに複雑な実体があるように見せているのではないか。だだっ広い空間にパーテーションをいっぱい建てる、中にたいして物はなくとも壁が空間を区切ることでそれが実体に見える。
 そういえば、千葉の郊外を車で走っていると「巨大迷路」という施設を時々見かける。畑の真ん中とか、だだっ広い空き地のようなところに。客は入るのかなあ。空間を壁で区切るだけでできるレジャー施設だ。現代社会はベニヤで区切られた巨大迷路か。
 そして、ポイントは床がなくなっているということだ。
 鮮明なイメージなので、ついいろいろなものに当てはめてみたくなる。あてはめては納得してしまうアナロジーの罠には気をつけよう。そういえば安倍公房に『壁』って小説があったな。
 そんなことを考えていたら、なぜかあまり好きではない歌のメロディが浮かんできた。

都会では
売れ残った
マンションが増えている
けれども
問題は足の裏
床がない


posted by 黒川芳朱 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ひろった名言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月29日

藤山貴司さんのこと

 久しぶりに大串孝二さんと会った。来年の9月に開催される画家藤山貴司さんの新作展で、僕と大串さんでパフォーマンスをやらないかというお誘いを藤山さんの奥さん、麻美さんから受けた。そこで3人で会ったのだ。
 なぜ本人ではなく奥さんかというと、藤山貴司さんは去年の8月に亡くなっている。彼が亡くなる前に作っていた作品を、麻美さんは遺作展ではなく新作展として発表したいというのだ。僕と大串さんのパフォーマンスも麻美さんの発案である。彼は素晴らしい大画面の絵画を描きつづけたが、死の直前に作った作品は不思議な立体作品だ。
 麻美さんは、僕らのパフォーマンスも、オマージュではなく、藤山さんを生きた作家として扱って欲しいという。これには大賛成だ。
 かつて、スタン・ブラッケージの回顧展を日本で開催したとき、私は実行委員の一員として『リスポンドダンス』という、さまざまなアーティストが自分の作品をとおしてブラッケージとの対話するという企画を担当した。アーティストに交渉するに当たって、オマージュではなく本気の対話をしてください、対決でもかまいませんと説得した。
 このパフォーマンスを単なる追悼の儀式にするつもりはない。なんらかの形で藤山貴司という画家を浮かび上がらせなくては意味がない。表現を通した藤山貴司論を展開したい。これが有名人同志なら見る人の中にある程度の予備知識もあり、イメージを膨らませ易いかもしれない。だが、さほど有名ではない優れた画家へ、さほど有名ではないパフォーマーがどう対話を試みるか難問だ。
 一年あるが、さっそく考えよう。 
posted by 黒川芳朱 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月28日

空気が読めないと語る人

 おそらくおなじ会社の人なのだろう、電車の中で人の噂話をしている人たちを見かけた。彼らは共通の知人について、あれこら批評している。中の一人が、結局彼は空気が読めないんだと語った。だが、その人の言うことを聞いていると、ピントがずれているのは空気が読めていないと語っている当人で、噂されている人は普通の人のように感じられる。そもそも、電車の中で大声で他人の噂をしている時点で、空気が読めてないわけだが。
 似たような言葉に「常識がない」というのがある。あの人は常識がないなどという。だが、これもそういっている当人の話を聞くと、どっちが常識がないんだか怪しくなってくる。
 結局、人はそれぞれ自分勝手な常識というものを想定しているようだ。常識というと、ある程度普遍性をもった共通認識のように思うが、実は私たち一人一人がもっている常識とは、非常に個人的なものかもしれない。もし、世界中の人の頭の中の常識を見てみると、歪んだ考えばかりかもしれない。
 人は自分の考え方、感じ方からなかなか逃れることはできない。そんなことを電車の中で考えた。
posted by 黒川芳朱 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月27日

手塚治虫作品集を見た

 久しぶりに手塚治虫の実験的な短編アニメーション作品集を見た。夜中、無性に見たくなり2時間通してみた。
 収録作品は『ある街角の物語』『人魚』『しずく』『展覧会の絵』『ジャンピング』『おんぼろフィルム』、さらに『おす』『めもりい』の二作品もごく短い抜粋が入っている。また、手塚治虫のインタビューも収録されており、たっぷりと手塚ワールドに浸った。
 私が感じる手塚漫画の特徴は、作品がかもし出す感情の豊かさだ。ひとつの作品に笑いもペーソスも勇敢さもかわいらしさもある。さまざまな感情が込められている。シリアスなストーリーの漫画にもユーモアがある。場合によってはストーリーの雰囲気を壊すのではないかと思われる「おむかえでごんす」とか、「ひょうたんつぎ」といったキャラクターが登場する。そういった手塚作品の特徴は、これらのアニメーションにも感じられる。
 だが、漫画との違いも大きい。私は自分の人格の何パーセントかは手塚治虫の影響で形成されたと思っている。小学校のときは毎月『少年』をとっており『鉄腕アトム』は雑誌掲載時にリアルタイムで読んでいた。中学に入って『COM』をとるようになり、『火の鳥』もリアルタイムで読んだ。だが、こういった漫画の手塚治虫と短編アニメーションの手塚治虫では明らかに違う。短編アニメーションには、漫画にはない異質なものが混じっている。
 まず、手塚治虫といえばその巧みなストーリー作りに特徴がある。ストーリーがしっかりとあるので、さまざまな遊びや実験が可能になる。だが、これらの短編アニメーションにはそれほど強いストーリー性はない。はっきりとストーリーがあるのは『人魚』、ストーリーらしきものがあるのは『ある街角の物語』だ。ストーリーに重点はないが、ショートショート的な意味での「オチ」があるのは『しずく』である。つまり、これらのアニメーションはストーリーに頼らずに作品を構築しているのだ。こういった作品は手塚作品としては珍しい。
 また、絵柄が実に多様な実験を行っている。漫画でこれほど多様な絵柄は見たことがない。実は手塚治虫のインタビューでその秘密は語られている。手塚治虫はこれらの作品で、全体の枠はきめるが細かい部分はアニメーターに託しているという。絵コンテを描いて、あとはアニメーターにお任せということも多かったという。そして、そこでそのアニメーターの作家性が出てくることをよしとしていたらしい。手塚治虫は、若いアニメーターを育てるというサービス精神、というようなことをいっていたが、それが面白い結果を生んだと思う。『ある街角の物語』のモダンデザインふうの様々なポスター。『展覧会の絵』のスタイルや時代を異にするたくさんの絵画。なかには今で言う「ヘタウマ」のような絵画もあった。これらは各アニメーターが、様々な実験をこらした結果だろう。『しずく』の渇きの表現も絵として面白い。
 夜中に見たのでやや朦朧として気持ちよい中での鑑賞だったが、これらの作品については今度じっくり考えてみたい。 
posted by 黒川芳朱 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

