2009年10月28日

折り紙の本を借りてきた

 折り紙や紙の造形と写真を組み合わせ、服を作りたいというという創形の学生がいる。まず、折りや紙で何ができるか、できることを増やし、アレンジを加えてみることを勧めた。
 この学生のアイディアに刺激され、私も少し折りや紙の造形について調べてみようと思い、今日図書館で本を借りてきた。私では絶対考えないようなことを学生は考える。これはけっこう刺激になる。こういうときは、そのアイディアにとことん付き合ってみると面白い。
 というわけで今日借りてきたのは、笠原邦彦著『おりがみ新発見1 半開折り・回転折り・非対称の形』、茶谷正洋・中沢圭子著『折り紙建築 世界遺産をつくろう!』、藤井あつ子著『折り紙ソーイングで女の子の服』。折りの技については『おりがみ新発見1』が一番詳しい。『折り紙建築』は一般的に考える折り紙ではなく、大きめのケント紙にカッターで刻みを入れ折ることで建築物を半立体、レリーフ上に作る本だ。『女の子の服』は借りるのがちょっと恥ずかしかったが、実際の子どもが着られる服を作る。これもいわゆる折り紙の概念とは少し違うが、学生がしようとしていることに一番近い。
 この機会のこれらの本をガイドに、一通り作ってみようと思う。


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2009年10月22日

額装をした

 今日は創形美術学校で、午前中は編集の授業、午後は卒業制作のゼミ。ゼミ生が作業をしている横で、私も先日書いた『卒業生による作品展』に出品する作品の額装をする。学生といっしょに作業をするのは、別に共同制作ではないが同じ空気を吸っている感じがして楽しい。
 いつもは映像作品を作っているので、額装という作業は久しぶりだ。前面のガラス板を持つときうっかり手を滑らせ、左手の薬指を少し切ってしまった。ただ写真を台紙に貼って上にガラスを置き、額に入れるだけなのにまったくしばらくやっていないとこのざまだ。
 額について、いろいろなことを久し振り考えた。額の種類、作品と額の関係、大きさ、額の色彩や装飾の有無、額を使わない展示のしかた、考えるといろいろなことがある。
 私がはじめて親の同伴無しで美術館に行ったのは、中学の頃の『レンブラントとオランダ絵画巨匠展』だったと思う。たしか小学校の友人林くんと行ったのではなかったか。
 まだよく絵の楽しみ方がわからず、ただただ描写力に感動したり、きれいな風景があると窓の外を眺めるようにぼっと観たりしていた。そのとき、私とは無関係な観客の一人が、「すごい額だなあ」と言った。それを聞き始めて額に目が行きなるほど、額というものもすごいなあと感心した。それまではまったく額に意識がいかなかったのに、突然額を見るのが楽しみになってしまった。
 それまでも目には入っていただろうに、意識がいかなかったのが不思議だが、額の役割とはそんなところにあるのだろうか。
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2009年10月20日

創形美術学校40週年記念『卒業生による作品展』に思う

 私の母校であり、いま非常勤講師をしている創形美術学校が今年40周年を向かえる。といっても特別式典のようなことをするようすはない。ただ、学校のエントランスに設置されているギャラリーで卒業生の作品展を開催するという。
 私も出品することにした。『イコノクラスム』という写真と映画のシリーズがあるのだが、その写真4枚を組み写真にして展示する。この映画はあと数本作る予定なのだが、頓挫したままだ。その意味でも、現在進行形の大事な作品である。
 午前中、別の専門学校で授業をした後、新宿の世界堂に行く。かねてより目をつけておいた額縁を買い創形に向かう。学校に着くと、先輩の磯島さんにばったり会う。やはり搬入に来たようだ。磯島さんは同窓会の幹事としても精力的に活動している。同窓会のWebサイトは彼が運営している。
 とりあえず額と写真を所定の場所に置き、ついでなので翌々日の授業の準備をする。
 展覧会は、学校がたいした告知をしたわけでもないのに予想以上の出品者が集まったようだ。総勢62人、ちょっとした団体展だ。10月29日から11月10日までと、11月12日から11月25日までの2回に分けて行うことになった。
 この数字を見て、学校は誰のものかということを考えさせられる。現在の職員が知らないところにも創形美術学校が存在する。現在の創形を知らない卒業生もたくさん存在する。専任講師や非常勤講師が考えた教育ビジョンもその人数分あったろう。いろいろな人の創形に対する思いがたくさんあるだろうことを、この62人という出品者数は予感させる。
 それを生かすことができれば、学校の栄養になるだろう。 
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2009年10月08日

『柳井嗣雄展』を見た

 台風だったが、間一髪、私の乗った電車は目的地まで遅れながらも走った。その一本あとの電車から止まったらしい。5分ほど遅れて学校に駆け込む。だが、一人しか学生が来ない。だよな、山手線内回り外回りとも止まってるんだもの。池袋も人通りが少ない。台風の中、登校した熱心な学生相手に個人レッスン。授業終了後、銀座に向かう。家まで帰る電車はまだ復旧していないので、ちょうどいい。友人の展覧会に行こう。
 柳井嗣雄君の展覧会が、二つの画廊で開かれている。ギャラリーヴィヴァンではドローイングが、VIVANT ANNEXEではインスタレーションが展示されている。二つの画廊は名前からもわかるように、同じ系列だ。 柳井君は繊維を使うアーティストで、今回のインスタレーションも針金に繊維をまきつけ、有機的な感じの構造物を作っている。また、ドローイング作品の和紙も自分で漉いたものだという。インスタレーション案内状の写真を見て大きな作品かと思っていたのだが、意外なことに小さな作品だった。自己組織化する繊維の密度と針金で作られたラフな構造が、小さいけれど広がりのある形態を成立させていた。
 しゃがんで見たり、離れて見たりしたかったのだが、画廊が狭くていろいろな角度、視点から見られなかったのが残念だ。
 ドローイングも、小さいけれど広がりのある空間を形成していた。抽象的な絵だが、和紙は単なる支持体ではなく、墨とアンサンブルする楽器のようだった。
 こちらも小さな画廊で、驚いたことに、万華鏡の専門店(販売している)でもあるらしい。ちょっと見た範囲では2、3万円する立派な万華鏡もあったが、もっと高価なのあるのだろう。柳井君の作品を見に行って万華鏡を見るとは予想もしていなかったので面白かった。
 ただ、柳井作品はもう少し見たかったなあ。腹七分ぐらいの感じだ。
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2009年10月01日

