2008年10月18日

パティ・スミス『ゴーン・アゲイン』を引っ張り出して

 パティ・スミスの『ゴーン・アゲイン』を聴いている。一人の男のことを思い出しながら。
 このアルバムは、パティが夫のフレッドやバンド仲間や弟やカート・コバーンといった多くの人々の死を悼むアルバムだ。死者を弔いながら生きる勇気を与えてくれる。
 その男は私の先輩である。この3年ほどは毎週のように顔を合わせていたが、さほど親密にしていたわけではない。プライベートで会ったり飲んだりということはほとんどなかった。だが、彼は私に重要な仕事を与えてくれたし、わたしは彼を信頼していた。今振り返るとその男は私の中で、とても大きな存在になっている。
 この夏に亡くなったその男は、画家だった。横幅3mだの5mだのという巨大な絵を描いていた。サイズからして売りにくい絵だ。彼は一歩も引いていなかった。巨匠のような仕事振りだった。彼は絵筆を握って時代と格闘し生き抜いた。死の数ヶ月前に開かれた個展でも、巨大で緻密な絵が展示されていた。
 その男は、小さな美術学校の校長もしていた。校長に就任すると同時に、様々なアイディアを出し、学校を改革していった。彼が作った新しいコースに「表現コミュニケーション」というものがあった。
 これから団塊の世代が定年退職して地域社会に入っていく。地域社会が活性化する。そのとき、アートが重要な役割を果たすはずだ。アートの持つ力を社会の中で生かすような人材を養成したいんだ。彼は「表現コミュニケーション」の構想をそんな風に語ってくれた。
 彼は校長に就任する前から、自宅で奥さんと子どものための絵画教室を開いていた。それは絵画教室を越える絵画教室だった。一度、アトリエで影絵のパフォーマンスをするから来ないかと誘われて見に行ったことがある。大きなスクリーンに裏から光をあて、音楽を流し、子どもたちが自分の作った人形で影絵をする。時に子どもたちの影も映る。客席には子どもたちの家族や、大人になった絵画教室の卒業生たちも集まり、公演後のパーティは、世代を超えた地域コミュニティの感があった。「表現コミュニケーション」の構想の背景には、この絵画教室の実践による裏づけがあったのだろう。この絵画教室は、いまでも奥さんの手で続けられている。
 「表現コミュニケーション」の構想は、きわめて鮮やかな反面、余りに広い領域の問題を含んでいるために、実を結ぶのに時間がかかりそうだった。だが、講師の方々の協力も得て、「庭プロジェクト」「都電で展覧会」などいくつかの興味深いプロジェクトを行い、実績も残しつつあった。
 自らが癌であることを知ったとき、彼は軌道修正を計った。鮮やかな直感に依拠した未知の構想では、後に続くものが困惑すると思ったのだろう。このコースを現代美術寄りのコースにするという方針を打ち出した。新しさを失わずカリキュラムも考え易い堅実な路線である。
 未知の構想は道半ばで断念せざるを得なかった。悔しかっただろう。
 彼とこの構想を共有した何人かの学生たちがいる。もちろん彼らや彼女らに、彼の構想を受け継ぐべき義務などない。義務などないが、彼の蒔いた種が芽を吹くかもしれない。あるいは、種はまったく違った花を咲かせるかもしれない。
 彼の死を知ったとき、私はもっとこの構想のことを話しておくべきだったと悔やんだ。彼は私の中にも種を蒔いた。というよりずっと以前に芽吹いたまま成長の止まっていた芽を、そっと揺り動かした。おとといワークショップについて書いたが、私もアートがいわゆる表現とはちがった形で人々に働きかける力があるとずっと思っている。その実践にも興味がある。ただ、余りにも問題領域が広いため、呆然とせざるを得ない。彼はその実現のために船を出した。私はそれを横目で見て、シカトするフリをしながら注目していた。
 『ゴーン・アゲイン』は死者を弔いながら、死者を今に生き続けさせようとするアルバムだ。死とその背後にある時間や歴史や忘却と抗い、記憶の中で死者の魂と共生しようとする。
 明日、その男のアトリエでお別れ会がある。このCDを彼に供えよう。そういえば、彼の奥さんはパティ・スミスにちょっと似ている。
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posted by 黒川芳朱 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 体感音楽論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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