2009年10月17日

タイムマシンにお願い

 加藤和彦が自殺したという。愕然。
 私は決して熱心なファンではなかったが、加藤和彦が好きだった。
 実は、数週間前から某専門学校で行っている映像編集の授業で、サディスティック・ミカ・バンドの『何かが海をやってくる』をBGMとして使わせていただいた。ちなみに、出来た作品は授業内で観るだけなので、著作権を侵害はしない。
 『帰ってきたヨッパライ』を始めて聞いたのは、中学の昼の校内放送だった。以前にも書いたが、うちではレコードを聴いたりする習慣がなかったので、昼の校内放送はいろいろな音楽にを聞く数少ない機会だった。『ヘイ・ジュード』をはじめから終わりまできちんと聞いたのも、中学の昼の校内放送だった。当時の九段中学放送部の同窓生には感謝したい。
 そのころ、エレキットという電子工作のキットを買ってもらい、ラジオを作った。イヤホンで聞くこのラジオが私の音楽メディアになった。深夜放送を聴くようになった。もっともエレキットは組み立てなおすといろいろなものになったので、いつもラジオとして使ったわけでもない。そのうちちゃんとしたトランジスタラジオも手に入れたのだが、エレキットでラジオを聴く時代がしばらくあった。
 はじめ色物かと思ったフォーク・クルセダーズは、好き勝手にやっているようで、いい歌を作りや面白い演奏をたくさんして解散した。それがまぶしかった。
 高校時代は北山修のパックインミュージックをよく聞いた。それから、夕方にラジオでスタジオ公開放送の番組があり、その司会を加藤和彦がやっていた。パックのDJをしていた野沢那智も、たしか日替わりで司会をしていたと思う。私は加藤和彦の飄々とした話し方が好きだった。彼は司会をしながら、『おいでよ僕のベッドに』や『拝啓大統領殿』を歌った。その頃は、『拝啓大統領殿』がボリス・ヴィアンの歌だなんて知らなかったが、加藤和彦が震えるような声で「だいとーりょーどのー」と歌いだすのにしびれた。「しびれた」という言葉も死語だなあ。
 1970年だと思うが、加藤和彦が銀座の町を歩くCMがあった。キャッチコピーは「モーレツからビューティフルへ」。時代の変わり目だった。
 加藤和彦の結婚記念に、北山修作詞、加藤和彦作曲の『あの素晴らしい愛をもう一度』を発表したときは、同級生の丸山くんと何でこれが結婚祝いなんだ、まるで倦怠期の夫婦に向けた歌じゃないかと笑った。
 ジョンレノンとオノヨーコのプラスティック・オノ・バンドをパロってサディスティック・ミカ・バンドを作った時は、いかにも加藤和彦らしいなあと思った。あいにくこの頃から私は洋楽にはまりだし、小遣いは洋楽のレコードに消えた。したがって、あまりミカ・バンドを聞いてはいない。少し耳にした『ダンス・ハ・スンダ』や『サイクリング・ブギ』がいかにも遊びのための遊びという感じがしてあまり興味が湧かなかったこともある。その後『黒船』を聞いてその素晴らしさに驚いた。
 ただ、ミカ・バンドが、その頃大好きだったロキシーミュージックのツアーのサポートバンドをつとめたというニュースを聞いたときは、なんとなくうれしかった。
 そのイギリスツアーをきっかけに加藤夫妻が離婚し、ミカ・バンドが解散したときは『あの素晴らしい愛をもう一度』を聞いて笑った丸山くんを思い出した。
 私はロックに時代の表現を求め、音楽以上の何かを期待しながら聞いていたように思う。そういった私の視野から加藤和彦は消えていった。遊び、趣味、美学といった言葉がふさわしいようにおもえた。
 彼の音楽を聴き続けていなかったせいか、時々見かける髪の薄くなった加藤和彦の姿には違和感があった。中学・高校時代の私が彼に感じた魅力は、あくまでも髪がふさふさで飄々と軽やかでありながら、時には既成のものを壊してしまう自由さだった。
 今聞きなおすと、彼が質の高い音楽を作り続けていたことがわかる。ほんとうに、私はファンになりそこなったんだなあと思う。どんなジャンルであれ特定のアーティストの活動を追いかけるとき、リアルタイムで追いかけるのと、後から時間をさかのぼって追いかけるのでは全く意味が違う。見えるものが違う。感じるものが違う。時間をサディスティック・ミカ・バンド結成時に戻すことができるならば、リアルタイムで加藤和彦を追いかけることができるのだが。
 合掌。   
posted by 黒川芳朱 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 体感音楽論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月16日