山崎克己紙刻繪展を見た

 創形美術学校で授業をした後、銀座のスパンアートギャラリへ山崎克己君の展覧会を見に行った。
 山崎くんは創形美術学校の友人だ。学年としては後輩に当たるのだが、年は同じ、すいどーばた美術学院という予備校でもいっしょだったはずだ。だが、彼と始めに出会ったのはまだ高校生のころ、どばたの前に通っていた石野泰之先生の画塾だった。
 そんなに昔からの知り合いなのに、微妙にすれ違っている。創形美術学校に入学した時期が違う。僕が卒業するころに彼が入学した。彼は浪人しながらがんばっていたのだ。その後もほとんど会うことなく何年もたった。そんな彼から、去年個展の案内状を貰い会場を訪れ、久しぶりに再開した。その展覧会のようすはこのブログにも書いたのを覚えている。
 そのときも書いたのだが、彼の絵は紙刻繪と名づけているように、紙に黒やバーミリオンの絵具を塗り、それを引っかいて描いていくという独特の描き方をしている。
 描いている対象は、われわれが子どもだった時代を思わせる街の風景の中のちょっと不思議な人々や動物の姿である。ガードに巨大なカタツムリが引っ付いていたり、畳屋さんの屋根の上に人力車を非違いているおっさんとそれを押している兎がいたり、洋式トイレのドアが開いていて擬人化された猫がすまして座っていたり、そんな風景だ。
 われわれが子どもだった時代というと、陳腐になってしまうのであんまりいいたくないのだが、要するに昭和30年代である。『ALLWAYS 三丁目の夕陽』である。だが、山崎くんが描く絵はそんな流行とは別に、明らかに彼のフィルターを通した風景であり、彼の中で時間をかけて醸成された絵である。正確に覚えていないのだが、タイトルに「錬肉術の」なんとかというのがあった。これは唐十郎だ。そういえば昭和20から30年代の風景と、ちょっとシュールな世界といえば唐十郎だが、山崎くんの絵はそれともまた違う。ただ、やはり何か共通のものを感じて、この言葉を使っているのだろう。
 アクリルガッッシュで紙に描いているなだが、ちょっと油絵やパステルのような質感がある。本人に聞くとやはりその辺にこだわっているらしい。油で描く気はないのか聞くと、油絵のマチエールは好きなのだが、時間がかかるのが肌に合わないらしい。このあたりが面白い。
 本人は、こういうどこにも納まらない絵を描いているのは創形にいったせいかもしれないな、と楽しそうに笑っていた。よくわかるなあ。

会期は10月3日まで、住所など詳細は以下を。
スパンアートギャラリー  http://www.span-art.co.jp/
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2009年09月29日

藤山貴司さんのこと

 久しぶりに大串孝二さんと会った。来年の9月に開催される画家藤山貴司さんの新作展で、僕と大串さんでパフォーマンスをやらないかというお誘いを藤山さんの奥さん、麻美さんから受けた。そこで3人で会ったのだ。
 なぜ本人ではなく奥さんかというと、藤山貴司さんは去年の8月に亡くなっている。彼が亡くなる前に作っていた作品を、麻美さんは遺作展ではなく新作展として発表したいというのだ。僕と大串さんのパフォーマンスも麻美さんの発案である。彼は素晴らしい大画面の絵画を描きつづけたが、死の直前に作った作品は不思議な立体作品だ。
 麻美さんは、僕らのパフォーマンスも、オマージュではなく、藤山さんを生きた作家として扱って欲しいという。これには大賛成だ。
 かつて、スタン・ブラッケージの回顧展を日本で開催したとき、私は実行委員の一員として『リスポンドダンス』という、さまざまなアーティストが自分の作品をとおしてブラッケージとの対話するという企画を担当した。アーティストに交渉するに当たって、オマージュではなく本気の対話をしてください、対決でもかまいませんと説得した。
 このパフォーマンスを単なる追悼の儀式にするつもりはない。なんらかの形で藤山貴司という画家を浮かび上がらせなくては意味がない。表現を通した藤山貴司論を展開したい。これが有名人同志なら見る人の中にある程度の予備知識もあり、イメージを膨らませ易いかもしれない。だが、さほど有名ではない優れた画家へ、さほど有名ではないパフォーマーがどう対話を試みるか難問だ。
 一年あるが、さっそく考えよう。 
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2009年09月17日

