ブラッケージを、夢の象徴的過ぎる視覚化から引き離したのはもうひとつの要因は、「閉じた眼のヴィジョン」とブラッケージが呼んでいる、眼をつぶって瞼を押したときに見える抽象模様へのこだわりだったかもしれない。さまざまな発言を見ると、ブラッケージは相当強烈な閉じた眼のヴィジョンを見ていたようだ。
1986年以降本格的に取り組むようになった「ハンドペインティッドフィルム」は、閉じた眼のヴィジョンを描いたことがきっかけであるとブラッケージ自身が語っている。(キース・グリフィス監督『ABSTRACTCINEMA』)
だが、処女作発表の2年後、1954年の『The Way to Shadow Garden』には、すでに閉じた眼のヴィジョンを思わせるイメージが登場している。そして、ブラッケージのフィルモグラフィのあちこちに、閉じた眼のヴィジョンやそれらしきものが現れる。
また、ピントをはずしたり、露出を極端に絞り込んだり、開けたり、カメラを振って映像を流したり、カメラを使いながらまともに撮影するのではなく、具象から抽象へと独特の方法で映像を崩していくやりかたも、閉じた眼のヴィジョンへ接近だったように思えてくる。
ブラッケージの映像には、皆無ではないが象徴的、文学的なイメージが少ない。きわめて視覚的なイメージである。具象から抽象へ、自由に変化するヴィジョンだ。だが、キネティックアートやオップアート的な光学的イメージとは違うし、幾何学的抽象でもない。独特の運動感があるが未来派的な運動ではなく、眼球運動や動体視力といった言葉に近い身体感覚だ。そして、閉じて眼のヴィジョンもまた、身体から発してくる抽象イメージである。
瞼の裏の光景が、ブラッケージをシュルレアリスムから遠ざけ、あの美しく分節を拒絶した映画群の創造に向かわせたのだとしたら、なんと魅力的なことだろう。
言葉が書き言葉化し、視覚情報や聴覚情報が言語化していく今、身体性の復権が重要な課題となっている。そのために知覚の初源に遡ることが一つの活路であるように見える。だがイノセンスに戻ることが不可能である以上、身体性の復権は知覚に頼る知の追求という前進的な方向に二重写しにならざるをえない。初源の極へと向かう意識は、同時に人工の極へと向かう。ブラッケージはこの困難な道を、瞼の裏のイメージを頼りに進んでいったのかもしれない。
知覚と言葉を拮抗させたブラッケージの未完の意志は、今なお私たちを挑発する。
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