CDの値段

 以前、高校生の卒制企画について書いた。「普通の子」で好きな音楽はゆず、持ってるCDはシングル3枚というキャラクター設定である。
 きょうまた、その生徒たちの卒業制作の授業があった。ほぼ絵コンテもできている。その登場人物の生活をいろいろ想像したようである。
 ところで、持ってるCDがシングル3枚という設定が面白く、いろいろと気になる。今のCDの値段、高校生にとっては高いのだろうか安いのだろうか、ちょうどいいのだろうか。
 私の高校時代、アルバムのレコードは1800円だった。その数年後2000円になり、2500円になった。これが1975年くらいだからそれから34年ほど、アルバムの値段はさほど変わっていないことになる。レコードとCDの違いはあるが。
 それに比べて本の値段はずいぶん変わった。岩波新書はその頃150円だったよなあ。
 昔の俺たちにとっての2500円と今の高校生の2500円、今のほうが相対的に2500円の価値は低いだろう。俺たちが学生の頃は買うレコードの枚数も、レコードを買う人口も少なかったように思う。いま、CDの売り上げは落ちているという。音楽配信の影響だ。だが、音楽配信が本格的になる前は、けっこうみんな音楽を買って聞いていたように思う。
 ちょっと気になったのでネットで調べてみた。社団法人日本レコード協会のデータを見ると、面白いことがわかった。俺が高校三年だったとき、1973年のシングル、アルバム、カセット、カートリッジ、オープンリール全て合わせた音楽メディアの売り上げ数は198,700千(枚・巻)、一番売れたのが1997年の480,706千(枚・巻)、直近では2008年の303,490千(枚・巻)となる。レコードあるいはCDだけの比較もできるが、音楽をどのぐらい買っているかという比較では総売上での比較が適切だろう。2008年の売り上げには音楽ビデオも入っている。
 こうしてみると1973年ごろは、やはりあまり音楽を買っていないことがわかる。一人暮らしの学生は、ステレをもっている奴のうちに集まって、レコードを聞いたもんな。ウォークマンがまだなく、ステレオを買うかラジカセで我慢するかだった。今はみんな、i-podやケータイで音楽を聴いている。みんながメディアを持っている。
 いまは、音楽がある生活が当たりまえのように感じているが、歴史的には異常なことなんだなあ。
 
posted by 黒川芳朱 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 体感音楽論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

BGMについて

 おととい銭湯のことを書いた。そのせいか思い出したことがある。
 繰り返しになるが、学生時代銭湯が好きだった。天井が高く、男湯と女湯は壁で区切られているものの、湯気が昇っていく上のほうには壁がなく、空間はひとつになっている。エコーのかかった中に手桶の音がカランコロンと響く。そして誰もが自然に裸で振舞う解放感のある空間が好きだった。
 思い出したのは、あのエコーがかかった話し声と、手桶のカランコロンという音響空間に、レゲエがかかっていたらいいなと思っていたことだ。
 だいたい、公共空間やお店のBGMはうざい。亀井のおっさんではないが、都市の犯罪の何パーセントかは街中でかかっているBGMのせいだと言いたくなる。もちろん何のデータもないが、なぜこんなことをいうかといえば、俺自身が街中の音楽にいらいらして犯罪を起こしたくなるからだ。もちろん僕は理性的な人間だからそんなことはしないけどね。
 職場にBGMというのも考え物だ。嫌いな音楽だと仕事もしたくなくなる。かといって、その音楽止めてというと職場の人間関係を損なってしまう。正直いって閉口したこともたびたびだ。とにかく、嫌いなもんは嫌いだから。
 でも、銭湯にレゲエってアイディアはわれながら気に入った。これはすごくいいんじゃないだろうか。みんな素っ裸で、I&Iだね。
posted by 黒川芳朱 at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 体感音楽論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

