2009年10月26日

ノーマン・マクラレンの『垂直線』と『水平線』を観た

 映像についてあれこれ考えるうち、次第に頭が煮詰まってきた。頭をすっきりさせるために、ノーマン・マクラレンの『垂直線』と『水平線』が無性に観たくなりDVDをプレーヤーに突っ込んだ。
 『垂直線』では、画面に一本の垂直線が現れ、左右に往復運動を始める。右の画面フレームに当たると左側に向かい、左の画面フレームに当たると右側に向かう。
 線からもう一本線が生まれ2本の線が移動する。線は次第に増え、それぞれが微妙に異なったスピードで動く。線は画面に粗密の関係を作り出し、また一本にまとまる。そしてまた増殖する。
 非常にシンプルな映画だが、そこから生まれてくるイリュージョンは豊かだ。解説によると、線は黒いフィルムに直接スクラッチしているという。たしかにスクラッチの線だ。ときどきエッジに斑ができ、それが作品に含みを作り出している。CGだったらもっと味気なくなったかもしれない。
 線の粗密な関係が立体感を生み出す瞬間がある。六角柱や八角柱の柱のように見えて、そこから神殿のイリュージョンが浮かんでくる。だが、全ての線は移動しているので、一瞬後にはその関係が違ったものになる。 
 線が生み出すのは、建物や空間といった外的なイメージばかりではない。線が交差したりぶつかった瞬間にもう一本線が現れる。たったそれだけで、ものの発生や成長といったイメージを引き起こす。そしてなによりも、単なる線の移動を観ながら、そこに様々なイメージを読みとっている自分自身の知覚やイメージのあり方といった内面に意識が向かう。
 『水平線』は『垂直線』を90度回転させ、背景と音楽を変えた作品だ。背景といっても色面で、何かが描かれたりしているわけではない。色味や透明度が少し違うだけだ。線の動きはまったく同じということだ。二つ並べて再生してみたわけではないが、解説を信じよう。
 ところが、『垂直線』と『水平線』では浮かんでくるイリュージョンがかなり違う。考えてみると当然だが、自分自身の目で感覚で体験すると、これは驚きだ。
 『垂直線』は建物や樹木や天から差し込む光といったイメージが浮かぶ。上昇、昇天といったイメージで、そこには人なり自然なり神といったものの力が関与しているイメージもある。人工物のイメージも強い。これに比べて『水平線』はまさに海の水平線や地平線のイメージが強く、また海の中のイメージもあった。人工物のイメージもあるにはあるが、自然とのつながりの強いイメージの方が多く浮かぶ。また、こちらの方がイメージが豊かな感じがした。『垂直線』で感じた発生や成長のイメージは『水平線』の方がはるかに強い。
 垂直と水平というのは、人間の空間感覚、空間認識の基本軸といってもいいだろう。私のインスタレーション作品でも、垂直と水平をモティーフにしたものがあるが、垂直と水平の根本的な違いを感じさせられた。
 人間の目が横に二つ並んでいること、重力との関係など考えるべきことはたくさんあるが、そろそろベッドの上で水平線になろう。
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2009年10月23日

フィルムについて語ること

 先日白州で会った水由君が、12月にフィルムの上映とシンポジウムの企画をしている。私の作品も上映することになっているし、シンポジウムにもパネラーとして出席することになっている。
 フィルムの映像としての魅力を語ることはできる。また、フィルムの重要性を語ることもできる。だが、徐々に無くなろうとするフィルムをの重要性を観客に訴えても、問題の解決にはならない。
 フィルムの中でも特殊な8ミリ映画、その中でもシングル8となると特に関心のないお客さんにとっては、マニアックな話題にしか聞こえないだろう。
 私は今のところ、フィルムのそして8ミリの芸術論的な価値について語ろうかと思っている。しかし、いくらその価値を強調しても、なくなってしまうメディアではいかんともしがたい。
 8ミリそのものを残すのか、それが無理なら8ミリから引き出した価値のある部分だけを残せるものとして残していくのか、そんなことも突きつけられているような気がする。
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2009年10月15日

カメラを持って思うこと

 カメラは道具だが、カメラを手に持つとカメラから伝わってくるものがある。
 私はビデオカメラ、16ミリや8ミリのカメラ、写真のカメラ、デジカメなどいろいろなカメラを手にする。
 このうち、古くなるのが一番早いのはビデオカメラだ。買って1,2年するとまだそれ使ってんのという感じになる。もちろんかなり強情に使っているが、それでもいろいろと不便はある。ビデオの場合、まず録画のフォーマットが変わってしまうことがこれまでに何度かあった。民生機だとベータ、VHS、VHS−C、8ミリビデオ、Hi8、miniDV、と変化してきた。このうち私がカメラとして使ったフォーマットは、ベータ、VHS、Hi8、miniDVの4種類だ。業務用としては、UマチックとベータカムSPとDVCAMを使った。それも今では古くなっている。すぐ古くなるということは、カメラがあまり存在感を持ってこないということでもある。また、ビデオカメラは電子機器なのでそれ自体がブラックボックスであり、メカとの信頼関係が生まれにくい。
 それに対して、一番存在感をもっているのは35ミリ一眼レフのカメラだ。10代の終わりにカメラを買ってもらい、途中買い替えはあったが、フォーマットとしてはずっと使っている。じつはカメラでいろいろ遊べる余地が一番あるのがこのフォーマットだ。このカメラをもっていると安心する。だが、このフォーマットもデジタル一眼レフに押され、市場での存在感は日々薄れている。
 8ミリや16ミリの映画用カメラは、存在感があり手になじむがカメラの性能によって遊べる範囲が変わってくる。いまやほとんど使われないフォーマットだが、ビデオカメラよりはメカとしてずっと信頼感がある。たとえ世間で使われなくなっても、フィルムがあって現像ができればずっと使い続けたいと思っている人が少数だが存在する。
 デジカメは、メカというより機能という感じが強い。信頼感はなく、いつ消えてもおかしくない。
 おとといシネコンで感じたことと同質の感じを、デジカメを持って感じた。