レッドカーペットで見たピース

 しばらく前に、『レッドカーペット』という番組で見たピースというコンビが気になってしかたがない。その時は、「想像してごらん」という言葉がキーワードになっているネタをやっていた。このネタの正式名称は知らないが、面白かった。
 ひとりがスパルタ教師風のいでたちで登場し、「最近の若い奴は想像力が足りないんだ。今日は先生をお呼びしているからちゃんと創造する様に」という。そこで『イマジン』がかかり、ジョン・レノン風の男が登場し「想像してごらん○○な○○を」という。それに対してスパルタ教師がツッコミを入れる。面白いのは、想像してごらんといわれると本当にこっちが想像してしまう点だ。だから、ボケとツッコミといっても、通常のボケとツッコミではなく、想像してごらんといわれて想像して自分に対するツッコミという感じが新鮮だ。気になるもうひとつの理由が、オチのもって行きかたが独特なので、他ではどんなオチなのかが「想像できない」からだ。
 気になってネットで検索してみると、コントも漫才もやっているらしい。いまのところ単独DVDは出ていないようだ。出たら、ぜひ見たい。
 
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2009年09月25日

授業とPLAN−B

 某専門学校にて授業。講座名は「ノンリニア編集」。まあ、いまさらノンリニアとつける必要もないのだが、かつての名前が踏襲されている。
 今日の授業内容は先週撮影した素材を使い、イマジナリーラインや対話の編集、アクションつなぎなどを編集しながら学ぶというもの。おなじ素材で、微妙にタイミングをずらしニュアンスの違いを実感する。敏感に反応する学生もいれば、ピンと来ない学生もいる。敏感に反応する学生が必ずしも伸びるとは限らない。卒業生を見ても、在学中は一見鈍そうで物分りの悪かった学生がのびていたりする。このへんが人間の複雑で面白いところ。もうひとつ、教師をやってわかったことは才能がある奴やセンスのいい奴は実は腐るほどいるということ。それを伸ばしたり継続出来る人間が少ないということだ。
 午前と午後でふたクラスの授業を終え、PLAN−Bへ。今日は相倉久人さんの『パフォーマンスジョッキー 重力の復権』。きょうは入りがギリギリになりそうだったので、実はきのうの夜機材のセッティングはしておいた。
 17時半に着き、掃除。素材の頭だしなど軽く準備。相倉さんは18時入りの予定だが若干遅れてぎみ。新宿からバスでみえるのだが、この時間中野通りはえらく混むことがある。到着、やはり「大渋滞だよ」とのこと。私も何度も中野通りの渋滞は経験したことがある。歩けばなんということもない距離がまったく進まず、かといってずっと歩くとそれはとんでもなく時間がかかるし、にっちもさっちも行かなくなる。バスや車の車窓から見る風景は、そのときはえらくあせって入るからそんな風に感じる余裕はないのだが、後になって思い出すとと見慣れた町がニュアンスを一変していて面白い。
 きょうのパフォーマンスジョッキーは、想像、妄想、嘘といったことがテーマ。本番前の打ち合わせは時間ギリギリになったが、本番は滞りなく終了。その後、お客さんを交えて茶飲み話。
posted by 黒川芳朱 at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月24日

『この惑星』の連載が始まる

 『この惑星』というWebマガジンでイベント・レビューの連載を始めるという予告は数日前からしてきた。
 いよいよ今日から掲載される。タイトルは「アーティストアイズ」。映像、映画、美術、音楽、演劇、取り上げるイベントのジャンルは自由でいいという。月に一回の連載、私自身楽しみにしている。次は何を取り上げようか。批評家やキュレーターや研究者の視点ではなく、アーティストが同時代のアートを語る。この運動感を重視していきたい。運動、ムーブメントという言葉は隔世の感がある。だが、私がアートに関わっているときは常に、綱領も無く形にならないムーブメントに参加しているという意識でやってきた。
 そもそも近代の芸術運動は、批評と表現がともにあった。多くの場合そこに宣言文=マニフェスト(ああこのコトバ使いたくねー)も加わるが。現在、芸術に関して宣言文を書くようなひとつの方向性は見出すことが非常に難しい。だが、近代以前のように、芸術のあり方がかなりはっきりした形で社会に根付いている時代でもない。むしろ、宣言文も書きにくいくらいばらばらな試みが、あちこちで行われているといってもいいだろう。
 こういう時代こそ、表現と批評がともになければならない。あちこちで行われているばらばらな試みに何か共通性を見出したり、似ているような事象の中に相違点を見出したりしながら、アートが何を孕んでいるのかを探して行きたい。表現と言葉をたずさえて、見えないムーブメントに参加しよう。
 この文中の『この惑星』という文字ををクリックすればそのページに飛びます。ぜひご一読ください。
posted by 黒川芳朱 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | この惑星 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