ゆずのシングル

 金曜日なので某公立高校で授業。
 芸術科の3年生で映像の授業を選択している生徒が対象。共同制作のアニメーションが完成に近づいている。分担作業なのですでに自分の仕事が終わっている生徒は、卒業制作の企画を立て始める。
 一人の女子生徒が、ごく普通の子の日常的な世界を描いたアニーションを作りたいという。まずなんでもいから思いつくことを絵や言葉でメモしてごらんという。芸術科なのでみんな絵を描くのは得意だ。せっせと女の子の絵を描き始め、水彩色鉛筆で色を塗り始める。
 そこでちょっとアドバイス。この子の年齢は? 家族構成は? 得意学科は? 苦手な学科は?などと質問してみる。するとうーん、高校2年生、お父さんとお母さんと弟がいる、数学が億位で音楽が苦手、などと答えながらキャラクターを作り始めた。もうひとり卒制の企画を考えていた子が煮詰まり、この子のキャラクター設定に付き合いだす。面白そうに2人でおしゃべりしながらメモをしていく。
「うんと普通っぽい子がいいんだ」
「お父さんの仕事はリーマンだよね」
「ちょっとお金持ち」
「彼氏は中学のときちょっと付き合いそうになった子がいるんだけど、うまくいかなくて、それ以来いない」
「あー普通っぽい」
 だんだんはまってきたようだ。
 そこで私がどんな音楽が好きなのかと質問。
「ゆず」
「あー、普通だね、いいね」
私がさらにどのぐらい好きなのか聞くと「どのぐらいって…」と困っているので、「たとえばCD何枚もってるの」と聞く。
「シングル3枚」
「普通、普通」
 つまりものすごく好きなわけではないらしい。シングル3枚のうち、2枚はTUTAYAで買った中古だという。でも日曜日には何をしているかというとゆずを聞いている。
 ここで私ははっとした。
 私の周りは音楽好きばかりで、シングルを3枚しか持っていない人はいない。だが、世の中には確かにこういう人もいるはずだ。ましてや高校生なら小遣いも限られている。
 
 ここでタイムスリップ。
 ふりかえってみると、父も母も音楽を聴く習慣がなかった。父は若いころは三味線を弾き長唄か何かをやっていたらしいが、レコードを聴くようなことはしなかった。時々ラジオはかけっぱなしにしていたが、かけっぱなしなので特に音楽を聴いていたわけでもない。母はしょっちゅうでかい声で鼻歌を歌っているが、これまた音楽鑑賞などしない。そんなわけでうちにはステレオがなかった。
 ただし、中学のころ英語のソノシートを聞くためにポータブルステレオ買ってもらった。ちゃんと、スピーカーは二つあった。中学のころからラジオの深夜放送を聴き、音楽も聴くようになった。高校生になって、初めてレコードを買った。ジョン・レノンの『ジョンの魂』だ。そのあと『イマジン』を買い、それからビートルズを集めだした。ビートルズはラジオで聞いていたが、レコードを買ったのはジョンのソロのほうが先だ。
 レコードを集めだしたころは少ないレコードを繰り返し聴いたな。
 
 ここで生徒の設定した普通の女子高生に話はもどる。名前はサエコと決まった。
 世の中には酒を飲む人、煙草を吸う人、スポーツが好きな人、スウィーツが好きな人などさまざまな嗜好がある。酒は好きだけれどたくさんは飲まないという人もいる。スポーツ好きもプロ並みの本格派もいれば、たまにキャッチボールをするだけで満足する人もいる。
 そう考えると、3枚のゆずのシングルを繰り返し聞くことで、満足できる女子高生もいるだろう。私や私の周辺とあまりに隔たりがあったため、シングル3枚と聞いたときは思わず笑ってしまったが、虚をつかれた思いだ。
 日曜日の午前、サエコはゆずを聞きながら何を見ているんだろう。何を感じているんだろう。どんな気持になるんだろう。充実しているんだろうな。
 生徒の作品がどうなるか楽しみだ。
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2009年09月01日