   
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2009年10月12日

プロラボを探して

 数日前の話だ。昔撮ったリバーサルフィルムからダイレクトプリントをとろうと思い、以前よく利用していた銀座の日本発色に行ったら看板は残っていたが店と階上のオフィスは閉鎖していた。つぶれたのか。
 携帯で調べるとつぶれているらしい。去年の7月のことだという。ううむ。銀座の路上でのニッパッツ閉鎖に関するリサーチはそこで切り上げ。事情は家に帰ってゆっくり調べよう。
 いまはかわりのプロラボを探さなくてはならない。堀内カラーはどうかな。うん、まだ健在のようだ。でも銀座周辺にはないな。あれ、上場廃止とか言う記事もある。でもまあやってるわけだ。でも今はもっと近場を探そう。でもでもでもでも。
 CREATEはどうかな。あっ銀座にある。有楽町の駅のそばだ。都内は銀座と新宿にしか店舗はないな。じゃお世話になった渋谷はもうないのか。行ってみよう。
 行ってみてちょっと驚いた。こじんまりしている。でもでも、考えてみればラボの受付なんてこんなもんで十分か。日発の銀座の店もこんなもんだったなあ。CREATEの渋谷の店がちょっと大きかったので、小さく感じただけのこと。それよりプロラボといえばひとつの店として壁やドアで区切られたスペースの印象ばかりだったが、このCREATEは銀座ファイブというショッピングセンターの一角にあり、通路に面したオープンスペースだった。だから、プロラボというより一般のDPE屋さんのような感じだ。
 とにかく、フィルムをめぐる状況は日に日に変化している。今日、プロラボについての情報を収集したのが携帯電話だというのも象徴的だ。なにせこの携帯で、写真を撮ってメールで遅れるのだから。
 でもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでも。
 
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2009年10月05日

スペンサー・チュニックのニュースを見た

 夕方テレビを見ていたら、ニュース番組でちょっと珍しい映像を見た。
 写真家のスペンサー・チュニックが、フランスのぶどう園で700人の男女をオールヌードで撮影したというニュースだ。ボカシが入っていたが、壮観だった。画面には、「あくまで芸術です」というテロップが、しつこいほど入った。まあ、テレビだからな。場合によっては苦情の電話もガンガンかかるだろうなあ。
 できあがった写真は、ぜひ見てみたい。できるだけでかい画面でプリントしたらすごいだろうなあ。壁一面とか。いやらしさはまったくないだろうなあ。
 裸、あるいは性というのは不思議なものだ。学生時代、銭湯が好きだった。何が好きだったかというと、その空間が好きだった。それなりに広くて、お湯や水があって、たくさんの人が何の恥じらいもなく裸でいる。いくら同性ばかりだとはいえ、街中や職場で裸になれといわれたら抵抗があるはずだ。だが、銭湯ではそれがない。銭湯だから何の恥じらいもなくなる、そのスイッチの切り替わり具合が面白い。これが文化というものの不思議なところだろうか。
 いうまでもなく人間は裸で生まれてきたし、大人になっても本来自分に備わっているものは裸の体しかない。そのくせ文明社会では裸は猥褻視される。場合によっては時の大臣に「最低の人間だ」といわれ、あとから訂正されたりする。
 人間本来の姿が、文明社会では猥褻あるいは野蛮なものとみなされ、それでいて、より文化的な芸術だと許される。このパラドクス。人間と人間が作り上げた文明は、矛盾の塊だ。
 それにしても、スペンサー・チュニックの写真みたいなあ。
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2009年09月27日

手塚治虫作品集を見た

 久しぶりに手塚治虫の実験的な短編アニメーション作品集を見た。夜中、無性に見たくなり2時間通してみた。
 収録作品は『ある街角の物語』『人魚』『しずく』『展覧会の絵』『ジャンピング』『おんぼろフィルム』、さらに『おす』『めもりい』の二作品もごく短い抜粋が入っている。また、手塚治虫のインタビューも収録されており、たっぷりと手塚ワールドに浸った。
 私が感じる手塚漫画の特徴は、作品がかもし出す感情の豊かさだ。ひとつの作品に笑いもペーソスも勇敢さもかわいらしさもある。さまざまな感情が込められている。シリアスなストーリーの漫画にもユーモアがある。場合によってはストーリーの雰囲気を壊すのではないかと思われる「おむかえでごんす」とか、「ひょうたんつぎ」といったキャラクターが登場する。そういった手塚作品の特徴は、これらのアニメーションにも感じられる。
 だが、漫画との違いも大きい。私は自分の人格の何パーセントかは手塚治虫の影響で形成されたと思っている。小学校のときは毎月『少年』をとっており『鉄腕アトム』は雑誌掲載時にリアルタイムで読んでいた。中学に入って『COM』をとるようになり、『火の鳥』もリアルタイムで読んだ。だが、こういった漫画の手塚治虫と短編アニメーションの手塚治虫では明らかに違う。短編アニメーションには、漫画にはない異質なものが混じっている。
 まず、手塚治虫といえばその巧みなストーリー作りに特徴がある。ストーリーがしっかりとあるので、さまざまな遊びや実験が可能になる。だが、これらの短編アニメーションにはそれほど強いストーリー性はない。はっきりとストーリーがあるのは『人魚』、ストーリーらしきものがあるのは『ある街角の物語』だ。ストーリーに重点はないが、ショートショート的な意味での「オチ」があるのは『しずく』である。つまり、これらのアニメーションはストーリーに頼らずに作品を構築しているのだ。こういった作品は手塚作品としては珍しい。
 また、絵柄が実に多様な実験を行っている。漫画でこれほど多様な絵柄は見たことがない。実は手塚治虫のインタビューでその秘密は語られている。手塚治虫はこれらの作品で、全体の枠はきめるが細かい部分はアニメーターに託しているという。絵コンテを描いて、あとはアニメーターにお任せということも多かったという。そして、そこでそのアニメーターの作家性が出てくることをよしとしていたらしい。手塚治虫は、若いアニメーターを育てるというサービス精神、というようなことをいっていたが、それが面白い結果を生んだと思う。『ある街角の物語』のモダンデザインふうの様々なポスター。『展覧会の絵』のスタイルや時代を異にするたくさんの絵画。なかには今で言う「ヘタウマ」のような絵画もあった。これらは各アニメーターが、様々な実験をこらした結果だろう。『しずく』の渇きの表現も絵として面白い。
 夜中に見たのでやや朦朧として気持ちよい中での鑑賞だったが、これらの作品については今度じっくり考えてみたい。 
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2009年09月23日