「アニメの殿堂」建設中止だってさ

 朝日新聞の朝刊によると、川端達夫文部科学相が「国立メディア芸術総合センター」の建設を中止すると発表した。ハコ物をやめてメディア芸術全体の振興策を検討しなおすよう事務方に指示したという。
 麻生政権の最後っ屁政策について云々する気はない。そもそも、せっかく元気のいいマンガやアニメが国の保護を受けてどうなるのだろうという思いがあった。
 歌舞伎のようになるのか、相撲のようになるのか。マンガやアニメやゲームはそれを求めているのか。
 国と芸術についてはよく考える必要がある。文化助成が必ずしも芸術を発展させるとは限らない。だが、芸術は多くの場合国家権力と結びつくことで継続してきた。芸術と権力の関係は、複雑で一筋縄ではいかないのだ。
 少なくとも、芸術史は権力に結びついた芸術についての物語だ。劇的な変化は国家権力とはかけ離れてところで起きたとしても、それを芸術史に飲み込み、維持発展させてきたのは権力のバックアップがあってのものだ。有形の芸術についてはこういって間違いないだろう。ルーヴル美術館を見るとそのことを思い知らされる。
 その陰で、消えて行った絵や彫刻や工芸品は膨大な量だ。有形の芸術ですらほとんどは消えていく。ましてや無形の芸術、歌や器楽や踊りはごくわずかなものだけが、かろうじて継承されながら残っている。無形の文化の継承に権力のバックアップがあることもある。それとは無縁に、民衆の中で継承されてきたものもある。
 ところで、そうして継承された歌や踊りが、本当にむかしと同じであるかは誰もわからない。
 権力と結びついた芸術が硬直し形式化しやすいことも事実だが、権力と結びつかない芸術が消えて無くなりやすいのも事実だ。もちろん、歴史の中にはどちらの例外も多々ある。
 数週間前にノーマン・マクラレンのDVDを見直したのだが、今なお新しい感動がある。イギリス生まれのノーマン・マクラレンは1941年、カナダに設立された国立映画制作庁長官の招きで、アニメーション部門の責任者として赴任する。映画を作る官庁だ。そして、たくさんの名作を作り、多くの作家を育てた。DVDの中には政府の政策の宣伝のための作品も入っている。公共CMだ。DVDを見ながら、ふと「アニメの殿堂」という言葉がちらりと頭をかすめた。マクラレンの映画はけっして権力的な作品ではない。自由で、アヴァンギャルドで、それでいたユーモラスで、多くの人が楽しめる作品だ。だが、マクラレンがカナダの国立映画制作庁に職を得ていなかったら、これほど多くの作品は残っていなかったかもしれない。少なくとも、作品の傾向はこれほど多岐に渡ることはなく、ある程度の映画制作のシステムを必要とするような作品は生まれなかっただろう。
 私が敬愛する映画作家スタン・ブラッケージは、作品数はたくさんあるが、貧乏人でも作れるようなタイプの作品だった。ただし、あの本数を作るんのは大変だったろう。生涯生活は苦しかったようである。
 国立メディア芸術総合センターとか、メディア芸術全体の振興策といわれても曖昧模糊としていて、ピンとこない。そもそもメディア芸術は文科省の管轄なのか、それとも経済産業省の管轄なのか。
 文化助成を求める声は、現代美術や音楽の世界でも昔からあった。たしかに、欧米と比べて日本の現代芸術への助成は貧弱だ。だが、欧米から来る現代美術や実験映画を見ると、年末の道路工事のように、助成金貰ったから予算消化するために創りましたといった感じの作品が多々ある。その点、日本の作品はギリギリで作られているせいか緊張感があるものも多い。助成があながち作品にいい結果をもたらすとはいえない。
 特に結論はない。この問題については、たぶんいつ書いてもこんなことになるだろう。芸術はいつの時代も矛盾真っ只中にいる。生きる原動力は矛盾であり、矛盾の凝縮こそが芸術なのだ。
posted by 黒川芳朱 at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

