「いまは、もう、動かない、おじいさんの、時計」。
古くなった道具には、独特の魅力がある。
よく古道具屋やフリーマーケットで、動かなくなった時計やカメラなどをアンティークな置物、ディスプレイとして売っている。もちろん値は安いが、それでも買う人はいる。動かないくせにあまり大きなものは邪魔になるが、テーブルの上に置けたり壁にかけられる程度の大きさの物は装飾品になりうる。
電化製品になるとちょっと怪しくなる。古くなった洗濯機、冷蔵庫、ステレオ、うんと古くてよほどデザインに魅力があればともかく、古いだけでは魅力がない。
冷蔵庫は、棚代わりにはなる。古いデザインに面白いものがありそうだが、ただの四角い冷蔵庫では邪魔になるだけだ。
うんと古い洗濯機には脇にハンドル式の「絞り機」がついている。そのぶん今と違った形になるが、あれをディスプレイとして部屋に置く気にはなれない。
コンポーネントステレオは場所を取り過ぎる。蓄音機一個ならなかなかいいインテリアになる。
ビデオデッキなどになるといくらデザインが優れていても、基本的に四角い箱なので飾っておこうという気にはならない。
コンピュータはどうか。これも難しいなあ。アップルUぐらいならディスプレイの価値はあるのかなあ。
こんなことを考えたのは、愛用していたビデオの編集ソフトが古くなったことを実感させられたからだ。サポートが終わりトラブルが発生したときに対処法を簡単に調べられなくなってしまった。数ヶ月前まではソフトウェアのメーカーのホームページに「Q&A」のコーナーがあり、簡単に調べられた。今は、サポートセンターでもアシュアランス契約をしていないと購入2年後の問い合わせは受け付けないという。プロ用のソフトウェアなので、メーカー側も強気だ。
結局、購入先に問い合わせて調べたもらったが、そこでも社内にその製品がすでになく、しばらく時間をくださいといわれた。調べて後日連絡をくれたので助かったが、浦島太郎の気分だった。
古くなったソフトウェア、これはディスプレイにはならない。なにしろ物ではないので。CDやマニュアルの入った箱はあるが、あんなもん飾ってもダサいしなあ。ソフトウェアは物ではなく情報であり記号だ。
作業内容だけを考えると、古いコンピュータとソフトウェアでも充分仕事はできる。ワープロソフトなんて、数年前に完成しているだろう。ソフトによっては、古いバージョンのほうが使い易い場合もある。
だが、コンピュータを買い換えるとソフトウェアと合わなくなったり、ソフトウェアを買い換えるとコンピュータと合わなくなったり、やっかいだ。
コンピュータというものはハードとソフトの組み合わせなので、一個一個ばらばらに組み合わせることも取り替えることも可能なはずだった。それは短い期間での話であって、長い時間の中では結局全体を変えないとうまく機能しなくなる。メーカーの考える期間と個人が使用する期間に大きなズレがある。仕事で頻繁に使うものと、それほどでもないが使うものとの間にもズレがある。
以前クイズ番組で、どうしても冷蔵庫を当てたいという老齢のご夫人が登場した。タレントではない。視聴者の方だ。その生活ぶりが紹介されていたが、質素にくらし冷蔵庫を何十年にもわたって愛用しているという。故障しては直し、外装が痛んだ箇所は自分で補修して大切に使っている。だが、ついに修理不可能になったのでどうしても冷蔵庫を当てたいというのだ。
クイズの結果、冷蔵庫を当てた彼女は泣いていた。それを見て私はちょっと感動した。今のような使い捨ての時代に、こんなに物を大切にし愛情を持って使う人がいるのか。
長い間使い続けられるものと、古くなると使えなくなるものがある。私の使う映像機器でいえば、フィルム用のものは長い時間使えるものが多かった。ビデオ用のものはすぐに古くなってしまった。
また、使えなくなっても物としての魅力を持ち続けるものと、魅力を失うものとがある。
金融という記号の危機が騒がれるなか、物と人間について考えた。
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