「アニメの殿堂」建設中止だってさ

 朝日新聞の朝刊によると、川端達夫文部科学相が「国立メディア芸術総合センター」の建設を中止すると発表した。ハコ物をやめてメディア芸術全体の振興策を検討しなおすよう事務方に指示したという。
 麻生政権の最後っ屁政策について云々する気はない。そもそも、せっかく元気のいいマンガやアニメが国の保護を受けてどうなるのだろうという思いがあった。
 歌舞伎のようになるのか、相撲のようになるのか。マンガやアニメやゲームはそれを求めているのか。
 国と芸術についてはよく考える必要がある。文化助成が必ずしも芸術を発展させるとは限らない。だが、芸術は多くの場合国家権力と結びつくことで継続してきた。芸術と権力の関係は、複雑で一筋縄ではいかないのだ。
 少なくとも、芸術史は権力に結びついた芸術についての物語だ。劇的な変化は国家権力とはかけ離れてところで起きたとしても、それを芸術史に飲み込み、維持発展させてきたのは権力のバックアップがあってのものだ。有形の芸術についてはこういって間違いないだろう。ルーヴル美術館を見るとそのことを思い知らされる。
 その陰で、消えて行った絵や彫刻や工芸品は膨大な量だ。有形の芸術ですらほとんどは消えていく。ましてや無形の芸術、歌や器楽や踊りはごくわずかなものだけが、かろうじて継承されながら残っている。無形の文化の継承に権力のバックアップがあることもある。それとは無縁に、民衆の中で継承されてきたものもある。
 ところで、そうして継承された歌や踊りが、本当にむかしと同じであるかは誰もわからない。
 権力と結びついた芸術が硬直し形式化しやすいことも事実だが、権力と結びつかない芸術が消えて無くなりやすいのも事実だ。もちろん、歴史の中にはどちらの例外も多々ある。
 数週間前にノーマン・マクラレンのDVDを見直したのだが、今なお新しい感動がある。イギリス生まれのノーマン・マクラレンは1941年、カナダに設立された国立映画制作庁長官の招きで、アニメーション部門の責任者として赴任する。映画を作る官庁だ。そして、たくさんの名作を作り、多くの作家を育てた。DVDの中には政府の政策の宣伝のための作品も入っている。公共CMだ。DVDを見ながら、ふと「アニメの殿堂」という言葉がちらりと頭をかすめた。マクラレンの映画はけっして権力的な作品ではない。自由で、アヴァンギャルドで、それでいたユーモラスで、多くの人が楽しめる作品だ。だが、マクラレンがカナダの国立映画制作庁に職を得ていなかったら、これほど多くの作品は残っていなかったかもしれない。少なくとも、作品の傾向はこれほど多岐に渡ることはなく、ある程度の映画制作のシステムを必要とするような作品は生まれなかっただろう。
 私が敬愛する映画作家スタン・ブラッケージは、作品数はたくさんあるが、貧乏人でも作れるようなタイプの作品だった。ただし、あの本数を作るんのは大変だったろう。生涯生活は苦しかったようである。
 国立メディア芸術総合センターとか、メディア芸術全体の振興策といわれても曖昧模糊としていて、ピンとこない。そもそもメディア芸術は文科省の管轄なのか、それとも経済産業省の管轄なのか。
 文化助成を求める声は、現代美術や音楽の世界でも昔からあった。たしかに、欧米と比べて日本の現代芸術への助成は貧弱だ。だが、欧米から来る現代美術や実験映画を見ると、年末の道路工事のように、助成金貰ったから予算消化するために創りましたといった感じの作品が多々ある。その点、日本の作品はギリギリで作られているせいか緊張感があるものも多い。助成があながち作品にいい結果をもたらすとはいえない。
 特に結論はない。この問題については、たぶんいつ書いてもこんなことになるだろう。芸術はいつの時代も矛盾真っ只中にいる。生きる原動力は矛盾であり、矛盾の凝縮こそが芸術なのだ。
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2009年09月22日

