私は久しぶりにこの映画を見て、やっとその素晴らしさと重要性について何かが語れるような気がしてきた。これまではまったく歯が立たなかった。その映画は、見ることや語ることを根底から崩してしまう力を持っていた。崩れた中からやっと新しい言葉が芽吹いてきたようだ。
光の分節化と分節の無化
まず先入観を一切捨てていただきたい。これから書くのは映画の話だが、普通の映画を想像しないで欲しい。というより映画を想像しないで欲しい。映画だと思うとわからないかもしれない。ただ、暗闇の中、四角い平面上で起きる出来事だと思って読んで欲しい。
赤い画面が次第に暗くなる。またゆっくりと明るくなる。明滅のスピードが早くなり遅くなる。赤から黒へ、黒から赤へ、赤から白へ、白から赤へ、赤、青、緑。順番は定かではない。しかし、色から色へ、明から暗へ、時にはゆっくりと、時にはすばやく変化する。
色相、彩度、明度といった言葉で分析することはあまり意味がない。すべてが同時に変化するので、そういった概念的な分類が無意味になってしまう。
ゆっくりと移行するとき、単に波長が変化するだけで赤、白、青はひとつながりのものである。赤と白が激しく明滅するとき、赤と白は衝突しそこに分節化が起きる。
それは、声から音節が分離することに似ている。あくびをするように、ゆっくりと息を吐きながら、「あー」から「えー」「いー」と声を変化させてみよう。音は変化しても、そこにあるのは一つながりの息である。次に短く息継ぎをしながら「あ」「い」と発音する。音が分節化し音節となる。
色と色は瞬時に衝突して分節化するだけではなく、またゆっくりと色から色へ移行し境目をぼかしてしまう。光は速度を変えて運動し続ける。
(明日へつづく)
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