ふだん私たちは、言葉で何かを説明したり、伝達したり、あるいは自分自身の考えを整理したりしている。どちらかというと、言葉の理性的なはたらきだ。
だが、言葉にはそれ以外の力がある。言霊という言葉もあるように、言葉には呪術的といってもいいような力がある。また、言葉には音楽的な力もある。メロディをつけて歌っているわけでもないのに、言葉が音楽的に聞こえることがある。
社会生活をしていると、なかなかこういって言葉の力に遭遇することはない。ワープロで文書を打ったり、様々な相手と仕事上の会話を交わすときは、言葉の理性的なはたらきがメインであり、ときに感情的になる程度である。
理性を超えた言葉の力を感じるときは、どんなときだろう。すぐに思い浮かぶのはお経を聞いているときだ。高校のとき、友達と禅寺に数日間修行に行った。恥ずかしいがサリンジャーとビートニクの影響だ。お坊さんといっしょに、般若心経を読まされた。「ギャーテェイ、ギャーテェイ、ハラギャーテェイ」ぶっ飛んだね。
そのほか、祝詞を聞いているとき、落語や1人芝居や語り物のパフォーマンスを見ているとき、方言を聞くとき、「夜露死苦」などの暴走族の落書きを見るとき、股旅物の映画で仁義を切るシーンを見るとき。そういえば、夏目漱石の『坊ちゃん』のなかに、喧嘩をして啖呵を切るシーンがあったけれど、相手を罵倒する言葉を延々と羅列するのがおかしかったなあ。中学生の頃あのせりふを暗記しようと練習したことがある。英単語でも覚えればよかったのに。
ちょっと、理性を超えた言葉の力を浴びたくなってきた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜本日おかしばなし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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