『聖なるうそつき』を見た

 ピーター・カソヴィッツ監督、ロビン・ウィリアムズ主演の『聖なるうそつき』を見た。面白く、いろいろなことを連想した。
 第二次世界大戦時のユダヤ人ゲットー、ナチの支配下、収容所行きの列車が来るまでの絶望的で静かな日々。ゲットー内では自殺が絶えない。住民にラジオを持つことは禁止されている。ひょんなことで司令部に入ったときラジオ放送で、ソ連軍が近くまで迫っていると知った主人公がそのことを親しい若者に教える。これが、いつの間にか彼がひそかにラジオを持っているという噂になり、ゲットー中の人々に知れ渡る。主人公は仲間たちに希望を与えるため、仕方なくラジオをもっていると嘘をつき、日々でっち上げのニュースを語る。
 ユダヤ人と希望を持つための嘘というシチュエーションは『ライフ・イズ・ビューティフル』を思い出す。また、戦争という極限状況でのラジオといえば『リリー・マルレーン』があった。戦時下のドイツ側の放送で流れた歌が、敵味方を超えて愛唱される。制度をはみ出していく人間、夢、想像力、嘘。
 おっといけねえ。ロビン・ウィリアムズとラジオといえば『グッドモーニング・ベトナム』があった。あれも戦場でのラジオだ。
 この映画の主人公は善意で嘘をつくわけだが、閉ざされた状況の人々に、あたかも外部の架空の組織とつながりがあるかのような嘘をつき彼らを支配した男もいる。『悪霊』のスタブローキン、そのモデルとなったネチャーエフ。
 霊界から新聞が舞い込んでくる『恐怖新聞』なんてマンガもあったな。目に見えない、耳に聞こえないか、形にならないメッセージが新聞というメディアの形をとって現れるのが面白かった。
 架空の放送というのはギリギリだなあ。主人公が少女にラジオ放送を聞かせてとせがまれ、彼女の後ろでラジオのまねをするシーンが面白い。芸達者なロビン・ウィリアムズならではだ。
 人々の希望を与えようと必死に嘘をつく主人公に、語り部とか詩人というものの原形を見た感じがする。
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2009年09月21日

『1960年代の東京』という本を買った

 敬老の日、お袋への粗品に『1960年代の東京』(撮影:池田信)という写真集を買った。東京の街並が細かく撮影されている。
 この手の本は何冊かもっている。きょう買った本は毎日新聞社から出ているが、朝日新聞社からむかし出た『東京この30年 変貌した都市の顔 1952〜1984』という本は、題名のとおり同じ場所の52年あたりの風景と83、4年の風景を対比させている。だがこれも26年前か。
 この本はメインが航空写真だが、ところどころビルの屋上ぐらいのやや低めの位置から撮られた写真がある。昭和27年の渋谷駅前、人もまばらで車も数えるほど。高い建物といってもせいぜい3階か4階建て、ほとんど2階建てだ。昭和58年の写真と比べると、残っている建物はない。だが、建物は違うが昭和27年にも三千里薬局は建っている。
 きょう買った『1960年代の東京』はほとんど路面から撮った写真だ。より町のディティールに入っている感じがして面白い。路面が舗装されていないところが多い。遠くが見渡せる。そして、風景の中に水がたくさん写っている。そうなのだ、首都高が出来る前は東京は水の都だった。いまも川はあるが、風景の中で生きていない、死んでいる。
 ところで、この写真集を見ながらおかしな気分になった。シャッターを押すとき、おれはそれを記憶に残そうと思って撮っていない。思い出にしようなどと思っていない。新しいものを感じ、いまという瞬間にシャッターを押している。だが、それが残ることで価値が出てくる。写真のすべてとはいわないが、古いことで価値のある写真というものは確実にある。いまという瞬間を記録し、永遠に残すことができるというようなレトリックも使えるが、ギタリストがギターを弾きいまという瞬間に音を出すこととは根本的に違う。できた写真をいろいろに解釈することはできるが、やっていることは100パーセント何かのいまの姿をとどめることだ。
 だから、すべて消えてしまえと思うときがある。これから撮るもの撮るという現在形の行為にしか興味がなくなる。少なくとも、撮る行為は対象との交感の中で成り立つ。演奏にも近いライブパフォーマンスだ。
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2009年09月15日

映像編集について

 今日はある専門学校で授業。講義名はノンリニア編集。
 使用するのはAvidという編集ソフトだが、ソフトの使い方を教えるだけではなく映像編集の文法のようなものも教える。この学校で受け持っているのはCGの勉強をしている学生たちなので、映画を学んでいる学生とは少し意識が違う。そのへんの、学生の興味の違いも教えていて戸惑ったり面白かったりするところだ。
 今日はアクションつなぎやセリフの編集を学ぶための素材を撮影した。学生たちにちょっとした演技(というほどでもないが)をさせて、学生どうし撮影する。今日撮った素材をもとに、来週編集をする。
 映画の文法といってもかなりルーズなもので、どこまで普遍性があるかは疑わしい。よく、音楽は国境を越えるとか、映画は国境を越えるといった言い方があるが、これもかなり疑わしい。映画は何日もあるいは何年もの出来事を90分とか、2時間とかに圧縮して描く。当然そこには時間や空間の省略がある。編集の仕事のひとつは、この時間と空間の省略をいかに実現するかにある。あるときは観客に意識させないように、あるときは省略していることを強調して。では、編集は誰にでも通じる普遍的な感覚に基づいているのだろうか。
 テレビドラマにこんなシーンがあった。主人公が家のドアを開けて出かける。次のシーンでは、さっきの男がバーのドアを開けて入ってくる。よくある時間と空間の省略法だ。ある高名な映画評論家のご母堂様はそれを見て、「この人の家は便利だね。ドアを開けるとすぐバーになる」といったという。この話は示唆的だ。映画の編集というものが、そう信じられているほど感覚的なものではなく、慣習化した説話の方法の場合もある。
 実は私の家はあまり映画を見に行く習慣がなく、高校生ぐらいまでは年に1、2本しか映画を見ることはなかった。高校生になって、よく映画を見るようになったが、はじめのころは映画の見方がわからなかった。その、省略法についていけず、違和感を持ったことを思い出す。
 現在の映画の文法は、サイレント映画の時代にハリウッドを中心に作られた。つまりそれは、ある種の方言である可能性がある。
 そして時々想像する。今の映画の文法がある種の方言だったら、まったく違った映画の文法もありうるはずだと。
 