『ゴーギャン展』に行ってきた

 竹橋の近代美術館に『ゴーギャン』展を見に行った。
 開館時間の少し前、9時50分に着いたが、すでにチケット売り場には長蛇の列。といっても5分ほどで購入できたが、ちょっと気がめげる。
 気を取り直して中に入ると、混んではいるが鑑賞に支障はない。
 今回の目玉は、なんといってもボストン美術館蔵の遺作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』だ。正直言ってこの作品の鑑賞には、あまりいい展示状態ではなかった。
 この絵は縦139.1cm、横374.6cmと横に長い。広い展示室にこの絵が置かれ、鑑賞スペースはロープで絵に対して平行に二つに区切られている。
 絵に近いほうのスペースは、絵に平行に三列ほど人が並ぶことができる。ここでは観客は移動しながら鑑賞する。近くで見ることはできるが、照明が反射して見にくい部分がある。画面右から三分の一ぐらいのところにいる赤い服を着た二人の女は、そもそも暗めの色調なので沈んでいる上に反射が被ってしまう。
 後ろのスペースは止まってじっくり鑑賞することができる。だが、前の移動する人の姿が絵に被り、全体を一望することはできない。画面下半分は人の移動で見えたり見えなかったり。
 この絵は全体に暗い色調で、色彩が立ってくる絵ではない。また、思索的な絵なので、移動しながら見るよりは、じっとしてあちことと画面の中を視線を泳がせるように見たほうが愉しめる。そういう意味では、今回の会場のコンディションはちょっと厳しかった。せめて後ろの席に段差があり、前の人が被らずに全体を一望できると良かったのだがないものねだりかな。オリジナルに触れたことで満足しよう。 
 後ろのスペースに立って眺めながら、絵の前を通り過ぎる人々に目を移すと「この人たちは何処から来たのか この人たちは何者か この人たちは何処へ行くのか」という言葉が浮かんだ。おれもその一人なんだけどね。
 ほかに面白かったのは、ゴーギャン自身が書いたタヒチ滞在記『ノアノア』の連作版画だ。『ノアノア』ほ岩波文庫にも入っている。その中に挿入されている版画に摺りの違う三つのヴァージョンがあった。当然版木は同じで、ゴーギャン自身の摺ったもの、友人のルイ・ロアが摺ったもの、四男のポーラ・ゴーギャンが摺ったもの。岐阜県美術館所蔵の数点とボストン美術館所蔵の数展を並べて展示することでその違いが明らかになった。これがおなじ版画かと思うほど印象が違う。ゴーギャンの自摺りは闇の深さを表現しようとしているかのようであり、ルイ・ロア版は色彩のコントラストが激しく、ポーラ・ゴーギャン版ではモノクロで版木のディティールまで再現され鉛筆画のようだ。版画という複製芸術で、これほどの違いが出ることがとても興味深い。
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2009年09月09日

『中村宏・展』を見た

 京橋のギャラリー川船に、『中村宏・展』を見に行った。
 抑制された表現ながら力強い絵画の魅力を味わった。見ているときは単純に、うーんいい絵だなあと思っていたのだが、画廊を出て地下鉄の中でその体験を反芻しているうちに、久々に絵を見ることのリアリティを味わったのだということに気づいた。家に帰ってきた今も、その感覚はさらに増している。
 きょうび絵画にリアリティを感じることはまれだ。具象であれ、抽象であれ。いい絵だなと思うことはあっても、どこかで過去のメディアに接している感じは否めない。絵を見ることが今の事件としてひりひりと感じられることはめったにない。
 白と黒を基調にした色彩、色はほとんど使っていない。物の輪郭が太い線で描かれる。縦横に走る格子状の線が画面を覆っているが、必ずしも画面全体には及んでいない。ほとんどの作品は水平線で分割されており、線の上部が黒、下部が白で塗られている。格子状の線は白い部分には引かれているが黒い部分にはない。また、格子といっても升目は正方形ではなく、横長の長方形だ。この格子状の線と、太い輪郭線で描かれた物や人物の描写は、方眼紙に描かれた設計図や説明図を連想させる。
 この格子状の線は、絵画が平面であることをいやがうえにも強調する。そしてその中に描かれた絵柄の遠近法的な描写と落差を生み出す。絵画が平面であることと三次元空間のイリュージョンを表現しようとすること、つまり絵画の本質的な矛盾がぶつかり合う。画面上部とその他の場所に出現する黒い領域は、格子の空白地帯であり、絵画の本質的な矛盾を沈黙させる闇の領域である。
 白い面はところどころ斑のあるタッチで塗られている。格子状の線も定規で引かれたように斑のない均一な線ではなく濃淡があり、絵によっては薄くゴーストのように二重になっている。つまり一見説明図に見えながら、設計図にはありえない絵画的な幅をもっている。
 中村さんからお送りいただいた案内状には『図鑑・2 背後』という首のないセーラー服を着た女性の後姿の絵が印刷されていた。私はうかつにもドローイングかと思った。アクリル・キャンバスと書いてあるのに。だが現物を見ると、2007年の東京都現代美術館で開かれた『中村宏/図画事件1953-2007』に展示されており、私も見たことのある作品だった。どこの部屋のどこの壁にかかっていたかも覚えている。
 私の鑑賞力と記憶力がお粗末だということは棚に上げる。葉書を見た印象と、実物を見た印象はまったく違う。葉書ではモティーフを指し示すことに重点がおかれた線画のイラストレーションに見えたのだが、実物はモティーフから離れても鑑賞できる絵画としての幅をもっている。その意味でリキテンシュタインの絵画とその複製の関係に似ている。彼の絵は図版で見ると単にマンガに見えてしまうが、実物は絵画としての幅をもっていて、見ることが豊かな体験となる。
 女学生、蒸気機関車、便器など中村さんの絵画はモティーフ自体が面白くて、描かれた空間の中にひったて楽しむことができた。だが、常に絵画論を内包していた。《車窓篇》《タブロオ機械》など近年のシリーズになるにしたがって、絵画論的な色彩がより強くなってきたように思う。今回展示されている《図鑑》シリーズ、《絵図連鎖》シリーズではいっそうその傾向が強まった。特に《図鑑》シリーズは、多くのものをそぎ落とし絵画の本質をギリギリまで問い詰めている。2009年という時代に、私たちは絵画のなかにどんなリアリティを見出すことができるのか、その答えのひとつがここにある。
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2009年09月06日