「爆笑問題のニッポンの教養」を見た

 NHK総合テレビで「爆笑問題のニッポンの教養」という番組を見た。今終わったところだ。
 今回は坂本龍一がゲストで『台本のない音楽会』というタイトルだった。楽譜ならともかく、音楽会に台本があることはどれぐらいあるのか知らないが、それほど珍しいことでもないだろう。せいぜい、カレーライスのない日本蕎麦屋ぐらいの話ではないだろうか。いや、そんなに多くないかも。
 爆笑問題の2人がスタジオに坂本龍一を訪ねる。そして、いろいろな音楽を聞きながら話をする。古学や民俗音楽や現代音楽ポップスなど坂本龍一のノートブックパソコンに入っている音楽や、爆笑問題の2人が持ってきたCDなどを聞く。爆笑問題の持ってきた曲に興味がないときは露骨に興味の無さそうな顔をする坂本龍一がおかしかった。
 こういう曲もあるんだけどといいながら、坂本龍一がジョン・ケージの『4分33秒』を流した。
 この曲は、3楽章からなり楽章ごとに休憩が入る。演奏者は楽器を構え、演奏する体勢をとるが何も演奏しない。聴衆は4分33秒の間、その場に聞こえる音に耳を傾ける。椅子のきしむ音、誰かの咳払い、などなど。初演は1952年にピアニストのデヴィッド・チューダーが行ったが、そのパフォーマンスは見事だったという。ピアノの前に座り、いままさにピアノから音が出るか、という緊張感を持続させ、場に潜在する音を浮かび上がらせる。
 ところが、この番組では坂本龍一がコンピュータをクリックしたけど何も音がしないだけで、何の緊張感もなかった。そして、4分33秒間の沈黙は守らず、坂本龍一がしゃべり始めた。たしかに4分33秒間も沈黙を放送したら放送事故になってしまう。ただ、番組の中ではなかなか効果的な場面だった。
 何も演奏しない音楽が、ライブでないと緊張感がないという逆説的なできごとだった。
posted by 黒川芳朱 at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 体感音楽論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月18日

パティ・スミス『ゴーン・アゲイン』を引っ張り出して

 パティ・スミスの『ゴーン・アゲイン』を聴いている。一人の男のことを思い出しながら。
 このアルバムは、パティが夫のフレッドやバンド仲間や弟やカート・コバーンといった多くの人々の死を悼むアルバムだ。死者を弔いながら生きる勇気を与えてくれる。
 その男は私の先輩である。この3年ほどは毎週のように顔を合わせていたが、さほど親密にしていたわけではない。プライベートで会ったり飲んだりということはほとんどなかった。だが、彼は私に重要な仕事を与えてくれたし、わたしは彼を信頼していた。今振り返るとその男は私の中で、とても大きな存在になっている。
 この夏に亡くなったその男は、画家だった。横幅3mだの5mだのという巨大な絵を描いていた。サイズからして売りにくい絵だ。彼は一歩も引いていなかった。巨匠のような仕事振りだった。彼は絵筆を握って時代と格闘し生き抜いた。死の数ヶ月前に開かれた個展でも、巨大で緻密な絵が展示されていた。
 その男は、小さな美術学校の校長もしていた。校長に就任すると同時に、様々なアイディアを出し、学校を改革していった。彼が作った新しいコースに「表現コミュニケーション」というものがあった。
 これから団塊の世代が定年退職して地域社会に入っていく。地域社会が活性化する。そのとき、アートが重要な役割を果たすはずだ。アートの持つ力を社会の中で生かすような人材を養成したいんだ。彼は「表現コミュニケーション」の構想をそんな風に語ってくれた。
 彼は校長に就任する前から、自宅で奥さんと子どものための絵画教室を開いていた。それは絵画教室を越える絵画教室だった。一度、アトリエで影絵のパフォーマンスをするから来ないかと誘われて見に行ったことがある。大きなスクリーンに裏から光をあて、音楽を流し、子どもたちが自分の作った人形で影絵をする。時に子どもたちの影も映る。客席には子どもたちの家族や、大人になった絵画教室の卒業生たちも集まり、公演後のパーティは、世代を超えた地域コミュニティの感があった。「表現コミュニケーション」の構想の背景には、この絵画教室の実践による裏づけがあったのだろう。この絵画教室は、いまでも奥さんの手で続けられている。
 「表現コミュニケーション」の構想は、きわめて鮮やかな反面、余りに広い領域の問題を含んでいるために、実を結ぶのに時間がかかりそうだった。だが、講師の方々の協力も得て、「庭プロジェクト」「都電で展覧会」などいくつかの興味深いプロジェクトを行い、実績も残しつつあった。
 自らが癌であることを知ったとき、彼は軌道修正を計った。鮮やかな直感に依拠した未知の構想では、後に続くものが困惑すると思ったのだろう。このコースを現代美術寄りのコースにするという方針を打ち出した。新しさを失わずカリキュラムも考え易い堅実な路線である。
 未知の構想は道半ばで断念せざるを得なかった。悔しかっただろう。
 彼とこの構想を共有した何人かの学生たちがいる。もちろん彼らや彼女らに、彼の構想を受け継ぐべき義務などない。義務などないが、彼の蒔いた種が芽を吹くかもしれない。あるいは、種はまったく違った花を咲かせるかもしれない。
 彼の死を知ったとき、私はもっとこの構想のことを話しておくべきだったと悔やんだ。彼は私の中にも種を蒔いた。というよりずっと以前に芽吹いたまま成長の止まっていた芽を、そっと揺り動かした。おとといワークショップについて書いたが、私もアートがいわゆる表現とはちがった形で人々に働きかける力があるとずっと思っている。その実践にも興味がある。ただ、余りにも問題領域が広いため、呆然とせざるを得ない。彼はその実現のために船を出した。私はそれを横目で見て、シカトするフリをしながら注目していた。
 『ゴーン・アゲイン』は死者を弔いながら、死者を今に生き続けさせようとするアルバムだ。死とその背後にある時間や歴史や忘却と抗い、記憶の中で死者の魂と共生しようとする。
 明日、その男のアトリエでお別れ会がある。このCDを彼に供えよう。そういえば、彼の奥さんはパティ・スミスにちょっと似ている。
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2008年10月09日

