2009年09月21日

『1960年代の東京』という本を買った

 敬老の日、お袋への粗品に『1960年代の東京』(撮影:池田信)という写真集を買った。東京の街並が細かく撮影されている。
 この手の本は何冊かもっている。きょう買った本は毎日新聞社から出ているが、朝日新聞社からむかし出た『東京この30年 変貌した都市の顔 1952〜1984』という本は、題名のとおり同じ場所の52年あたりの風景と83、4年の風景を対比させている。だがこれも26年前か。
 この本はメインが航空写真だが、ところどころビルの屋上ぐらいのやや低めの位置から撮られた写真がある。昭和27年の渋谷駅前、人もまばらで車も数えるほど。高い建物といってもせいぜい3階か4階建て、ほとんど2階建てだ。昭和58年の写真と比べると、残っている建物はない。だが、建物は違うが昭和27年にも三千里薬局は建っている。
 きょう買った『1960年代の東京』はほとんど路面から撮った写真だ。より町のディティールに入っている感じがして面白い。路面が舗装されていないところが多い。遠くが見渡せる。そして、風景の中に水がたくさん写っている。そうなのだ、首都高が出来る前は東京は水の都だった。いまも川はあるが、風景の中で生きていない、死んでいる。
 ところで、この写真集を見ながらおかしな気分になった。シャッターを押すとき、おれはそれを記憶に残そうと思って撮っていない。思い出にしようなどと思っていない。新しいものを感じ、いまという瞬間にシャッターを押している。だが、それが残ることで価値が出てくる。写真のすべてとはいわないが、古いことで価値のある写真というものは確実にある。いまという瞬間を記録し、永遠に残すことができるというようなレトリックも使えるが、ギタリストがギターを弾きいまという瞬間に音を出すこととは根本的に違う。できた写真をいろいろに解釈することはできるが、やっていることは100パーセント何かのいまの姿をとどめることだ。
 だから、すべて消えてしまえと思うときがある。これから撮るもの撮るという現在形の行為にしか興味がなくなる。少なくとも、撮る行為は対象との交感の中で成り立つ。演奏にも近いライブパフォーマンスだ。
posted by 黒川芳朱 at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック