実はおれも30数年前に、創形美術学校で卒業制作に取り組んだ。油絵を描いた。植物が種から開花するプロセスを機械の設計図のように描きたかった。正月休み、学校が閉まって制作できなるのが惜しく同級生の渡辺君に車で、国立の学校から船橋の実家まで、キャンバスを運んでもらった。正月にそれまで描いていた絵が気に入らなくなり、ストリッパーをかけて全部絵具を剥がしてしまった。三が日が過ぎて、再び渡辺君にキャンバスを学校に運んでもらい、学校のアトリエで一気に描き上げた。ギリギリまで不安だったが、描き上げることができた。とりつかれたような日々だった。おれの中にアーティストとしてのプライドを芽生えた。
それから数年後、今度はイメージフォーラム付属映像研究所でも卒業制作をおこなった。『セルロイドの砂漠』という映画を作った。これも不安を抱えたまま出発したが、途中からあたかも映画の方が命を持ち出したように、どんどん出来上がっていった。今のおれの原点といえる映画だ。
芸術系の学校の卒業制作は、教師や学校から評価されるためのものというよりは、学生自身が学生から作家に変貌するためのプロセスだと思う。自分自身の未来に決着をつけるイニシエーションだ。
学生たちの顔を見ながら、そんなことを思った。
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それにしても、ワタナベには、いい人が多いようですね。