『世界を売った男』

 学校に行くと、副手の大橋君がデヴィッド・ボウイのTシャツを着ていた。足を振り上げたポーズは『世界を売った男』だ。あの曲が無性に聴きたくなった。
 残念ながら『世界を売った男』のアルバムはいま手元にない。ただ、家にある2003年の『リアリティツアー』のDVDの中で『世界を売った男』を歌っている。家に帰ってさっそく見た、聴いた。
 もうここに映っているボウイもじいさんのはずだ。だが、パフォーマンスは若々しい。そしてもちろん歌そのものはむかしのままだ。
 10代のころ、はじめてデヴィッド・ボウイを聞いたときの「自分は何も持っていない」という感覚。ボウイの人工的できらびやかな音と言葉とヴィジュアルは、飾ると同時にそぎ落とす力を持っていた。
 様々なものをそぎ落とし、むき出しの身体で世界に向きあっている感覚になった。そのころは、「宇宙にたった一人で放り出されたような感覚」などといっていた。
 その感覚が蘇ったというわけではない。10代のころとはまったく違った感じで、何かがそぎ落とされ、『世界を売った男』という歌が見に染みてきた。
 
 もちろん、『世界を売った男』といったところで、サブプライムローンや金融危機とは何の関係もない。というより、私たちの存在にとってそんなものは何の関係もないのだ、という地点に引き戻された、のではなく押し出された。
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2008年07月06日

