このように画面を切り取る大きさのことを、映像用語ではサイズというが、サイズが適正であったとしても、ピントがボケているとそれが黒革の鞄であることはわからない。露出が適正でないと、暗すぎたり明るすぎて鞄であることや材質が何であるかがわからない。
では、それがどんな材質でできた何であるかが分からない、あるいは分かりにくい映像は無価値なのだろうか。説話的な映画では価値はない。物語のアクセント的に使われる程度のことだ。
だが、ここにそういった説話的な映画とはまったく異なる一本の映画がある。繰り返しになるが『幼年期の情景』という映画は、写っているものが何であるのかが分からない映像と、分かる映像が同じ価値を持って現われる、極めて稀な映画である。そして、その間で揺れ動く私たちの感覚と脳みそは見るたびに新たな認識の冒険をする。
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