 
 
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2009年09月13日

『アコム“みる”コンサート物語』に行った

 きのう、高校の文化祭に行った後、電車を乗り継いで浦安市文化会館に『アコム“みる”コンサート物語』というイベントを見に行った。第一部が音楽と影絵のコラボレーション、そして第二部が影絵劇のという構成だ。
 影絵劇団に参加している友人がいる。影絵は映像メディアの原点だと思っているので、前々から興味があった。だが、なかなか見る機会がなかった。久しぶりに彼にあったので、今度いつ公演があるのか聞くと、9月12日にあることを教えてくれて、おまけにチケットまで用意してくれた。
 劇団の名前は「影絵劇団かしの樹」だとおそわり、さっそくホームページを見た。子供向けの公演を行っている児童演劇の総合劇団だという。今回のようなホールでの公演のほか、学校での公演も行っているらしい。また、インドネシアやソ連(おお、なつかしい)など海外でも公演を行っている。
 会場は子供づれ、あるいは子どもだけの集団がたくさんいる。私のように、中年親父が一人というのは稀だ。
 第一部はプルミエというピアノ、ヴァイオリン、チェロによる女性トリオの演奏のバックに、大きなスクリーンがあってそこに影絵が映るという趣向だ。サイレント映画の時代、映画館にはピアニストや楽団がいて、スクリーンに映る映画に合わせて生演奏をしていた。影絵というそれよりもっとプリミティブな映像と音楽のコラボレーション。太古、人人々はどのように影絵を発見し、それを見世物として楽しむようになったのだろう。映像メディアの誕生のころを想像した。
 第二部は「物語の影絵」と題して、佐野洋子の絵本『100万回生きた猫』をもとに作られた影絵劇。スクリーンの脇には先ほどのプルミエのメンバーがいて、生演奏。さらに語り手が登場し、物語を聞かせる。日本独自のサイレント映画の上映方法、弁士、楽団、スクリーンというユニットを連想させる。このコンサート、“笑顔のおてつだい「バリアフリーコンサート」”を謳っているように耳の不自由な方も楽しんでもらおうという趣旨で、語り手の隣に手話で通訳をする人がいる。
 影絵は、ホールでの公演用にかなり洗練された表現になっている。ちょっとみではDVDなどに記録されている映像をながしているのかと思うほど完成度が高い。最後に幕が開いてスクリーンの背後の様子が見えてが、それまでは本当に生なのかと思う瞬間もあった。
 この公演は、子どもあるいは家族向けとして楽しいものだったが、影絵の原初性、ライブ性、即興性に焦点を当てた、アヴァンギャルドな影絵公演はできないだろうか。
 
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2009年09月11日

フィルム文化のためにできること

 きのうの終わり、唐突に「われわれは危機に慣れすぎてしまったようだ」、と書いた。感極まって見得を切ったものの、ちょっとわかりにくかったなあ。
 フィルムがなくなりそうだ、ということはずいぶん前からいわれてきた。写真界でも映画界でも。それから、あっあれが無くなった、これが無くなった、今度これが無くなるぞ、今のうちにあれを買っておかなきゃ、これを買っておかなきゃ、でも金がないなあ、ということが繰り返されてきた。
 はじめは、80年代にコダックがスーパー8(コダックの8ミリフィルム)の高感度フィルムを廃止すると発表したときだった。このときは、みんなあせった。おれももうこの世の終わりかと思ったくらいだ。その後コダックが別のタイプの高感度フィルムを出し、結果的には現在スーパー8はシングル8よりフィルムの種類は豊富になっている。
 だが、フィルムのシェアが確実に減っていることはまちがいない。カメラ屋に行くと歴然としている。フィルム用カメラのコーナーはどんどん小さくなっている。まだあればいいほうで、デジカメしか置いていない店のほうが多い。生フィルムのコーナーもどんどん小さくなっている。ない店もある。
 中古カメラ屋に行くとビックリする。フィルム用のカメラがえらく安い値段で売られている。かつて名機といわれたカメラが、こんなんでいいのとこっちが恐縮してしまうような値段なのだ。うわ、これも安い、こんなのもある、メチャメチャお買い得だ、あれも買わなきゃこれも買わなきゃ、でも金がないなあ、ということになる。
 もっとも、なかには中古の8ミリカメラをえらく高い値段で売っている店もあるが。
 そんなこんなを繰り返しているうちに、われわれは危機に慣れてきてしまっているのではないか、いつかなくなることはしかたがないと思うようになってきているのではないか、ということをあらためてきのう思ったのだ。こうしてわれわれは受け身になっていくんだなあと思い、そのことにあせった。
 「フィルム文化を存続させる会」を立ち上げたとき、存続とか保存といった保守的な姿勢でいいのかということが問題になったが、改めてそのことを問い直す必要を実感した。いや、問い直すなどといっている場合ではない。フィルムが消えていくならフィルムの価値を新しいものとして作り出していく必要がある。保存ではなく、ラディカルな存続のスタイルだ。
 おれはとりあえずその価値を映画で作る出すことを考えよう。今、この時代にフィルムで撮る新しさを創造すること、とりあえず俺にできそうなことはこれだ。                       
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2009年09月10日

