日本ではじめに彼女のパフォーマンスがあったのはいつだったろう。80年代の前半だったか後半だったかが思い出せない。ちょうど、パフォーマンスという言葉がアート界で一大ブームを巻き起こしていたときだったのか、その直後だったのか。
このビデオは1986年の作品だ。記憶ではそれ以前に来たように思うのだが、どうだったろう。そういうこともすんなり調べられるように、部屋の大掃除をしなければと反省しきり。
時期にこだわっているのは、パフォーマンスブームとの関連で、彼女のライブを見たときちょっとがっかりした記憶があるからだ。
私は70年代の終わりから、パフォーマンスとワークショップという言葉に新しいアートの可能性を感じ、それらの活動にのめり込んでいた。パフォーマンスという言葉を全面に打ち出したライブスペースPLAN−Bが1982年に設立され、私もその運動に参加した。70年代の終わりから、80年代にかけての私は、パフォーマンスという言葉ともにあった。
そんな折、ローリー・アンダーソンの来日公演があった。彼女のパフォーマンスは、エンターティメントとしてあまりに洗練され、パッケージ化されていた。私が当時パフォーマンスというものに可能性を感じていたのは、パッケージ化された文化を動的な場に変えることができると思っていたからである。ローリー・アンダーソンのパフォーマンスは、パフォーマンスという運動の終焉を感じさせた。私は、ないものねだりをしていたのだろう。
その後も、彼女のCDは時々聴いたしビデオも見た。エンターティメントとして楽しむようになった。
久しぶりに観たローリー・アンダーソンは面白かった。私が当時求めていたパフォーマンスとの距離も、よく見えるようになった。
わたしは、ローリー・アンダーソンにないものねだりをしていたかもしれないが、私の求めていたパフォーマンスそのものがないものねだりだったわけではない。
私の求めていたパフォーマンスは、私のパフォーマンスとして実現すればいいのだから。距離を知るということは、自分の立ち位置を知ることである。
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