『聖なるうそつき』を見た

 ピーター・カソヴィッツ監督、ロビン・ウィリアムズ主演の『聖なるうそつき』を見た。面白く、いろいろなことを連想した。
 第二次世界大戦時のユダヤ人ゲットー、ナチの支配下、収容所行きの列車が来るまでの絶望的で静かな日々。ゲットー内では自殺が絶えない。住民にラジオを持つことは禁止されている。ひょんなことで司令部に入ったときラジオ放送で、ソ連軍が近くまで迫っていると知った主人公がそのことを親しい若者に教える。これが、いつの間にか彼がひそかにラジオを持っているという噂になり、ゲットー中の人々に知れ渡る。主人公は仲間たちに希望を与えるため、仕方なくラジオをもっていると嘘をつき、日々でっち上げのニュースを語る。
 ユダヤ人と希望を持つための嘘というシチュエーションは『ライフ・イズ・ビューティフル』を思い出す。また、戦争という極限状況でのラジオといえば『リリー・マルレーン』があった。戦時下のドイツ側の放送で流れた歌が、敵味方を超えて愛唱される。制度をはみ出していく人間、夢、想像力、嘘。
 おっといけねえ。ロビン・ウィリアムズとラジオといえば『グッドモーニング・ベトナム』があった。あれも戦場でのラジオだ。
 この映画の主人公は善意で嘘をつくわけだが、閉ざされた状況の人々に、あたかも外部の架空の組織とつながりがあるかのような嘘をつき彼らを支配した男もいる。『悪霊』のスタブローキン、そのモデルとなったネチャーエフ。
 霊界から新聞が舞い込んでくる『恐怖新聞』なんてマンガもあったな。目に見えない、耳に聞こえないか、形にならないメッセージが新聞というメディアの形をとって現れるのが面白かった。
 架空の放送というのはギリギリだなあ。主人公が少女にラジオ放送を聞かせてとせがまれ、彼女の後ろでラジオのまねをするシーンが面白い。芸達者なロビン・ウィリアムズならではだ。
 人々の希望を与えようと必死に嘘をつく主人公に、語り部とか詩人というものの原形を見た感じがする。
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2009年09月21日

『1960年代の東京』という本を買った

 敬老の日、お袋への粗品に『1960年代の東京』(撮影:池田信)という写真集を買った。東京の街並が細かく撮影されている。
 この手の本は何冊かもっている。きょう買った本は毎日新聞社から出ているが、朝日新聞社からむかし出た『東京この30年 変貌した都市の顔 1952〜1984』という本は、題名のとおり同じ場所の52年あたりの風景と83、4年の風景を対比させている。だがこれも26年前か。
 この本はメインが航空写真だが、ところどころビルの屋上ぐらいのやや低めの位置から撮られた写真がある。昭和27年の渋谷駅前、人もまばらで車も数えるほど。高い建物といってもせいぜい3階か4階建て、ほとんど2階建てだ。昭和58年の写真と比べると、残っている建物はない。だが、建物は違うが昭和27年にも三千里薬局は建っている。
 きょう買った『1960年代の東京』はほとんど路面から撮った写真だ。より町のディティールに入っている感じがして面白い。路面が舗装されていないところが多い。遠くが見渡せる。そして、風景の中に水がたくさん写っている。そうなのだ、首都高が出来る前は東京は水の都だった。いまも川はあるが、風景の中で生きていない、死んでいる。
 ところで、この写真集を見ながらおかしな気分になった。シャッターを押すとき、おれはそれを記憶に残そうと思って撮っていない。思い出にしようなどと思っていない。新しいものを感じ、いまという瞬間にシャッターを押している。だが、それが残ることで価値が出てくる。写真のすべてとはいわないが、古いことで価値のある写真というものは確実にある。いまという瞬間を記録し、永遠に残すことができるというようなレトリックも使えるが、ギタリストがギターを弾きいまという瞬間に音を出すこととは根本的に違う。できた写真をいろいろに解釈することはできるが、やっていることは100パーセント何かのいまの姿をとどめることだ。
 だから、すべて消えてしまえと思うときがある。これから撮るもの撮るという現在形の行為にしか興味がなくなる。少なくとも、撮る行為は対象との交感の中で成り立つ。演奏にも近いライブパフォーマンスだ。
posted by 黒川芳朱 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月20日

文章の完成とは

 やれやれ、やっとできた。きのう書いた『この惑星』の原稿のことだ。あれから推敲を繰り返し、今日の昼にやっと完成した。
 今朝の10時ぐらいから、言葉が勝手に動き出してまとまり始めた。その感覚をちょっと記述するのは難しい。そして、完成した時、達成感はやってくる。
 だが、映画や絵や立体を作ったときとは達成感が違う。映画や絵や立体は物としての手触りがある。同じ映像でもフィルムとビデオでは物質性において違いがある。フィルムは絵が物として見えるのに対して、ビデオは情報としてモニターやディスプレーでしか見れない。だが、それでも文章と比べるとずっと物質感がある。
 映画や絵や立体は、ある瞬間からそれそのものが物として自己運動をはじめ、細部がどんどんどれに吸い込まれていく感じがある。きのうも書いたように、文章も特に原稿用紙で推敲を重ねるうち、じょじょにそれ自体が自立し単語を吸い込んでいくようになる。
 だが、やはり達成感に違いがある。言葉は何処までも抽象的で、ものの手触りがない。完成に近づくにしたがって徐々にあるまとまりを形作り、無駄なものを排除し始める。そのまとまりにある種の手触りはあるが、観念とかシステムとかの手触りだ。手触りのない手触り。仮構の手触り。
 言葉はやはり宇宙から来たヴィールスか。
posted by 黒川芳朱 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月19日