フィルムをめぐる問題

 仕事の後、夜8時から新宿のルノアールでフィルム文化を存続させる会のメンバーが集まり会合。といっても今日集まったの僕と水由章、太田曜、の3人だけだった。
 この会は、2006年に富士写真フイルム株式会社が、8ミリ映画のフィルム、シングル8の販売現像の終了を発表したことに端を発し、映像の作り手の側からフィルム文化の存続に向けたアクションを起こそうという思いで作った有志の会だ。
 シングル8には低感度のR25Nと高感度のRT200Nがという二つのタイプのフィルムがある。これを平成19年(2007年)3月をもって販売終了、現像サービスは平成20年9月思って終了、ということを発表したのだ。
 その後この会の働きかけだけでなく様々な声が富士に寄せられた結果、平成19年1月10日に「販売および現像サービス終了延期」という発表がなされた。その時、会が確認したところでは、R25Nは約5年、RT200Nは約3年ほどの延期という回答だった。
 フィルムを作り続けるということではなく、2007年の時点で製造し冷凍保存したフィルム少しずつ商品化していく。あくまで「販売終了の延期」のあのだ。そしてその保存の限界が5年、あるいは3年ということなのだ。
 そして今年(2009年)の6月、いよいよ終了時期が発表になった。R25Nが平成24年(20012年)3月、RT200Nが平成22年(2010年)5月をもって販売終了、現像は平成25年(20013年)9月に終了する。
 富士が終了する以上シングル8がなくなることは確定的になった。それを踏まえ、今後どうしていくかということは6月以前から何度か話し合っており、今日もいくつかアイディアを出しあった。だが、ここで発表できるようなことはまだ決まっていない。
 写真も含めてフィルムが急速に市場から消えていく傾向は歯止めがかかれない。だが、フィルムというものを貴重品、文化財といった位置づけでもよいので遺していくことが可能かどうか、これは映像文化にとって重要な問題だ。
 われわれは危機に慣れすぎてしまったようだ。 
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2009年09月08日

カメラを持った人々

 きのうカメラに棒をつけて風呂場を盗撮した男が逮捕されたことを知ったとき、ふと考えた。見るという人間の根源的な欲求と、犯罪と、視覚芸術の曖昧な境界線について。 
 棒につけた撮影は、実験映画やビデオアートでも行われた。棒に付けたカメラは日常的な視覚の世界から一歩はなれ、身のまわりを新鮮な角度から映し出す。印象的な作品としては、トニー・ヒルの『ビュアーを持つ』がある。長い棒の先にカメラをつけ、部屋を出て、街中、ビルの屋上、浜辺などを歩く。棒を担いでいるのだがときどき立てたり振り回したりする。
 日本のビデオアートでも佐々木成明の秀作がある。棒ではなくロープにカメラをつけて振り回したビデオアートの肉体派島野義孝も忘れられない。
 どの作品も、まるで目ン玉が肉体から離れて浮遊しているような、だが重力や遠心力を濃厚に感じさせる視線の動きを定着した、どきどきする作品だ。棒やロープにつけたカメラを振り回すとただめまいがするが、そうならないための工夫が凝らされていた。
 風呂場を盗撮した男は、棒にカメラをつけて日常と違った視覚を得ようと思ったわけではなく、見つからないように覗きたかっただけだろう。もっとも、見つからないように覗くということが、日常とは違った視覚ということもできる。この男は、相手に絶対見つからず風呂場を覗くことができたら、それで満足したのだろうか。それでもカメラで撮影し、繰り返し見たいと思っただろうか。
 そういえば、むかし駄菓子屋で潜望鏡というおもちゃを売っていた。今もあるだろうか。15センチか20センチぐらいの筒の両側に鏡を付け、風景を反射させて見る。ほとんど顔の大きさと変わらないぐらいの長さなので、壁にでも隠れない限り「相手に見えないように相手を見る」という潜望鏡の役割は果たさない。だが、間接的にものを見ることはとても新鮮だった。
 鏡に風景を反射させること自体、子どもの頃は面白かった。手鏡一枚でしばらく遊んでいられた。駄菓子屋や文房具屋には、よく小さな手鏡が売られていた。
 だが、手鏡は階段などでの覗き犯の常套手段だ。いまはそれに、デジカメや携帯電話のカメラが加わる。手鏡、カメラ、これらは犯罪のために作られたわけではない。見ることへの根源的な欲望に結びついている道具だ。だからこそ犯罪とも結びつき易い。
 秋葉原通り魔事件のとき、多くの人が事件現場を写メで撮っていたということが話題になった。犯罪者ではない人々がモラルを欠いた行動に出る。
 似たような現象を目の当たりにしたことがある。横浜トリエンナーレで、田中泯さんが街頭で踊ったのを見に行った。馬車道を踊りながら移動していくのだが、駆けつけたギャラリーは泯さんのすぐそばまで寄り取り囲んだ。その距離1メートルもなく踊るスペースもない。そして一斉に写メを撮り出した。見るよりも写メなのだ。泯さんの街頭パフォーマンスは70年代から見ているが、かつての観客は必ずダンサーとの間に距離をとり、遠巻きに見ていた。また、前のほうにいる人は誰いうともなくしゃがんだり、中腰になって後ろの人が見えるようにしていた。
 カメラつき携帯電話はいまやほとんどの人が持っている道具だ。おれも重宝している。実はおれもあの時馬車道で、一瞬手がポケットにのびそうになったのだが、まわりを見て恥ずかしくなってやめた。そして、考え込んでしまった。
 そして、きのうの覗き犯。またまた考え込んでしまったのだが、今日も結論が出ないし、別に出す気もないのでここまで。
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2009年09月07日

