2009年11月02日

商店街の喫茶店

 近頃街から減ったもの、そのひとつが喫茶店だ。
 喫茶店には二種類ある。珈琲を飲むための喫茶店と、椅子を確保して長時間過ごすための喫茶店。もちろん後者の店の珈琲が美味しければいうことないが、そうなると混むようになる。珈琲一杯であまり粘れなくなる。一定時間たつと帰ってくれといってくるプライドの高い店もあった。かといって、あまり珈琲が不味くても行く気はしない。
 珈琲はそこそこの味で、比較的広くて店員の目を気にせずにすみ、長時間粘れる喫茶店。打ち合わせや原稿を書くために、長時間ねばれる喫茶店は何箇所かは確保しておきたい場所だ。ところが、最近そういった喫茶店が少ない。みんなスタバのようにカフェ形式になっている。
 昔国立にあった「アフリカ」という喫茶店は何の気兼ねもなく長時間いさせてくれるいい店だった。だだっ広くはないが、いつもマスターに見られている感はなく、珈琲も普通だった。友達とだべったり、芝居の台本を書くにはちょうどよかった。
 新宿駅の目の前の「シミズ」なんてのもあったなあ。
 こういったいわゆる名店とは違った喫茶店を思い出すと、街の微妙なディティールが思い出される。
posted by 黒川芳朱 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 都市風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月01日

決定的瞬間はアマチュアが撮る

 決定的瞬間ということばがある。
 フランスの写真家アンリ・カルチェ・ブレッソンが1952年に『決定的瞬間』という写真集を発表した。ブレッソンがいう決定的瞬間とは、そこで何が起きているかを鮮明にとらえながら、しかも構図が美しい写真である。
 いま広く使われているのは、構図の美しさまでは問わず、出来事を鮮明にとらえている映像という意味だ。構図が問われるのは写真の場合だが、今はテレビやビデオの分野で使われることが多い。瞬間をとらえるには時間のある動画のほうが有利だ。日本テレビ系列で不定期に放送される『世界の決定的瞬間』という番組があるが、事故や事件といったものから動物がこけた瞬間といったようなものまで、珍しい出来事映像の総称となっている。
 ブレッソンの掲げた美学とは、かなり異なったものであることがわかる。
 ところで、きのうの創形美術学校の「卒業生による作品展」のオープニングパーティで、写真家の薄井崇友さんと話していたときに、写真や動画のデジタル化の話題になった。いまの報道写真は、多くがデジカメで連写で撮影し、データを送ってデスクが選択するようになっている。写真の選択をするのはカメラマンではなくデスクであり、カメラマンはシャッターを押す役割に限定されてきているというようなことについて話していた。「決定的瞬間ってなくなるのかな」と僕が言うと、薄井さんは「いま決定的瞬間を狙っているのは素人でしょ」といった。
 ここでちょっと話題は飛躍しているのだが、会話ってこんなもの。この言葉はなかなか面白かった。
 彼が言うには、突発的な事件が起きても多くの場合それを撮っている映像があって報道されるというのだ。素人がビデオや携帯で撮影し、それが報道に利用されているケーをよく目にする。報道されない映像といったらそれこそ計り知れない。
 ブレッソンの「決定的瞬間」から静止画と構図という限定を取り除くと、写メール文化になる。
 このテーマちょっと面白いな。また考えよう。
posted by 黒川芳朱 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ひろった名言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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