推敲について

 終わらない終われない。
 あ〜〜〜〜〜終わった。いやだめだ。
 先日お知らせしたWebマガジン『この惑星』の原稿の締めきりだ。
 いや、締め切りは過ぎて伸ばしてもらったのだ。ははは。
 きのう書きあがってはいたのだが、ちょっと長くて気に入らなかった。長さだけの問題ではなく、浮かび上がらせたいものがうまく浮かび上がって来なかった。こういうときは長さという外的制約が文章を締め上げてくれることがある。
 それにしても原稿用紙で文章を書いていたときと、ワープロで書くようになってからでは推敲というものが、かなり違った体験になってきた。原稿用紙時代はとにかく時間がかかった。全文書き直したり、ごそっと文節を移動したりするのときは活かせる部分を切り張りしたり。けっこう激しく推敲するたちなので、苦労した。なぜ激しく推敲するかというと、自分が書いたものにすぐ飽きちゃうからだ。ただ、原稿用紙での推敲が時間がかかる分、文章の中に魂が入りやすかった。ちょうど、粘土で彫塑を作っている感じだ。うまくいきだすと粘土が吸い付いていくように単語が文脈に吸い付いていく。
 ワープロでは細かい字句の修正も、大幅な段落の入れ替えも簡単にできる。だが、これが罠だ。おれのようにすぐ自分の文章に飽きる人間は、書いた先から推敲したくなる。結果全然進まない。そして、文章に一貫した勢いがなくなる。メロディラインが決まらないまま、アレンジばかりあれこれいじっている感だ。レゴで何かを作っている感じにも似ている。
 いけねえ、こんなこと書いている場合じゃない。原稿書かなきゃ。
posted by 黒川芳朱 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

ゆずのシングル

 金曜日なので某公立高校で授業。
 芸術科の3年生で映像の授業を選択している生徒が対象。共同制作のアニメーションが完成に近づいている。分担作業なのですでに自分の仕事が終わっている生徒は、卒業制作の企画を立て始める。
 一人の女子生徒が、ごく普通の子の日常的な世界を描いたアニーションを作りたいという。まずなんでもいから思いつくことを絵や言葉でメモしてごらんという。芸術科なのでみんな絵を描くのは得意だ。せっせと女の子の絵を描き始め、水彩色鉛筆で色を塗り始める。
 そこでちょっとアドバイス。この子の年齢は? 家族構成は? 得意学科は? 苦手な学科は?などと質問してみる。するとうーん、高校2年生、お父さんとお母さんと弟がいる、数学が億位で音楽が苦手、などと答えながらキャラクターを作り始めた。もうひとり卒制の企画を考えていた子が煮詰まり、この子のキャラクター設定に付き合いだす。面白そうに2人でおしゃべりしながらメモをしていく。
「うんと普通っぽい子がいいんだ」
「お父さんの仕事はリーマンだよね」
「ちょっとお金持ち」
「彼氏は中学のときちょっと付き合いそうになった子がいるんだけど、うまくいかなくて、それ以来いない」
「あー普通っぽい」
 だんだんはまってきたようだ。
 そこで私がどんな音楽が好きなのかと質問。
「ゆず」
「あー、普通だね、いいね」
私がさらにどのぐらい好きなのか聞くと「どのぐらいって…」と困っているので、「たとえばCD何枚もってるの」と聞く。
「シングル3枚」
「普通、普通」
 つまりものすごく好きなわけではないらしい。シングル3枚のうち、2枚はTUTAYAで買った中古だという。でも日曜日には何をしているかというとゆずを聞いている。
 ここで私ははっとした。
 私の周りは音楽好きばかりで、シングルを3枚しか持っていない人はいない。だが、世の中には確かにこういう人もいるはずだ。ましてや高校生なら小遣いも限られている。
 
 ここでタイムスリップ。
 ふりかえってみると、父も母も音楽を聴く習慣がなかった。父は若いころは三味線を弾き長唄か何かをやっていたらしいが、レコードを聴くようなことはしなかった。時々ラジオはかけっぱなしにしていたが、かけっぱなしなので特に音楽を聴いていたわけでもない。母はしょっちゅうでかい声で鼻歌を歌っているが、これまた音楽鑑賞などしない。そんなわけでうちにはステレオがなかった。
 ただし、中学のころ英語のソノシートを聞くためにポータブルステレオ買ってもらった。ちゃんと、スピーカーは二つあった。中学のころからラジオの深夜放送を聴き、音楽も聴くようになった。高校生になって、初めてレコードを買った。ジョン・レノンの『ジョンの魂』だ。そのあと『イマジン』を買い、それからビートルズを集めだした。ビートルズはラジオで聞いていたが、レコードを買ったのはジョンのソロのほうが先だ。
 レコードを集めだしたころは少ないレコードを繰り返し聴いたな。
 
 ここで生徒の設定した普通の女子高生に話はもどる。名前はサエコと決まった。
 世の中には酒を飲む人、煙草を吸う人、スポーツが好きな人、スウィーツが好きな人などさまざまな嗜好がある。酒は好きだけれどたくさんは飲まないという人もいる。スポーツ好きもプロ並みの本格派もいれば、たまにキャッチボールをするだけで満足する人もいる。
 そう考えると、3枚のゆずのシングルを繰り返し聞くことで、満足できる女子高生もいるだろう。私や私の周辺とあまりに隔たりがあったため、シングル3枚と聞いたときは思わず笑ってしまったが、虚をつかれた思いだ。
 日曜日の午前、サエコはゆずを聞きながら何を見ているんだろう。何を感じているんだろう。どんな気持になるんだろう。充実しているんだろうな。
 生徒の作品がどうなるか楽しみだ。
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2009年09月17日