盗撮男が捕まった

 ヤフーニュースを見ていたら、「棒にカメラを付け、風呂を盗撮」という見出しが眼に飛び込んできた。さっそくクリックすると、奈良で38歳の青果店員が捕まったらしい。何でも約60センチの棒にカメラをつけ、風呂場の窓に伸ばし女子高生を盗撮したのだ。なんでも13年やっていたという。
 13年前ということは、当然ミニDVだな。8ミリかもしれない。VHSやベータのフルカセットのビデオカメラ時代では重くてこんな芸当はできない。8ミリビデオでハンディカムが登場し、撮影時の機動性はぐっとアップした。
 ビデオカメラが小型化し普及するにしたがって、カメラと犯罪の親和性も上がってきている。
 ビデオカメラと犯罪者のドッキングを強く意識したのは、宮崎勤事件である。あれいらい、街中で撮影するときはかなりまわりの眼を意識するようになった。
 撮ることといわゆる迷惑行為の関係は、一度きちんと考えようと思いつつ、まだ果たせていない。
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2009年09月05日

『タイムマシン』の時間表現

 きのう『ふしぎな少年』を思い出したことで、急に映像における時間表現についてあれこれ考え始めた。
 きのうも書いたが、時間が止まると人間やものの動きが止まる、ということが幼稚園児のおれにはよくわからなかった。たしか7歳年の離れた姉に説明してもらったのだが、どう説明されたのか覚えていない。
 だが、わからなかった理由は今でもはっきりしている。時間が止まるという状態をみたことがなかったからだ。誰も見たことがない。となると、時間やそれが止まっている状態をなんらかの比喩で考えなくてはならない。幼稚園児には、そもそも時間というものがよくわかっていなかったのに、それをさらに何かに置きかえて考えるなんてむずかしかった。
 当時は誰もが時間の中にしか存在していなかったのだ。
 いま子どもに時間が止まるってどういうことと聞かれたら、DVDをポーズにすればよい。時間の早送りもできるし、逆再生にすれば時間をさかのぼることもできる。ビデオやDVDという時間の模型を手に入れことによって、われわれは時間を外から眺めることができるようになったのだ。
 そういえば、と思いジョージ・パルの『タイムマシン』をビデオラックから引っ張り出した。1959年の作品だ。この映画のタイムトラベルのシーンが面白い。時間という目に見えないものをユーモラスに映像化している。
 まず、タイムマシンなので空間的にはまったく動かないのに、自動車のような本体の後ろに風車のようなものが付いていて、タイムトラベルのレバーを倒すと回転を始める。なんだろう。この風車の回転は、時計のように循環する時間のアナロジーなのだろうか。それとも、単に運動感を出すための、ウゴイテルゾーという表現なのだろうか。ご丁寧にこの時シャンデリアや棚などの家具が少し揺れる。時空のねじれだろうか。
 はじめ主人公はおっかなびっくり少しレバーを倒す。まわりの物が少しぼやけすぐにはっきり見える。映像技法的にはピン送り、ピントがボケてまた合う。室内は何も変わっていない。だが時計の針がずいぶん進んでいるし、ろうそくがずいぶん減っている。
 天窓の外を雲が流れ、太陽が急速に移動し、星が移動し、朝焼けで太陽が現れ、といった変化を繰り返し、花が急速に咲く。今となっては時間表現の定番ともいえる映像だが、当時とても斬新だったことを思い出す。
 面白いのは研究室の窓から見える向かいの家が洋服屋で、ショーウィンドウの中に立つマネキンの服装がどんどん変化することだ。着せ替えているシーンも何回もある。主人公は未来の服に「あれがドレスか」とあきれ、「マネキンが気に入った。私と同じで変わらないから」と共感を示す。太陽と花という自然現象でなく、人間の社会の変化をえがくモティーフがマネキンと服装というのはなかなかユーモラスで的確なアイディアだ。そして、実際の社会の歴史的な変化は、未来のある時点で主人公が家を出て町の人と会話する中で明らかになる。
 絵画にしろ映画にしろ、映像メディアは見えないものを見えるように表現しようとしてきた。それは見えないものを擬人化したり物や動物に置き換えるアレゴリーという表現だったり、先ほどのろうそくの長さで時間を表現するように見える物の差異で見えないものを表現するやり方だった。
 そこには当然無理もあるし、風車の回転のように一見それらしく見えるが実は関係ないものを、比喩を借りていたりすることも多々ある。ツッコミを入れながらこういってイメージをひとつひとつ丁寧に見ていくと面白い。 
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2009年09月04日

『ふしぎな少年』の思い出

 今日はまた、某公立高校で映像の授業。
 いまはアニメーションの共同制作をしているので、生徒ひとりひとりが黙々と絵を描いている。黙々と描いているはずだが、手作業を続けていると次第におしゃべりになってくる。黙々がガヤガヤになってくる。
 今日中にすべての動画を描き上げるようにいうと、ひとりの女の子が時間を止めたいと言い出した。
 「時間よー止まれ」
 「先生のりすぎ」
 「そういうドラマが昔あったんだよ」というと、生徒たちが興味を持ち出した。そこで少し思い出話。
 「原作は手塚治虫のマンガでね、題名なんだっけなあ。あっ『ふしぎな少年』だ。たしかカッチンというあだ名の少年が、時間を止められるんだ。こうやって両手を前でクロスさせて、時間よー止まれっていいながら右腕を前に伸ばすとまわりの時間が止まるんだ」
 ただ、まわりの人がストップモーションになってじっとしているだけなのに、その映像が不思議で子どものおれはすごくどきどきした。くどいようだが、ただ人が止まっているだけなのに。
 たしかはじめに見たころは幼稚園児で、なんで時間が止まると人が止まるのかわからず、中学生の姉に説明してもらったように思う。
 のちに、ルネ・クレールの『眠るパリ』をみると、ある科学者の発明で時間が止まり人々がパリの街中で硬直しているではないか。イメージの源流を見た思いがした。
 さて、教室に戻る。私が『ふしぎな少年』の説明をし終わると同時に、さっき時間を止めたいといった女の子が立ち上がり、『時間よ、止まれ』と叫んで手を左前方につきだし、硬直したようにじっと動かなくなった。
 「おい、お前が止まってどうするんだ。早く描け」
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2009年09月03日

