うちのことははっきり覚えていないが、イデのうちのことなら覚えている。
あれは高校2年の時、2年5組の悪ガキが集まってしょうもないイタズラをしていた。なにをしていたのか、誰かのせいだったのかもはっきり覚えていないが、悲劇が起こった。
突然、コカーンといい音がして、といってもその音は誰の耳にも聞こえなかったのだが、イデが騒ぎ出した。
「いてててて、玉打っちまったよ。早く家に帰ってビーバーエアコンで冷やさなきゃ。早く家に帰ってビーバーエアコンで冷やさなきゃ、ビーバーエアコンで冷やさなきゃ、ビーバーエアコンで冷やさなきゃ」
誰一人としてイデという男の一生を心配するものはいなかった事を考えると、イデが勝手にふざけて勝手に痛い思いをしただけだったのだろう。みんな、おどけて痛がるイデを面白がり、それ以上に股間を押さえながらビーバーエアコンを自慢するイデを笑った。たぶん、あの直前にイデの家にはビーバーエアコンが設置されたはずだ。
そのとき、まだうちにはエアコンはなかった。だが、イデを羨ましいとは思わなかった。エアコンがある生活をリアルに想像できなかったので、羨ましいという感情も起きなかったのだ。
その一年後もうひとつエアコンに関する忘れられないできごとがある。
高校3年になって美大志望のおいらはすいどーばた美術学院の夏期講習に行った。凄まじかった。オンボロ木造校舎のアトリエに恐ろしい人数が詰め込まれていた。肘と肘が触れ合うほどの距離に受験生がびっしりと座り、石膏デッサンをする。中学、高校の人口密度とはまったく違った、亜熱帯講習会に脳みそは完全にヒートアップアップし、朦朧とした意識で真っ白い石膏像を凝視し、木炭紙に木炭をモクモクとなすりつけていた。その時、浪人生らしき奴が「クーラー効かねえなあ」といった。そっか、こういうとき救いの神として現れるのがクーラーか。こうしておいらはクーラーというものと疎外論的な出会いを果たした。
高校のはじめから通っていた画塾の石野先生にどばた(すいどーばた美術学院)のようすを聞かれた。推定浪人生の言葉を思い出し「すごい人数で、クーラーが聞かなくて大変です」と答えた。すると石野先生は「むかしはクーラーなんてなかったのに、今の子はぜいたくだなあ」としみじみといった。
そこでおいらはふと考えた。そういえば、クーラーって何だっけ。
おいらが通っていたのは某都立高校だが、クーラーなどなかった。区立中学も。そもそも、学校は8月は夏休みだ。8月に集団で勉強するとしたら塾や予備校だがそれまで行ったことのある(美術ではない)塾や予備校もクーラーはなかったし、クーラーが無いという不満もなかった。ただ、暑いといって下敷きで扇いだりその程度だった。アイスノンで頭を冷やしながら計算問題や英文解釈をした。
そもそもおいらは、クーラーの恩恵に浴して、クーラーにどっぷりつかり、クーラーなしでは生きられないの、という生活を送っていたわけではない。
ただ、初めて体験するあのどばたの人口密度が暑さといっしょになってカルチャーショックだったのだ。そのことを表現するのに、推定浪人生の利いた風なせセリフをちょいと真似てみただけのこと。
だが、石野先生はベビーブームより少し前の世代だが、おいらたちより受験生の人数は多かったはずだ。だとすると美大受験予備校の人口密度もこんなもんじゃなかったかもしれない。だとすれば、「エアコンが効かなくて大変だ」というおいらのというセリフは、もろもろの意味で理由なき犯行だ、チキンレースだ。
このときおいらは、実体験の裏打ちのないジェネレーションギャップを勝手に背負ってしまったのだ。
『ブランクエアコンジェネレーション』
うちにもねえし♪
あんまし浴びたこともねえけど♪
俺たちゃエアコンエイジだぜ♪
生な空気なんてまっぴらごめんだぜ♪
チョイとその暑さをコンディショニングしてくれよ♪
ちょっとそのムカツク湿気って奴を吹き飛ばしてくれよ♪
だけどホントはよく知らねえのさ♪
エアコンて奴を♪
だが、その後エアコンが生活の中に浸透してくる。あのできごとは、世代というよりおいら自身の感覚の分岐点だったような気もする。
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