『ゴーギャン展』に行ってきた

 竹橋の近代美術館に『ゴーギャン』展を見に行った。
 開館時間の少し前、9時50分に着いたが、すでにチケット売り場には長蛇の列。といっても5分ほどで購入できたが、ちょっと気がめげる。
 気を取り直して中に入ると、混んではいるが鑑賞に支障はない。
 今回の目玉は、なんといってもボストン美術館蔵の遺作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』だ。正直言ってこの作品の鑑賞には、あまりいい展示状態ではなかった。
 この絵は縦139.1cm、横374.6cmと横に長い。広い展示室にこの絵が置かれ、鑑賞スペースはロープで絵に対して平行に二つに区切られている。
 絵に近いほうのスペースは、絵に平行に三列ほど人が並ぶことができる。ここでは観客は移動しながら鑑賞する。近くで見ることはできるが、照明が反射して見にくい部分がある。画面右から三分の一ぐらいのところにいる赤い服を着た二人の女は、そもそも暗めの色調なので沈んでいる上に反射が被ってしまう。
 後ろのスペースは止まってじっくり鑑賞することができる。だが、前の移動する人の姿が絵に被り、全体を一望することはできない。画面下半分は人の移動で見えたり見えなかったり。
 この絵は全体に暗い色調で、色彩が立ってくる絵ではない。また、思索的な絵なので、移動しながら見るよりは、じっとしてあちことと画面の中を視線を泳がせるように見たほうが愉しめる。そういう意味では、今回の会場のコンディションはちょっと厳しかった。せめて後ろの席に段差があり、前の人が被らずに全体を一望できると良かったのだがないものねだりかな。オリジナルに触れたことで満足しよう。 
 後ろのスペースに立って眺めながら、絵の前を通り過ぎる人々に目を移すと「この人たちは何処から来たのか この人たちは何者か この人たちは何処へ行くのか」という言葉が浮かんだ。おれもその一人なんだけどね。
 ほかに面白かったのは、ゴーギャン自身が書いたタヒチ滞在記『ノアノア』の連作版画だ。『ノアノア』ほ岩波文庫にも入っている。その中に挿入されている版画に摺りの違う三つのヴァージョンがあった。当然版木は同じで、ゴーギャン自身の摺ったもの、友人のルイ・ロアが摺ったもの、四男のポーラ・ゴーギャンが摺ったもの。岐阜県美術館所蔵の数点とボストン美術館所蔵の数展を並べて展示することでその違いが明らかになった。これがおなじ版画かと思うほど印象が違う。ゴーギャンの自摺りは闇の深さを表現しようとしているかのようであり、ルイ・ロア版は色彩のコントラストが激しく、ポーラ・ゴーギャン版ではモノクロで版木のディティールまで再現され鉛筆画のようだ。版画という複製芸術で、これほどの違いが出ることがとても興味深い。
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2009年09月16日

『メカスの映画日記』を読みながら

 『この惑星』というWebマガジンにイベント情報を書くことになった。映像、映画、美術、音楽、演劇ジャンルを固定せず、自由に書いていいという。書くに当たって念頭にあるのは、いまリアルなものとは何かということだ。写実ということではなく、いまというものをヒリヒリ感じられるかということに重点を置いて書いていきたい。
 そんなこともあって、ジョナス・メカスの『メカスの映画日記』を本棚から引っ張り出しペラペラめくってみる。この本は、メカスが『ヴィレッジ・ボイス』に書いた「ムーヴィ・ジャーナル」というコラムをまとめた本だが、そこには新しい映画を求めるメカスの初々しく痛切な気落ちが刻み付けられている。
 1959年、今から50年前、メカスはこう記している。
 「われわれは、たとえ完璧ではなくとも、より自由な映画を求めている。―古い世代には望むべくもないが―若い映画作家だけでも荒々しく、アナーキーに自分の殻を打ち破り、真に脱皮していけばよいのだ! 形式的な映画感覚を完全に錯乱させる以外には、、この凍てついた映画制度を破壊する道はない」。
 この、新しい映画への激しい希求の骨格をなしているのは、こんな言葉だ。
 「私は地方主義者だ。それがありのままの私だ。私は常にどこかの場所に所属している。どこへでもいいから私を置き去りにしてみたまえ。渇いた、生き物などまったくいない、死に絶えた、そこで暮らしたいと思う人など一人としていないような不毛の土地に―私はそこで育ち始め、瑞々しくふくらむだろう」。
 メカスはリトアニアからの移民だ。アメリカに生まれ育った人ではない。その彼が自分は地方主義者だと宣言している。地方とは自分自身がいる場所のことだ。自分自身のいる場所で生きることで、はじめて世界にも働きかけることができる。「私には、いまとここしかない」とも書いている。
 メカスは単に新規な映画を求めているのではなく、いまここに生きることと密接につながったものとして新しい映画を求め、その結果、自分自身も映画を作ることに向かった。
 メカスがこれを書き出した50年前と違い、新しさはそこかしこに溢れているようだ。新しいことはやりつくされ、もはや表現の飽和状態だという人もいる。本当にそうだろうか。50年前であってももうすべてがやりつくされた感はあったはずだ。私たちは毎日新しく生まれ変わっている。だとしたら、そんな私たちにとってリアルの表現は日々新たに作りださなければなるまい。
 いま、新しい表現を求めるとき、やはり私も私の立ち位置からしか出発できないし、すべきでもないだろう。
 イベント情報の連載が始まったらこのブログで通知します。ぜひお読みください。
posted by 黒川芳朱 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | この惑星 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

