『垂直線』では、画面に一本の垂直線が現れ、左右に往復運動を始める。右の画面フレームに当たると左側に向かい、左の画面フレームに当たると右側に向かう。
線からもう一本線が生まれ2本の線が移動する。線は次第に増え、それぞれが微妙に異なったスピードで動く。線は画面に粗密の関係を作り出し、また一本にまとまる。そしてまた増殖する。
非常にシンプルな映画だが、そこから生まれてくるイリュージョンは豊かだ。解説によると、線は黒いフィルムに直接スクラッチしているという。たしかにスクラッチの線だ。ときどきエッジに斑ができ、それが作品に含みを作り出している。CGだったらもっと味気なくなったかもしれない。
線の粗密な関係が立体感を生み出す瞬間がある。六角柱や八角柱の柱のように見えて、そこから神殿のイリュージョンが浮かんでくる。だが、全ての線は移動しているので、一瞬後にはその関係が違ったものになる。
線が生み出すのは、建物や空間といった外的なイメージばかりではない。線が交差したりぶつかった瞬間にもう一本線が現れる。たったそれだけで、ものの発生や成長といったイメージを引き起こす。そしてなによりも、単なる線の移動を観ながら、そこに様々なイメージを読みとっている自分自身の知覚やイメージのあり方といった内面に意識が向かう。
『水平線』は『垂直線』を90度回転させ、背景と音楽を変えた作品だ。背景といっても色面で、何かが描かれたりしているわけではない。色味や透明度が少し違うだけだ。線の動きはまったく同じということだ。二つ並べて再生してみたわけではないが、解説を信じよう。
ところが、『垂直線』と『水平線』では浮かんでくるイリュージョンがかなり違う。考えてみると当然だが、自分自身の目で感覚で体験すると、これは驚きだ。
『垂直線』は建物や樹木や天から差し込む光といったイメージが浮かぶ。上昇、昇天といったイメージで、そこには人なり自然なり神といったものの力が関与しているイメージもある。人工物のイメージも強い。これに比べて『水平線』はまさに海の水平線や地平線のイメージが強く、また海の中のイメージもあった。人工物のイメージもあるにはあるが、自然とのつながりの強いイメージの方が多く浮かぶ。また、こちらの方がイメージが豊かな感じがした。『垂直線』で感じた発生や成長のイメージは『水平線』の方がはるかに強い。
垂直と水平というのは、人間の空間感覚、空間認識の基本軸といってもいいだろう。私のインスタレーション作品でも、垂直と水平をモティーフにしたものがあるが、垂直と水平の根本的な違いを感じさせられた。
人間の目が横に二つ並んでいること、重力との関係など考えるべきことはたくさんあるが、そろそろベッドの上で水平線になろう。