セックス・ピストルズとイスラエル・ヴァイブレーション

 最近どうも肩がこってしょうがない。
 しょうがないのでレゲエでも聴こうと、近所のレンタル屋でCDを借りてきた。ジミー・クリフとトゥーツ・&ザ・メイタルズ。ジミー・クリフはレゲエのリズムに体を慣らすのにちょうどいい。
 CDをかけながら、体をくねくねさせたり肩をカクカクさせたり『ロッカーズ』の討ち入りシーンのようにぴょこんぴょこん足踏みしたり。
 レゲエといえば思い出す。はるかな多摩丘陵、遠い空。
 1980年ごろ、私は身体気象研究所というグループに参加していた。ダンサー田中泯さんの呼びかけでできた、身体をキーワードにパフォーマンスやワークショップを行う運動体だ。八王子の機織工場跡を借り、ダンサー、音楽家、美術家、教師、看護婦などさまざまな職業の人が集まり、毎週末にはワークショップや研究発表を行った。
 私は2人のメンバーと共に、その機織工場跡に住んでいた。一緒に住んでいた樋君、海江田君と、そしてやはり八王子に住んでいた佐藤君の3人で、平日は遺跡調査のアルバイトをした。開発途上の多摩ニュータウン、遺跡が発見された周辺を調査する。スコップで穴を掘り、さらに土器などが発見さたときは園芸用の手シャベルや竹串でほじり、写真を撮り図面に写し取る。そして掘り出した埋蔵物を保管する。
 発掘現場には研究者で指導的立場の調査員と、私たちのような作業員がいた。作業員は埋蔵物がない限り穴を掘る。掘る。掘る。
 その時私は、佐藤君といっしょに穴を掘っていた。空気のいい多摩丘陵で穴を掘るのは悪くなかったが、退屈するのでBGMをかけようということになった。調査員にOKをもらい、翌日ラジカセを持ち込みセックス・ピストルズをかけた。
 「Cruse I,I wanna be anarchy」ジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)のだみ声が多摩丘陵の空に吸い込まれていった。スコップを繰り出す腕が痙攣的なビートにのった。調査員が「音楽があるといいね」といった。
 その日の夕方、再び顔を出した調査員が驚いた。いつもの1.5倍くらい穴が掘りすすんだのだ。「音楽の効果絶大だね」。だが、私と佐藤君はへとへとになっていた。
 「なんかおかしくないか」
 「こんなつもりじゃなかったよな」
 「普通でいいんだよ、はかどる必要ない」
 「パンクの精神に反するよ」
 「ノーフューチャーだぜ」
 「どうしようか」
 「明日はレゲエにしよう」
 ズッチャ、ズッチャ、オヨーヨーヨー。
 翌日、穴の中にイスラエル・ヴァイブレーションが響き渡った。地面にスコップを刺しては一拍休み、体重をかけては一拍休み、土を投げ飛ばして一拍休み、快適に仕事がすすんだ。きのうの調査員が顔を出し「今日の音楽は楽しいね」と言って去った。
 夕方、再び顔を出した彼の顔が曇った。いつもの半分強しか掘り進んでいないのだ。私と佐藤君はリズムにのりながら快適に作業をしていた。調査員の眼は鋭かった。しばらく私たちの作業を見た後、こう言ったのだ。
 「どうも、その音楽が悪いみたいだな」
 結局その後、BGMはミディアムテンポのロックやポップスを中心に、ときどきウェイラーズやジミー・クリフやマックス・ロメオなどをはさみ、普通のスピードで快適に作業が進むようにした。クラフトワークやゲイリー・ニュマンもかけたなあ。 
 そのときつくづく感じたこと。
 レゲエは最高のワークソングだ。パンクはワークソングではない。失業者の歌だ。

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2008年06月02日

カラオケと歌

 今日はいつも教えている映像の専門学校ではなく、ふだん医療や薬学、福祉などを学んでいる若者対象に映像制作を教えた。全部で8回のプログラム。内容は自己紹介ならぬ他人紹介ビデオを作るというもの。他人にインタビューし、それをもとに企画を立て、相手の魅力をいかに他人に伝えるかという課題だ。今学んでいること、趣味、特技など質問しあって、絵コンテにまとめる。
 カラオケが好きだという学生がいた。彼を紹介する役割の学生が、「じゃあカラオケで歌っているところを撮ろう」といった。するとカラオケ好きの学生が「やだよ、カラオケでみんなの視線が集中するのは恥ずかしい」という。
 彼によれば、カラオケではみんな次に歌う歌をリストで探しているので、歌っているところを集中して見られたり聞かれることはないのだという。
 これは、カラオケについてよく指摘されることだが、私はふだんめったに行かないので、あらためてそういう場所なのだと認識した。
 私が学生だった頃、徐々にカラオケが街に浸透しだした。それまでは、飲み会で歌うといえばアカペラ(要するに伴奏なし)、せいぜい手拍子だった。ギターっていうのもたまにはあったが。そして、人の歌をちゃんと聞いていた。声が裏返ったり、音程が外れることもコミュニケーションだった。同級生の女の子が、ちょっと音程をはずしながら恥ずかしそうに歌った『山羊にひかれて』を今でも覚えている。ふだんはダンディに決めていた友人が、訛り全開で歌った『真室川音頭』を今でも覚えている。
 カラオケを否定する気はないが、歌は規格化された音に合わせることより、ノイズを含んだ鼻歌から生まれるような気がする。
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2008年05月23日