『鴻池朋子展』を見た

 東京オペラシティアートギャラリーに『鴻池朋子展 インタートラベラー神話と遊ぶ人』を見に行った。展示に工夫が凝らされていて面白かった。
 入場料1000円を払い会場に入ると、長い廊下の途中に左側に入る口がある。入ってみると襖絵がある。襖の真ん中が空いており次の部屋が見える。次の部屋は薄い紗幕で遮断されているが、一部がめくれ上がっている。そこから入ればいいようだ。紗膜に包まれた空間に入ると、椅子ぐらいの高さの台のうえに、箱状のものが置かれている。中を見ると絵だ。同じものがいくつもあり、螺旋形をなしている。端から見ていくと絵物語になっている。鉛筆画でタイトルにあるとおり神話的な世界だ。その部屋の一角にはモニターが置かれ、絵物語と共通するキャラクターのアニメーションが流れている。
 次の部屋へは赤い幕を潜り抜けて入っていく。単に作品が並んでいる展示室ではなく、一部屋一部屋がインスタレーションとしても成立しており、それぞれの部屋がひとつの世界を作っている。
 世界めぐり、この展覧会を見ることはロールプレイングゲームのように、私たちがいくつもの世界を旅することなのだ。インタートラベラーとはそういうことのようだ。
 しっかりした描写力に支えられた幻想絵画の魅力。絵画のキャラクターをアニメーションやインスタレーションに展開する巧みさ。
 私が面白かったのは、ボルヘスの『砂の本』を思わせる絵物語『焚書―World of Wonder』と、大きな本にアニメーションを映写する『ミミオ―オデッセイ』、そして鏡をちりばめた巨大な赤ん坊の頭部が回転する『赤ん坊』だった。『赤ん坊』はミラーボールが赤ん坊の頭の形をしていると思えばよい。そこに光を当て、部屋いっぱいに反射光が回転する。ただし、頭部なので球体のように均一な面ではなくでこぼこがあり、そこに貼り付けた鏡の断片も大きさがまちまちであるため、反射光が複雑な動きをし、星の等級のようにふしぎな遠近感を作り出す。
 これらの作品を楽しみながら、だが気になったことがある。神話というものが小さくなってしまったような気がしたのだ。神話はおおむね世界生成と消滅の物語である。たとえそれが恋物語であったとしても、世界生成と消滅の物語をなぞるような物語である。壮大な物語もくりかえすことで小さくなっていく。神話はいま、マンガやアニメやゲームや映画の中に様々な意匠をこらして存在する。
 いま神話は私たちの生活と地続きではなく、私たちは神話(起源)から完全に切り離されて存在している。だから、神話を観念的に求めるのかもしれない。
 これは鴻池朋子の問題ではない。いまの時代のリアリティの問題だと思う。
 
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2008年09月21日

『新日曜美術館』でジョセフ・コーネルを見た

 新日曜美術館で、ジョセフ・コーネルを取り上げていた。
 あらためて不思議な作家だ。
 私がコーネルをはじめて知ったのは画学生だったときだ。当時講談社から出ていた『現代の美術』という美術全集の中の一冊に、コーネルの図版が載っていたのだったと思う。
 たぶん、誰もがコーネルという作家を知った瞬間に「あっ」と何かに思い当たるのではないだろうか。同じような気持で。
 この世にはさまざまな箱がある。道具箱、靴箱、お弁当箱、標本箱、おもちゃ箱、玉手箱にパンドラの箱。箱のついた言葉は、コレクションという意味で、アンソロジーや作品集など書物やCDやDVDなどのタイトルとして使われることも多い。「○○の標本箱」「○○のおもちゃ箱」といった具合に。
 箱は小宇宙の喩えとしてもよく使われる。ジョセフ・コーネルの作品も小宇宙と評されることが多いが、それはコーネル固有のものが詰まった小宇宙というのとはちょっと違うように思う。一見固有のイメージの世界に見えながら、そこに留まってはいない。
 ジョセフ・コーネルの箱の魅力は、特定の箱ではなく、いろいろな箱に私たちが感じる「普遍的な箱の魅力」なのではないだろうか。箱の中に入れられたことで物と物の間に生まれるイメージの力学、箱の内と外に生まれるイメージの磁場、そういったものがコーネルの作品に感じる最大の力だ。コーネルの箱は、コーネル固有のイメージの小宇宙のように見えながら、固有のイメージから離れ、箱という普遍的な場に向かっていくのだ。
 誰もがコーネルの箱を見た瞬間に感じる「こんな箱見たことある」という根源的郷愁、だが誰もそれまではこんな箱を見たことはなかったはずである。これまで見たことがあるのは、様々な個別の箱なのだから。
 そして、コーネルの箱を見たあとは、箱型オブジェの作品はほとんどコーネルの亜流に見えてしまう。
 ジョセフ・コーネルは「箱」というイメージの場の公理を作った。小宇宙というのはそういうことだろう。
 いとおかし。
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2008年09月14日

『ローリー・アンダーソン 0&1』を見た

 久しぶりに、ローリー・アンダーソンのライブパフォーマンス『0&1』のビデオを見た。面白かった。
 日本ではじめに彼女のパフォーマンスがあったのはいつだったろう。80年代の前半だったか後半だったかが思い出せない。ちょうど、パフォーマンスという言葉がアート界で一大ブームを巻き起こしていたときだったのか、その直後だったのか。
 このビデオは1986年の作品だ。記憶ではそれ以前に来たように思うのだが、どうだったろう。そういうこともすんなり調べられるように、部屋の大掃除をしなければと反省しきり。
 時期にこだわっているのは、パフォーマンスブームとの関連で、彼女のライブを見たときちょっとがっかりした記憶があるからだ。
 私は70年代の終わりから、パフォーマンスとワークショップという言葉に新しいアートの可能性を感じ、それらの活動にのめり込んでいた。パフォーマンスという言葉を全面に打ち出したライブスペースPLAN−Bが1982年に設立され、私もその運動に参加した。70年代の終わりから、80年代にかけての私は、パフォーマンスという言葉ともにあった。
 そんな折、ローリー・アンダーソンの来日公演があった。彼女のパフォーマンスは、エンターティメントとしてあまりに洗練され、パッケージ化されていた。私が当時パフォーマンスというものに可能性を感じていたのは、パッケージ化された文化を動的な場に変えることができると思っていたからである。ローリー・アンダーソンのパフォーマンスは、パフォーマンスという運動の終焉を感じさせた。私は、ないものねだりをしていたのだろう。
 その後も、彼女のCDは時々聴いたしビデオも見た。エンターティメントとして楽しむようになった。
 