映像編集について

 今日はある専門学校で授業。講義名はノンリニア編集。
 使用するのはAvidという編集ソフトだが、ソフトの使い方を教えるだけではなく映像編集の文法のようなものも教える。この学校で受け持っているのはCGの勉強をしている学生たちなので、映画を学んでいる学生とは少し意識が違う。そのへんの、学生の興味の違いも教えていて戸惑ったり面白かったりするところだ。
 今日はアクションつなぎやセリフの編集を学ぶための素材を撮影した。学生たちにちょっとした演技(というほどでもないが)をさせて、学生どうし撮影する。今日撮った素材をもとに、来週編集をする。
 映画の文法といってもかなりルーズなもので、どこまで普遍性があるかは疑わしい。よく、音楽は国境を越えるとか、映画は国境を越えるといった言い方があるが、これもかなり疑わしい。映画は何日もあるいは何年もの出来事を90分とか、2時間とかに圧縮して描く。当然そこには時間や空間の省略がある。編集の仕事のひとつは、この時間と空間の省略をいかに実現するかにある。あるときは観客に意識させないように、あるときは省略していることを強調して。では、編集は誰にでも通じる普遍的な感覚に基づいているのだろうか。
 テレビドラマにこんなシーンがあった。主人公が家のドアを開けて出かける。次のシーンでは、さっきの男がバーのドアを開けて入ってくる。よくある時間と空間の省略法だ。ある高名な映画評論家のご母堂様はそれを見て、「この人の家は便利だね。ドアを開けるとすぐバーになる」といったという。この話は示唆的だ。映画の編集というものが、そう信じられているほど感覚的なものではなく、慣習化した説話の方法の場合もある。
 実は私の家はあまり映画を見に行く習慣がなく、高校生ぐらいまでは年に1、2本しか映画を見ることはなかった。高校生になって、よく映画を見るようになったが、はじめのころは映画の見方がわからなかった。その、省略法についていけず、違和感を持ったことを思い出す。
 現在の映画の文法は、サイレント映画の時代にハリウッドを中心に作られた。つまりそれは、ある種の方言である可能性がある。
 そして時々想像する。今の映画の文法がある種の方言だったら、まったく違った映画の文法もありうるはずだと。
 
 
 
posted by 黒川芳朱 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月14日

相倉久人パフォーマンスジョッキー『重力の復権』

 相倉久人パフォーマンス・ジョッキー『重力の復権』
日時:9月25日(金曜日)19時30分より
料金:800円(予約、当日とも)
会場:Live Space plan−B
住所:東京都中野区弥生町4−26−20モナーク中野B1
アクセス:東京メトロ丸の内線(方南町線)中野富士見町駅より徒歩7分
JR中野駅南口より京王バス、 渋谷行きか新宿駅西口行、富士高校前下車 徒歩1分
会場への連絡:03-3384-2051(公演当日のみ)
問合せ先:090-5385-9631(石原)
会場への地図等はplan-Bホームページからhttp://www.i10x.com/planb/
 
 8月は夏休みをいただいた『重力の復権』ですが、9月は上記の日程で行います。
 相倉久人さんはジャズを出発点に活動を開始し、いまや音楽のみならず様々なジャンルで活躍される批評家です。この7月に日比谷の野外音楽堂で行われた『山下洋輔トリオ復活祭』での名司会ぶりをご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
 この企画が始まった1982年当時はビデオデッキがいよいよ普及し始め、一般の視聴者がテレビ局の決めるのタイムテーブルから自由になった時代でした。いまやBS、CSなどテレビのチャンネルは増え、販売およびレンタルDVDやオンデマンドさらにはYou Tube、ニコニコ動画などで、情報の選択肢は一気に広がりました。
 しかし、このパフォーマンスジョッキーの形はほとんど変わりません。生活環境の中で浴びている情報の断片をもとの文脈から引っぺがし、暗闇の中で並べかえ、その間に相倉さんのはなしがそっと差し挟まれる。それは、マルセル・デュシャンが便器を美術館に展示したことに似ているかもしれません。いわば情報のデペイズマン、置き換えです。
 それによって、情報の隠れていた姿や、見えなかった関連性などが浮かび上がってきます。
 面白い情報ではなく、情報を面白く見たい方はぜひいらしてください。
 彼女の批評家によって裸にされた情報、さえも…
 
posted by 黒川芳朱 at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 重力の復権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月13日

『アコム“みる”コンサート物語』に行った

 きのう、高校の文化祭に行った後、電車を乗り継いで浦安市文化会館に『アコム“みる”コンサート物語』というイベントを見に行った。第一部が音楽と影絵のコラボレーション、そして第二部が影絵劇のという構成だ。
 影絵劇団に参加している友人がいる。影絵は映像メディアの原点だと思っているので、前々から興味があった。だが、なかなか見る機会がなかった。久しぶりに彼にあったので、今度いつ公演があるのか聞くと、9月12日にあることを教えてくれて、おまけにチケットまで用意してくれた。
 劇団の名前は「影絵劇団かしの樹」だとおそわり、さっそくホームページを見た。子供向けの公演を行っている児童演劇の総合劇団だという。今回のようなホールでの公演のほか、学校での公演も行っているらしい。また、インドネシアやソ連(おお、なつかしい)など海外でも公演を行っている。
 会場は子供づれ、あるいは子どもだけの集団がたくさんいる。私のように、中年親父が一人というのは稀だ。
 第一部はプルミエというピアノ、ヴァイオリン、チェロによる女性トリオの演奏のバックに、大きなスクリーンがあってそこに影絵が映るという趣向だ。サイレント映画の時代、映画館にはピアニストや楽団がいて、スクリーンに映る映画に合わせて生演奏をしていた。影絵というそれよりもっとプリミティブな映像と音楽のコラボレーション。太古、人人々はどのように影絵を発見し、それを見世物として楽しむようになったのだろう。映像メディアの誕生のころを想像した。
 第二部は「物語の影絵」と題して、佐野洋子の絵本『100万回生きた猫』をもとに作られた影絵劇。スクリーンの脇には先ほどのプルミエのメンバーがいて、生演奏。さらに語り手が登場し、物語を聞かせる。日本独自のサイレント映画の上映方法、弁士、楽団、スクリーンというユニットを連想させる。このコンサート、“笑顔のおてつだい「バリアフリーコンサート」”を謳っているように耳の不自由な方も楽しんでもらおうという趣旨で、語り手の隣に手話で通訳をする人がいる。
 影絵は、ホールでの公演用にかなり洗練された表現になっている。ちょっとみではDVDなどに記録されている映像をながしているのかと思うほど完成度が高い。最後に幕が開いてスクリーンの背後の様子が見えてが、それまでは本当に生なのかと思う瞬間もあった。
 この公演は、子どもあるいは家族向けとして楽しいものだったが、影絵の原初性、ライブ性、即興性に焦点を当てた、アヴァンギャルドな影絵公演はできないだろうか。
 