『All Together Now』って何の歌

 今日は高校で映像制作の授業。
 いま取り組んでいる課題はビートルズの『オール トゥゲザー・ナウ』をモティーフに映像を作るというもの。当然、著作権の問題があるので、出来た作品は学外に発表せず授業の中で鑑賞するのみだ。
 曲を聞き、歌詞を読みそこからイメージを膨らませてゆく。専門学校の授業でも、僕はこの曲をよく使う。理由は曲のテンポがよく、歌詞が言葉遊びで、はっきりしたメッセージ、ストーリー、視覚的イメージがないからだ。これがたとえば『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド』のように強烈な視覚的イメージがある曲だと、それに引きずられてどことなく似たような作品が生まれてくる。ところが、この曲でいままで20本以上の作品を作らせたが、同じような作品は一本もない。
 歌詞は「1,2,3,4」「A,B,C,D」「black,white,greeb,red」と数字、文字、色を羅列したり、「ボンボンボン」という掛け声の合間に「sail the ship(船を出そう)」「skip the rope(なわ飛びしよう)」「I love you」などの言葉が、これといった脈絡もなくちりばめられている。そして「all together now(みんないっしょ)」というリフレインが何度も繰り返される。
 発表当時は当然「ラブ&ピース」という気分で聞いてはいたが、同時期の『オール・ユー・ニード・イズ・ラブ』のような明快なメッセージソングとはちがい、遊び心に満ちた童謡のような楽しい曲だ。
 あるグループは、海賊船の上で海賊たちがパーティーを始めるというアニメーションを作り始めた。また、あるグループはいろいろな人の顔をリズミカルに登場させ、次第に人数が増えていくというコンセプトがまとまった。
 ところが、あるグループの目茶目茶明るい女の子が突然こう言った。
 「これ、引きこもりで友達いない子の歌じゃないの」

 いまどきの子は、と言う気はない。僕もいまどきのオヤジだから。
 しかし、この歌を聴いて今までそんなイメージは一度も持ったことがなかった。少なくとも内向きの歌ではなく外向きの歌として聞いていた。だが、考えてみればビートルズもそういった感情と無関係ではない。『オール・トゥゲザー・ナウ』が『エリナー・リグビー』の心のうちを歌った歌といった解釈も可能だ。
 歌は世につれ、世は歌につれというが、明るいポップスが時代によってクルクルと表情を変えて聞こえてくることだってある。
 それを教えてくれたあの生徒は、万華鏡の目の少女……のわけではない。
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2008年05月20日

バイノーラル録音のできるウォークマンを思い出した

台風が来ている。
早朝、まだ暗いうちに風呂にはいる。
窓の外、雨音が聞こえる。電気を消してみる。
近くでぴちゃぴちゃはねる音。右、左、右、右、真ん中、左とあちこちから聞こえてくる。
ぴちゃん、ぴちゃぴちゃん、ぴちゃぴちゃぴちん、
音がゆれ、重なり、分かれ、遠ざかり、近づき、暗闇の中、音が点になり、線になる。
ザーーーー。
遠くで雨音が霧の様に立ち込める。その霧の中から、時々鮮明なしずくの単音が聞こえてくる。腕を動かすと自分が入っている湯船が水音を立てる。ドリフの歌では内が、天井からポタリとしずくが落ちる。
雨音と浴室の水音が織り成すサウンドスケープを味わいながら、そういえば昔バイノーラル録音・再生ができるをウォークマンを持っていたことを思い出した。

バイノーラル録音・再生というのは、簡単にいうと人間の両耳の位置にマイクを仕掛けて録音し、その音を専用のイヤホンを使い両耳で聞くシステムである。マイクとイヤホンの位置が耳と同じなので、現実に音を聞いているときの距離感や立体感が得られるというわけだ。音響工学的には高価で厳密なシステムが必要なのだが、僕が持っていたのはウォークマンのヘッドホンの両耳のところに小さなマイクがついている簡単な代物。ケーブルは二本でヘッドホン端子とマイク端子とがついている。ウォークマンは録音できるタイプで、ヘッドホン端子とマイク端子が入ればよく、専用である必要は無い。このヘッドホンが重要だったのだ。
通勤の途中などよく録音し遊んだ。通り過ぎる車の音、歩くにしたがって川の音が近づき遠ざかっていくようす、横切る人の話し声、カラスの声、頭上で蜂の飛ぶ音など現実の音空間がステレオでデフォルメされて聞こえてくる。夜、部屋でヘッドホンをして朝に駅へ向かう道のりの音を再生すると、鮮やかにそのときの光景が蘇ってくる。
友人勧めると、すっかりはまってしまい「つまらない人生が二度楽しめる」と喜んでいた。


残念ながら肝心のヘッドホンが壊れそれっきりだ。
また試してみたいな。どこかに売ってないかな。


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