 久しぶりに観たローリー・アンダーソンは面白かった。私が当時求めていたパフォーマンスとの距離も、よく見えるようになった。
 わたしは、ローリー・アンダーソンにないものねだりをしていたかもしれないが、私の求めていたパフォーマンスそのものがないものねだりだったわけではない。
 私の求めていたパフォーマンスは、私のパフォーマンスとして実現すればいいのだから。距離を知るということは、自分の立ち位置を知ることである。

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2008年09月09日

『竹内美紀子展』と『山崎克己展』を見た

 きょうは創形美術学校で卒業制作のガイダンスのあと、銀座に向かい友人2人の個展を見ることにする。
 まずは、ギャラリー21+葉で『竹内美紀子展』。サブタイトルが〈slave to time〉。まったく関係ないだろうが題名の連想でブライアン・フェリーを口ずさみながらふらふらと銀座へ。
 スキャナーの上にたくさんのビー玉を置きスキャニングした平面作品と、その絵柄をほぼ等身大の犬のオブジェにプリントした作品を組み合わせたインスタレーション。寝ている犬がいい。ビー玉の光は、スキャニングのときのずれで尾を引いたり、波を打ったり、あるいはきちんと丸く撮れていたり。都市の夜景でもあり、神経系の明滅のようでもある。静かな作品だ。
 続いて、スパンアートギャラリーで『山崎克己 紙刻繪展』。こちらはケント紙にアクリルのバーミリオンや黒を塗ったあとそれを引っかき、削り、また描き加えるといったまるで油絵のようなプロセスを経て描かれた不思議なイラスト。彼は絵本作家でもあり、子どもの頃の幻想的な風景を描く。ユーモラスで、思わず笑ってしまう。プロセスが油絵っぽいのに、なぜか実でアクリルなのかを聞いたところ、油絵的な描き方が好きだけれど、何日もかかるのが嫌でこの技法にゆきついたということだった。なっとく。
(どちらも9月13日土曜日まで。下記ギャラリーのホームページで作品も見れます)

ギャラリー21+葉    http://www.gallery21yo.com/
スパンアートギャラリー http://www.span-art.co.jp/

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2008年08月11日

藤山さんのこと

 8月6日に画家の藤山貴司さんが亡くなった。きのうが通夜、今日が告別式だった。きのうの通夜には何百人という人が参列し、焼香にも長蛇の列ができた。きょうも平日にもかかわらず、告別式にもたくさんの方が参列、藤山さんの人望の厚さを感じさせられた。
 式は神奈川県の大和市で行われた。東西線、千代田線、小田急線を乗り継いで千葉から東京を通過し神奈川へ、ちょっとした旅である。
 通夜の帰り、きのうのことだが、途中からたくさんの浴衣姿の人々が地下鉄に乗り込んできた。東京湾花火大会だったのだ。先ほどの喪服の長い長い列とは打って変わった華やかさ。だが、祭りのあとのちょっとした寂しさ。私は、その人たちもまた、藤山さんをにぎやかにおくってきたような錯覚にとらわれた。
 藤山さんの画業については、これからもっともっと評価されてしかるべきだと思う。また、藤山さんについて書きたいことはいろいろあるのだが、今の段階では頭の整理がつかない。中途半端な文章だが、お許しいただきたい。ひとことだけ書いておく。
 藤山さんに聞き逃したことがある。それは、アートによる社会参加ということに、藤山さんはある構想を持っていたし、実践にも踏み出していた。それを、ガンによって諦めざるを得なかった。その構想についてもう少しきちんと聞いておくべきだったと思う。
 
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2008年08月03日

ボーダレス・アートミュージアムへ行った 8月2日午前

ミュージアム京都からJRで近江八幡まで行き、散歩しながらボーダレス・アートミュージアムへ行った。ニ階建ての古い町屋を改造した小さなミュージアムだが、展示されている作品と同時に建物自体も鑑賞し楽しむことができる。パンフレットには「障害の有無を超え、作品を通じて、人が持つ表現へのエネルギーが交差する、新しい場所をめざします」とある。
美術専門教育を受けていない人の美術表現であるアウトサイダーアートや障害を持った人の表現に焦点を当てつつ、さまざまな境界を乗り越えてゆく、ということらしい。
ここのことは、先日のアールブュリュット展で紹介されていたので知った。
ちょうど夏の企画展「岩崎司〜大志と正義 そしてそれゆえの苦悩〜」が開かれていた。
正直言って、何か感想めいたことをいうのが難しい。作品のインパクトは強烈である。見たものが何か語るのを、作品が拒絶しているというのでもない。
岩崎司は会社を経営したり市会議員として活躍した後、奇行が目立つようになり55歳で入院、以後生涯を病院で過ごしたという。入院後絵を描き始め、若い頃から好きだった俳句と絵を組み合わせた独自の表現を始める。展覧会のサブタイトル「大志と正義そしてそれゆえの苦悩」は岩崎の作品のテーマである。聖書のサムソンに題材をとった絵、キリストや歴史上の偉人をうたった俳句、雄大な自然、竜、虎、城、太陽からの光、星。理想に燃えて困難に立ち向かい苦悩する人間、そしてその人間の魂が岩崎のテーマだったようだ。もちろんそこに自己投影されているのだろう。
岩崎の絵も俳句も紋切り型で拙い。だかだからこそ、紋切り型あるいは定型というものの普遍性を感じない訳にはいかない。
韓流ブームのはるか以前に韓国の娼婦たちを描いた映画を見た。彼女たちの生きざまは典型的なメロドラマのパターンに収まっていた。だが、それはパターンから作り出した架空の話ではなく、実話に取材した物語だときいて驚いた。
岩崎司の描く大志、正義、苦悩にも同様のものを感じる。普遍的でありかつ個別的な類型の強さ。
岩崎司の作品が極めて強い個性を持ちながら、それについて語るのが難しいのは、この類型の強さゆえだろう。ここに描かれた大志、正義、苦悩には、ゆうべ見た「イワン雷帝」にも共通するものもあるし、宗教画、ハリウッド映画、「アストロ球団」からバーネット・ニューマンまでさまざまなものから感じるのと同質のものがある。
今のところ、ここまでにしておく。

