開館時間の少し前、9時50分に着いたが、すでにチケット売り場には長蛇の列。といっても5分ほどで購入できたが、ちょっと気がめげる。
気を取り直して中に入ると、混んではいるが鑑賞に支障はない。
今回の目玉は、なんといってもボストン美術館蔵の遺作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』だ。正直言ってこの作品の鑑賞には、あまりいい展示状態ではなかった。
この絵は縦139.1cm、横374.6cmと横に長い。広い展示室にこの絵が置かれ、鑑賞スペースはロープで絵に対して平行に二つに区切られている。
絵に近いほうのスペースは、絵に平行に三列ほど人が並ぶことができる。ここでは観客は移動しながら鑑賞する。近くで見ることはできるが、照明が反射して見にくい部分がある。画面右から三分の一ぐらいのところにいる赤い服を着た二人の女は、そもそも暗めの色調なので沈んでいる上に反射が被ってしまう。
後ろのスペースは止まってじっくり鑑賞することができる。だが、前の移動する人の姿が絵に被り、全体を一望することはできない。画面下半分は人の移動で見えたり見えなかったり。
この絵は全体に暗い色調で、色彩が立ってくる絵ではない。また、思索的な絵なので、移動しながら見るよりは、じっとしてあちことと画面の中を視線を泳がせるように見たほうが愉しめる。そういう意味では、今回の会場のコンディションはちょっと厳しかった。せめて後ろの席に段差があり、前の人が被らずに全体を一望できると良かったのだがないものねだりかな。オリジナルに触れたことで満足しよう。
後ろのスペースに立って眺めながら、絵の前を通り過ぎる人々に目を移すと「この人たちは何処から来たのか この人たちは何者か この人たちは何処へ行くのか」という言葉が浮かんだ。おれもその一人なんだけどね。
ほかに面白かったのは、ゴーギャン自身が書いたタヒチ滞在記『ノアノア』の連作版画だ。『ノアノア』ほ岩波文庫にも入っている。その中に挿入されている版画に摺りの違う三つのヴァージョンがあった。当然版木は同じで、ゴーギャン自身の摺ったもの、友人のルイ・ロアが摺ったもの、四男のポーラ・ゴーギャンが摺ったもの。岐阜県美術館所蔵の数点とボストン美術館所蔵の数展を並べて展示することでその違いが明らかになった。これがおなじ版画かと思うほど印象が違う。ゴーギャンの自摺りは闇の深さを表現しようとしているかのようであり、ルイ・ロア版は色彩のコントラストが激しく、ポーラ・ゴーギャン版ではモノクロで版木のディティールまで再現され鉛筆画のようだ。版画という複製芸術で、これほどの違いが出ることがとても興味深い。