Avidのセミナーに行ってきた

 Avidというのは映像編集のソフトというかシステムで、ウィンドウズでいえばムービーメーカー、マックでいえばアイムービーのうんとプロ用のものだと思えばよい。
 私が使い始めたころはマックで使うシステムだったが、その後ウィンドウズでも使えるようになった。いま教えている学校でもこれを導入している。
 セミナーは『テープレス時代を生き抜くためのAvidワークフローセミナー』というタイトルだった。最近はテープを使わずハードディスクや専用のカードに録画するビデオカメラが増えている。これは業務用・放送用だけでなく家庭用のカメラでも同じだが、セミナーの内容はもちろん業務用・放送用の話だ。テープを使わないことで映像制作の流れがいかに変化するか、そのなかでAvidをいかに効果的に使うかということが話された。
 この機能をこんな風に使うのかといった発見もあり面白かったが、セミナーの詳細はユーザーでなければ興味がないようなことなので、ここでは省略する。
 以前にも書いたと思うがフィルムとビデオの一番大きなちがいは、フィルムでは見えた一齣の絵がビデオでは見えなくなったことだ。映像が肉眼で見えるか、機械を通さないと見えないかというちがいである。映像が物から記号化した、暗号化したともいえる。テープからハードディスクやカードへの変化はより記号化したといえるだろう。こういったディジタル化によって、映像を加工することがどんどん容易になってきた。今日のセミナーでもそのあたりの様々なノウハウが紹介された。
 私は編集という作業が結構好きで、加工が容易になったことを一方ではとても愉しんでいる。だが、その一方記号化することによって、映像から物質性が失われていくことに危機感を感じてもいる。
 これからどんどん映像の物質性が失われていくにしたがって、映像の物質性ということ自体が視覚芸術の重要なテーマになっていくようにも思う。
 私が映像作品を作るだけではなく、パフォーマンスを行うのは物質と記号という振れ幅の中で映像を考えたいからだ。 
posted by 黒川芳朱 at 21:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月07日

イメージフォーラムフェスティバルでパフォーマンスをする

 来る4月28日、イメージフォーラムフェスティバルでパフォーマンスを行う。新宿パークタワーホールで、19時30分からのFプログラム。
 私は美術家の大串孝二さんとのデュオパフォーマンス『Body Scan』の第三弾だ。このプログラムでは他に万城目純さんの『Nyo Nyum』、足立智美さんの『マイクロフォンとしてのカメラ』と合計3組がライブパフォーマンス行う。
 イメージフォーラムフェスティバルでのパフォーマンスは、過去に2回行っているが、今回はひときわ感慨がある。先日も書いたが、大串さんとのデュオをきっかけに、パフォーマンスというものについて再び考えることになったのだ。
 美術と映像、イメージと物質と身体、などなど、書きたいことは色々あるのだが、いまは言語化するよりもパフォーマンス化するほうに専念したい。とりあえずカタログ用に描いたコメントだけ、ここに掲載しておく。

Body Scan
肉体、死体、胴体、固体、液体。
体で走査する、体に走査する、体を走査する、体は走査する。
情報、イメージ、観念は本来物質や身体を基盤にしている。
このパフォーマンスは、観念を物質と身体の次元に引き摺り下ろし、場と体内に情報が運行を始め、イメージが立ち上がってくるさまを目撃する行為の場である

 やれやれ、まるで60年代だなと思う反面、まさに2009年の問題意識だという自負もある。あらためて、言葉でもきちんと展開したいがその前に行動だ。見るまえに跳べ、なんてまたまた60年代だな。

とりあえず、こうご期待。

イメージフォーラムフェスティバル2009の詳細についてはこちらをクリック。

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posted by 黒川芳朱 at 23:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月24日

映像と物質と身体

ずいぶん休んでしまったが、再開する。
まずはメモランダムでストレッチ。

去年のことになるが、『横浜トリエンナーレ』に行くと、映像を使ったインスタレーション作品が山ほどあった。何か違和感を感じた。
映像は簡単に時空を編纂する。時空を俯瞰して、作り手が操作できる。そして、ビデオプロジェクターはかなりのスペースを映像で埋めることを可能にした。インスタレーションの道具としては実に手ごろだ。

子どもの頃、『2001年宇宙の旅』で、類人猿が投げた骨が宇宙船になったのを見た。宇宙や時間が小さくなるようないやな感じがしたことを思い出す。

世界観という言葉の変貌も、このことに関連しているのだろう。自分を取り巻くこの世界をどうとらえるかということが世界観だが、いまはガチャガチャの中に入っている世界観を気分で交換できるような感じがする。

先日、美術家の大串孝二さんとパフォーマンスを行った。『Body Scan』というタイトルで、2007年に続き今回で2回目になる。2007年にこのタイトルをつけたときはあまり意識していなかったのだが、私にとっては、いまの映像のあり方を考えるキーワードになっている。

映像について今考えていることは、映像が時空の編纂を簡単に行えるのだとすると、むしろその細部に、より細部に入っていく必要があるのではないかということがひとつ。もうひとつは、映像の問題を物質や身体を使って展開してみるということだ。

とりあえずきょうはここまで。
posted by 黒川芳朱 at 02:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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