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2008年08月02日

8月1日の続き

美術館 京都国立近代美術館にやって来る。「下村良之介展」を見るためだ。1階では8月5日からの「W・ユージン・スミス」展の展示作業中である。美術館の裏側を覗き見た感じを味わいながら、エントランスから2階へ。下村良之介の作品には驚いた。「日本画」再考への序章ーーというサブタイトルが示すように、下村は日本画家である。昭和23年から京都で新たな日本画を求めて活動を始めたパンリアル美術協会の展覧会に1回目から参加している。日本画の前衛的な活動をした画家だ。今年は没後10年だという。
初期の作品を見ると、紙に日本画の絵具て描いているのだが、絵具の付き方や画面の醸し出す雰囲気は、まるで油絵だ。幻想的な風景を抽象化して表現していること、モチーフに鳥がたびたび登場することもあり、マックス・エルンストを連想する。しばらくたつと絵具が盛り上がったマチエールになる。なんとこれは、紙粘土を使いマチエールを作っているという。
あきらかに、初期はエルンストやマッタなどの近代西洋絵画の影響が見られるのだが、そこから独自の日本画が確立していく過程が感動的である。
他のパンリアル美術協会の画家たちの作品も展示されていたが、共通するのは近代西洋絵画への接近と、独自の日本画の確立というところは共通しているように思う。
たぶん、戦後の出発にあたり、近代西洋絵画の方がリアルに感じられるたのだろう。当時の日本画革新にかける、京都の若き画家たちの気概と、その後の充実した制作に触れ感激した。

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2008年07月27日

縄文コンテンポラリーアート展inふなばし

 船橋に「船橋市飛ノ台史跡公園博物館」がある。飛ノ台貝塚という縄文早期の遺跡につくられた野外展示施設と博物館である。野外展示では、貝塚のようすを伝えるため型どりし模型を設置してある。博物館には遺物や竪穴式住居の模型などが展示してある。
 家からもそう遠くはない。
 その博物館で、毎年夏になると恒例のアートイベントが行われる。チラシにタイトルがいろいろあってどれがどうなのかわからないので、全部書いておく。
 『縄文コンテンポラリーアート展inふなばし/縄文アートまつりvol.4縄文と遊ぼ!/出会いの造形U/古代飛ノ台とアート』
 主催が船橋市飛ノ台史跡公園博物館と縄文コンテンポラリーアート展実行委員会となっているので、「縄文コンテンポラリーアート展」がメインタイトルのようだ。
 博物館内と公園を使い、造形作品の展示が7月20日から9月14日まで行われ、7月20日から8月30日の毎週土日には、様々なワークショップが行われる。
 今日、7月26日は朝から『縄文アートまつり』と称して、ワークショップとパフォーマンスが行われた。
 夜の7時からは踊りと音楽のパフォーマンスがあった。音楽1人、ダンス・舞踏者が5人、友人のダンサーであり映像作家である万城目純君が構成・振り付けだ。もちろん彼も踊る。
 実行委員会の中心メンバーであり、出品作家でもある酒井清一さんからご案内をいただき、夜のパフォーマンスを見に行った。直前に数十分の豪雨があったが、7時ごろには止んでいた。
 夕焼けが赤い。草と水の匂いがする。
 20日にワークショップで作った粘土の作品を焼いている。しばらく前から弱火で焼いていたようだが、最後に作品を覆うように薪をくべ、大きな炎が上がる。その炎をバックに、パフォーマンスが始まる。ゆっくり始まった踊りは、やがて観客を巻き込み盛り上がる。その後参加した観客が引け、ゆっくりと終息に向かう。観客が加わったときはタテノリになるのがおかしい。
 パフォーマンスが終わった頃、粘土作品も焼きあがっていた。
 博物館のある辺りは、今では海から遠く小高い岡の上といった場所だが、古代にはこの近くまで海だった。帰り道、古代の海を歩いて帰ってきた。
 
 展覧会はまだまだ続く。詳細は以下のURLから
http://www.city.funabashi.chiba.jp/tobinodai/

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ラベル:縄文
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2008年07月23日

