壊れたのは一階の仕事部屋のエアコンだ。
二階の寝室はかなり風が通るので、めったにエアコンをつけることはない。だが、一階の仕事部屋はかなり暑い。だが、壊れたので仕方なく窓を開ける。時々すうっと風が通り涼しい瞬間がある。
ここ数日、朝と夜は少しずつだが過ごしやすくなってきている。そのせいもあって、エアコンに調整されない生活をしている。
皮膚が生き返ってくる。それは決して快適な状態ではない。皮膚がじわっと汗ばみ、空気の流れに涼しさを感じ、風がやむとじめっとした感覚に戻される。快適というよりはちょっとした野生の目覚めともいえる。
エアコンが効いていると皮膚はバカになる。皮膚の感性は鈍くなり、皮膚の思考力は完全に落ちてくる。何も考えず毛穴を閉じて口をつぐむ。汗の引きこもり。もちろんエアコンが効いていると頭は冴えてくる。だが、頭が冴えて皮膚はバカになる。
ではエアコンを切ると皮膚はいつでもりこうになるか。そうとは限らない。炎天下にいれば、皮膚は毛穴を開き、よだれのようにだらだらと汗を出す。
だが、だらだらと汗を流す状態と、エアコンで汗が引きこもる状態と、どちらがいいのだろう。いや、いいという言葉は適切ではない。どちらがどうなのだろうと無駄口を叩きたいだけで、体にいいとかそんな価値判断をしたいわけではない。ただ、エアコンが切れたことで、ちょっと皮膚感覚が蘇ってきて、それが面白いと感じたのだ。
エアコンディショナーって考えてみればたいそうな言葉だ。空気を調整してしまうのだ。そしてその結果人間の皮膚感覚は変調をきたしてしまうのだ。なんてこった。
暑さといえば黒澤明の『野良犬』を思い出す。拳銃を掏られた若い刑事三船敏郎と、ベテラン刑事の志村喬が汗だくになりながら犯人を捜索する。一日の捜索を終えベテラン刑事の家で涼をとる。夏を描いた映画はたくさんあるのに、なぜかこの映画が真っ先に頭に浮かぶ。『野良犬』は汗だくの映画だ。
この映画の汗は、皮膚は、涼のとり方は健康的だ。体が循環の中にある。エアコンは太陽光線から人を保護するシェルターだ。
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