以前にも描いたが、私ははじめの『猿の惑星』を中学生のとき見た限りで、その後の展開にはこれまであまり興味が湧かなかった。だが、今回見終わって、一作ごとに猿と人間と、そして猿同士の関係が変化し、新たな局面を迎えていくさまが面白かった。
このシリーズには、アメリカにおける人種意識が複雑に反映しているという。確かにそれもうなづける。その点は、テレビシリーズも見たあとにまとめて書こうと思う。
今回は物語のスケールと、想像力の広がりということについて考えてみたい。
猿の惑星シリーズは1970年前後から3955年の地球の破滅までの物語である。第1作の『猿の惑星』では、アメリカ人の宇宙パイロットが人間がサルに支配された惑星に着陸する。ラストシーンではその惑星が実は未来の地球であることが描かれる。この突き放したようなラストシーン。この時間の断絶が想像力をかき立ててくれた。なぜ、地球はこうなってしまったのだ? 人間はなんて愚かなんだ。と絶望する主人公。
2作目以降、この時間の断絶を埋めるように物語は進行する。各エピソードはよくできているし、ほどよく予想外の展開もするので、手に汗握りながら続きを見てしまった。
だが、終わってみるとこの断絶を埋めたがために、想像力が無限に広がっていくような、不安定でありながら開かれた後味が薄れてしまったことは否めない。
シリーズ全体の面白さと、第1作の面白さは実は別物だと考えることができる。1本だけ特異な位置づけなのは第1作のみで、第2作や3作はもちろんそれだけでも面白いが、シリーズの中の一つのエピソードに過ぎない。
1作目だけがシリーズから離れても成立する、スケールの大きさをもっている。
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ラベル:猿の惑星