文化財への落書き

 きょう(7月23日)の朝日新聞の朝刊に「落書き被害4割」という記事があった。国内の世界文化遺産を構成する建物など計62件について、朝日新聞が落書き被害の実態を管理者に問い合わせたところ、回答のあった57件のうち4割に当たる23件が被害にあっていたというのだ。
 記事では、常時きれいにしておくことで落書きが減ったという仁和寺の例も紹介されていた。
 今年6月にはイタリアはフィレンツェにある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」に岐阜市立女子短大生、京都産業大学生、常磐大高校の野球部監督らが落書きしたことが知られ、問題となった。 はじめに話題になった岐阜市立女子短期大学では、落書きをした学生の代表と教員と学長がフィレンツェに謝罪に行った。京都産業大学は、当該学生を停学にし、学生の謝罪文を大聖堂に送った。常磐大高等学校の野球部監督は解任された。
 岐阜市立女子短期大学は、謝罪とともに損害賠償や修復作業への参加の申し出もしたようだが、これに対し、大聖堂側は謝罪すれば賠償は不要、修復は専門家がやるという対応だったという。
 常磐大高等学校の監督解雇という処分は厳しすぎるという声が、イタリアでも日本でもあったようだ。たしかに、処分としては重すぎる。しかし、名前が出てしまった以上、野球部顧問を続けるのは難しいだろう。生徒が、落書き監督と茶化して言うことを聞くまい。ユニホームに落書きされても文句は言えない。俺ならするね。こういう大人は格好の標的だ。しかも、名前が知れ渡ったのは、自分が名前を落書きしたからだ。
 この事件以来、様々な施設や文化財への落書きが問題視されるようになった。神社仏閣・教会などの施設ばかりでなく、鳥取砂丘などの自然への落書きも取り上げられた。
 私も鳥取砂丘に行き、砂丘の広大な斜面にでっかい相合傘が描かれているのを見てがっかりした事がある。砂丘はどうせ消えるので罪の意識も低いのだろうが、「俺はこんなもんを見に来んじゃない」というやり場のない怒りを感じた人は多いはずだ。ただ、その斜面を歩くと当然足跡がつく。その足跡は景観にとって邪魔ではないのかといえば邪魔である。邪魔だがいたしかたない。それに比べ、落書きは意図的でそのくせ個人的な分うざい。
 落書き問題はつまるところ美意識の問題だ。大聖堂や砂丘を見に行って相合傘や名前を見せられることにうんざりするかどうか。落書きがかっこ悪いという意識が浸透すれば、落書きも減るだろう。
 この世には、文化財的な価値のある落書きもある。唐招提寺金堂の梵天立像の台座の落書きは、当時の工人たちが描いたようだ。法隆寺金堂や塔の天井板にも、絵師たちの落書きが残っている。表向きの表現とは違った面が表われており、資料としても重要である。
 やっかいなのは、「カッコイイ」落書きである。70年代にニューヨークのストリートから発し、82年映画『ワイルド・スタイル』で世界に広まったグラフィティ。いまやうちの近所のガードにもそれ風の落書きがある。『ヒップホップストーリー』という映像作品の中に、グラフィティのアーティストのエピソードがあり、面白かった。アーティストといってもチンピラである。チンピラといっても、ポリシーはしっかりしている。ニューヨーク市当局が取り締まりを強化している中、「奴らがどんなに締め付けても、俺は絶対にやめないぜ」とか言って、地下鉄の車庫に忍び込み車両に描く。この落書きは、メッセージがあろうがなかろうが、外に向かって開かれていた。見られることを意識していた。グラフィティの中からキース・ヘリングやバスキアといったアーティストが現れた。だが、今また日本のあちこちでグラフィティの被害が問題になっている。グラフィティは当初、文化を持っているものに対する持っていないものの闘争だった。だからいいとか、許されるのではなく、社会的には迷惑だが同時に魅力もあった。この、社会通念上は否定しなければならないのに、魅力があって否定しがたいところがグラフィティの発信力である。
 今、あちこちの街で頭を抱えているグラフィティは、どうなのだろう。少なくともヒップホップの真似と思えるものには興味がない。
 文化財への落書きの話を聞いたとき、ルーブル美術館のことを思い出した。ルーブルはほとんどの作品の写真撮影を許可している。また、申請すれがキャンバスや絵具を持ち込み模写することもできる。日本の美術館では考えられないほど、観衆に対してオープンだ。ところで、世界中から人が集まるルーブルでは、落書きの被害はないのだろうか。
 「ルーブルを焼き払え」と言ったのは、19世紀写実主義の画家クールベだが、もちろん自分で火はつけなかった。落書きもしなかった。ただ、アカデミズムに対する闘争を開始した。クールベも絵具や画材を買えず、サロンへの出品資格すらなかったならば、落書き闘争を始めたかもしれない。
 公共施設、特に文化財への落書きはダサい犯罪である。犯罪でありながらもなお、訴えかけてくる魅力的な落書きもごく稀にある。だからといって、それらの落書きが犯罪でなくなるわけではない。魅力的であり、かつ犯罪なのだ。

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2008年07月20日

『アール・ブリュット/交差する魂』を見た

 しんどかった。
 松下電工汐留ミュージアムへ『アール・ブリュット/交差する魂』を見に行った。前々から見ようと思っていたのだが、ギリギリ最終日に駆け込むようにして見た。失敗だった。もう少し前に見に行った上でもう一度、最低でも二度は見るべきだった。この展覧会は駆け込みでざっと見て済ませられるような代物ではなかった。
 「アール・ブリュット=生の芸術」とは、正規の美術教育を受けていない人たちによって制作される美術作品のことで、画家のジャン・デュビュッフェの命名である。デュビュッフェは子どもや美術界とは無縁の作家が制作した絵画、彫刻などに、人間の根源的な表現衝動を発見し作品を収集、スイスのローザンヌ市に「アール・ブリュット・コレクション」を設立した。
 今回の展覧会は、そのアール・ブリュット・コレクションの作品と、滋賀県にある「ボーダレス・アート・ミュージアム」の作品で構成されている。
 私は不勉強で、日本にそんな美術館があることを知らなかったのだが、障害者アートを紹介する美術館だ。単なる紹介ではなく、一般のアーティストの作品と並列して展示するなど「人の持つ普遍的な表現する力」を浮かび上がらせ、障害者と健常者などさまざまな境界(ボーダー)を越える試みをしているのだという。
 アール・ブリュット・コレクションの作品は必ずしも障害がある人の作品というわけではなく、ネック・チャンドのように道路建設の仕事の傍ら、こつこつと石で作品を作り続けた作家もいる。
 仕事の傍ら創作するといえば、趣味で絵を描くアマチュア画家がいる。いや、日本のほとんどの美術家も仕事の傍ら制作している。だが、美術家はもとよりアマチュア画家も、多くはこれまでの美術を参照するなり影響を受けるなり反発するなりして創作を行っている。それに対して、ネック・チャンドラは美術の歴史や制度と無関係に創作をしている。これが・アール・ブリュットの特徴だろう。また、アール・ブリュットなどという概念にグルーピングされることも、本人の意志とは無関係だろう。
 今回の展覧会で取り上げている作家のすべてが、精神障害を持っているのではない。しかし、多くが障害を持った人たちである。
 どの作品も強烈だった。そしてしんどかった。簡単には感動できない。人間の精神の奥深さや多面性を感じさせられたと言うことはできるが、そんな生易しいものではない。
 チラシには「様々な社会的規制の束縛から精神の自由や独創を獲得する人間の力」という言葉がある。たしかにそう感じる。だが、同時になにか大きな力やイメージに束縛されてもがく人間の姿も感じる。何かが憑依して美術家たちに作品を作らせているような感じすら受ける。自由と同時に激しい不自由も感じる。
 美術家の主体的な意志と、憑依しているものが相互に入れ替わり、見ているうちに混乱してくる。両者の線引きは難しい。見れば見るほど怖くなってくる。
 精神に障害を持った画家、たとえばゴッホの絵を見たときの感想とはまた違う。遺された絵画には、ゴッホの精神が病に勝利したことが刻印されている。実人生では病が勝利してしまったのかもしれないが、絵画においてはゴッホの精神が勝利している。
 この展覧会に出品されている多くの作品は、まさに精神と病の戦いの戦時報告といった趣だ。戦いの最中だと感じる作品は、見ていて苦しくなる。だが、明らかに突き抜けた感動に至る作品もあった。
 感動に至る作品もそうでない作品も、どれもひどく孤独な作業に見えた。
 美術家の主体と彼に描かせている力という言い方をしたが、一般の画家の場合も本人の意志だけではなく、彼を動かし描かせる力がないわけではない。そして、美術家はその力を乗りこなしたり、戦いを挑んだりする。そのひとつが、美術の歴史や制度という文化だ。文化は広く共有されているから、美術家がそれに乗っかっても、戦いを挑んでもその作業は開かれたものとなる。
 だが、アール・ブリュットの美術家たちを突き動かす力は、より根源的かもしれないが文化として共有されてはいない。これは、精神障害のあるなしに関わらない。そういった人たちをアール・ブリュットと呼んでいるのだ。したがって、彼らの作業は孤独にならざるを得ない。
 ゴッホの絵を見ているだけでは見落としていただろう深淵が、ぽっかりと口をあけている。眼が離せない。
 