posted by 黒川芳朱 at 02:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月12日

高校の文化祭に行った

 私が非常勤講師をしている某県立高校の文化祭に行った。
 この高校には普通科と芸術科があり、わたしは芸術科を中心に、普通科の生徒も数人教えている。芸術科は各学年一クラスだが、それぞれ教室で作品展を行っている。普段の授業とは違った生徒の一面を見ることができ、面白い。この子はこんな絵も描くのか、こんなメディアにも興味があるのかといったさまざまな発見がある。
 ふだんやたらにぎやかな女の子が、終電の車内でぽつんと座席に座る真っ白い人型を油彩で描いていたのが印象的だった。また、数人の生徒が合作で黒板にチョークで描いた壁画が見事だった。黒板にチョークというと線画を想像するだろうが違う。チョークをパステルのように使いこなし複雑な色彩とタッチを生かした絵である。
 また、ロビーでは3年生がライブペインティングのパフォーマンスを行っていた。写楽の首絵、ピカソの泣く女、フェルメールの真珠の首飾りの少女などを多少のアレンジも加えつつ模写している。ひとつの大画面にこれらが同時に描かれていく。最終的にどうなるのだろう。
 映像の自主制作もあった。2年生がPV2本、3年生がドラマ4本どれも面白かった。
 3年生のドラマはオムニバス作品。内容はある高校での4人の生徒を中心にしたできごとを描いている。4作品は日付がタイトルになっている。ひと作品ごとに監督は違う。4人の監督が、中心となる4人組の生徒を演じる。先生やクラスメートも出演。舞台は学校。ちょっとホラーっぽかったり、青春物だったり。いつも勉強したり生活している学校で、架空の高校生の役を演じるところがふしぎな味わいだった。役柄の部分と本人の部分が微妙に重なり合う。
 足りないところを上げればきりがないが、それが可能性だという青春のパラドクス。作ることの残酷さの中で、新しい命がもがき始めている。 
posted by 黒川芳朱 at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

フィルム文化のためにできること

 きのうの終わり、唐突に「われわれは危機に慣れすぎてしまったようだ」、と書いた。感極まって見得を切ったものの、ちょっとわかりにくかったなあ。
 フィルムがなくなりそうだ、ということはずいぶん前からいわれてきた。写真界でも映画界でも。それから、あっあれが無くなった、これが無くなった、今度これが無くなるぞ、今のうちにあれを買っておかなきゃ、これを買っておかなきゃ、でも金がないなあ、ということが繰り返されてきた。
 はじめは、80年代にコダックがスーパー8(コダックの8ミリフィルム)の高感度フィルムを廃止すると発表したときだった。このときは、みんなあせった。おれももうこの世の終わりかと思ったくらいだ。その後コダックが別のタイプの高感度フィルムを出し、結果的には現在スーパー8はシングル8よりフィルムの種類は豊富になっている。
 だが、フィルムのシェアが確実に減っていることはまちがいない。カメラ屋に行くと歴然としている。フィルム用カメラのコーナーはどんどん小さくなっている。まだあればいいほうで、デジカメしか置いていない店のほうが多い。生フィルムのコーナーもどんどん小さくなっている。ない店もある。
 中古カメラ屋に行くとビックリする。フィルム用のカメラがえらく安い値段で売られている。かつて名機といわれたカメラが、こんなんでいいのとこっちが恐縮してしまうような値段なのだ。うわ、これも安い、こんなのもある、メチャメチャお買い得だ、あれも買わなきゃこれも買わなきゃ、でも金がないなあ、ということになる。
 もっとも、なかには中古の8ミリカメラをえらく高い値段で売っている店もあるが。
 そんなこんなを繰り返しているうちに、われわれは危機に慣れてきてしまっているのではないか、いつかなくなることはしかたがないと思うようになってきているのではないか、ということをあらためてきのう思ったのだ。こうしてわれわれは受け身になっていくんだなあと思い、そのことにあせった。
 「フィルム文化を存続させる会」を立ち上げたとき、存続とか保存といった保守的な姿勢でいいのかということが問題になったが、改めてそのことを問い直す必要を実感した。いや、問い直すなどといっている場合ではない。フィルムが消えていくならフィルムの価値を新しいものとして作り出していく必要がある。保存ではなく、ラディカルな存続のスタイルだ。
 おれはとりあえずその価値を映画で作る出すことを考えよう。今、この時代にフィルムで撮る新しさを創造すること、とりあえず俺にできそうなことはこれだ。                       
posted by 黒川芳朱 at 22:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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