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2008年07月11日

泥のプール伝説

 7月6日、昔やっていた穴掘りのアルバイトについて記事を書いた。私のつまらない冗談にもまめに反応してくれるコメントの常連ジュンタさんから、「座布団5枚」を頂戴した。また、ominamiさんからもコメントをいただいた。「内容と関係ないので申しわけないが」と断った上で、愛知児童総合センターでの子どもとの活動のひとつ、1泊2日で穴を掘ってまた埋める「あなをほる」をご紹介いただいた。URLも併記されていたので拝見したが、確かに興味深く感動的だ。
 私も子どもの頃、うちの庭に穴を掘り、上に古くなった雨戸の板をかけ、軽く砂を盛って地下秘密基地と称して喜んでいた。小学校の高学年になると男の隠れ家趣味は卒業したが、アンダーグラウンド趣味のほうは以来抜けなくなってしまった。
 自分の体がスッポリ入る穴を掘るということは、何か根源的な感動があるものだ。そのときの秘密基地は、子ども3人ぐらいは入れる大きさだった。
 愛知児童総合センターのワークショップで、もうひとつ思い出したことがある。創形美術学校の学生だった頃、版画科にオザキ君というユニークな男がいた。私もバカばかりやっていたが理屈っぽかった。しかし、オザキ君はすっこ抜けていた。彼は時々、生活と表現の境目をぼかすような不思議な事をしでかした。
 当時、学校は中央線の国立駅と南武線の谷保駅を結ぶ大学通りから少し入ったところにあり、学校の前は空き地だった。その空き地で、われわれはバレーボールをしたり、野球をしたり、飲み会をしたり、野外パフォーマンス(当時はイベントあるいはハプニングといった)をしたり、文化祭の会場になったり、好き勝手に使っていた。
 あるとき、オザキ君がその空き地を掘り始めた。手伝う奴が何人か現れ、穴ができあがった。人が何人も入れるかなりでかい穴である。するとオザキ君は学校の外にある水道からホースを引き、穴に水を溜め始めた。下は土だが、かなりの勢いで水を出せば、それなりに溜まる。溜まったところでオザキ君は服のままプールに入り泳ぎ始めた。穴を掘っていた連中も飛び込みみんな泥だらけになった。ひとしきり泥んこになったところ、水も引き始める。するとオザキ君たち一行は泥だらけの姿でパレードし、学校から国立駅、谷保駅、学校と大学通りを往復したという。たしか、「泥のプールで泳ごう」というプラカードを持っていたのではなかったかと思う。話が曖昧なのは、私自身は見ておらず後から聞いた話だからだ。
 以上が「泥のプール伝説」である。余計な解釈はせず、じっくり味わっていただきたい。

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2008年07月10日

『宮島美穂子展』が始まった

 7月8日から19日まで、創形美術学校のエントランスにあるガレリ・アプントで『宮島美穂子展』が開かれている。8日の夕方からはオープニングパーティがおこなわれた。この展覧会は、創形の同窓会の企画だ。卒業生からの公募で、年に1名、ガレリア・プントで個展を行う。同窓会からの援助もある。
 宮島さんの作品はすべて具象だ。大きな作品は4点あり、喫茶店のマスター、天馬に乗る人、音楽を演奏する人々など詩的な世界を描いている。極端な幻想ではなく、日常に近いところのポエジーだ。特に、音楽を演奏する人々は2点あり、多視点で人物や物を組み合わせ独特の空間を作り出し、面白かった。
 オープニングパーティには、授業が終わった在校生、講師、卒業生、同窓会のスタッフ、そして当然作家のご家族やご親戚、お友達などが集まり、普通の画廊のオープニングパーティとはまた違った盛り上がりを見せていた。
 飯田淳校長も挨拶で言っていたが、在校生にとってはものすごく刺激になるだろう。先輩の作品を見ることは、自分の身近な目標を設定することにもつながる。といいながら、私は冷や汗が出る。私も数十年前創形の学生だったが、先輩の作品の批判ばかりしている嫌な学生だったから。たらーり、たらーり。
 在校生と卒業生と講師と御家族と、絵でつながった会話があちこちで生まれていた。私も在校生と教室ではあまりしないような角度で話を交わした。
 卒業生の間では、喫茶店の中のマスターを描いた絵が話題になっていた。創形は今池袋にあるが、かつては国立にあった。描かれていたのは、国立の名物喫茶店「邪宗門」のマスターの姿だった。

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