きのうから雨がふり昼にはやんだが、一日中曇りで時々小雨がぱらついた。だが、夕方総武線が荒川の鉄橋を渡るとき、きれいな夕焼けが見えた。
若く才能ある友人が映画を撮るというので、早朝から撮影に付き合うつもりだったのだが、あいにく中止となった。8ミリフィルムで撮り、自家現像するという。8ミリといっても一昔前の8ミリビデオではない。それよりずっと古い、8ミリフィルムである。だが、8ミリビデオは過去のメディアだといえるが、8ミリフィルムはかけがえのない現役のメディアである。
ハイビジョンが使いやすく手ごろになりキネコの精度が上がるまでは、映画といえばフィルムだった。そのもう少し前、家庭用のビデオカメラが普及するまでは、運動会や子どもの成長記録など動画で記録しようと思ったら8ミリフィルムだった。そして、8ミリフィルムはホームムービーだけでなく、自主映画のメディアだった。今活躍中の映画監督の多くが8ミリの自主映画出身だ。
では、8ミリは35ミリで撮れない若者がその代用として使ったメディアにすぎないかというとそうではない。8ミリカメラの機動性や、フィルムの独特の画質に注目し、8ミリにしかできない独自の表現を切り開いた実験映画、個人映画の作家たちがいる。
それらに優劣をつけるのではなく、ホームムービー、劇映画、実験映画、といった目的も規模も違うジャンルが8ミリというメディアを共有したところが重要である。
8ミリには、16ミリを裁断したダブル8、コダックのスーパー8、富士フイルムのフジカシングル8と、3つのフォーマットがある。それぞれに機能や画質の特徴があり、できることも多少違ってくる。フジカシングル8は日本独自のフォーマットである。
2006年に富士写真フイルム工業(現、富士フイルム工業)が、シングル8の生産および現像サービスの中止を発表した。友人の呼びかけで映像作家や批評家が集まり「フィルム文化を存続させる会」を発足、私もその一員として活動した。私たちの交渉だけでなく、多くのユーザーからの声もあったのであろう。結果的に、去年の1月に富士フイルムから、フィルムの販売と現像は数年延長するという発表があった。だが、生産そのものは中止であることに変わりない。
私たちが会の名称を「シングル8を存続させる会」ではなく「フィルム文化を存続させる会」にしたのは、銀塩写真を含め、メディアとしてのフィルムがデジタルに押されて、産業的には消滅してしまうのではないかという危機感からだった。
そんななか、きのう(5月24日)の朝日新聞の夕刊に映画史家で東京国立近代美術館フィルムセンター主観の岡島尚志さんという方が『映画、フィルムで保存を/万能でないデジタル』という記事をお書きになっていた。内容は国際フィルム・アーカイブ連盟(FIAF)の70周年記念年次会議で行われた「映画フィルムを保管し続けること」に関する議論の報告である。デジタル化した後もフィルムは保管すべきであるということだ。記事の中ではFIAFがまとめようとしている「70周年記念マニフェスト」の素案も紹介され、保管すべき理由も書かれている。やや長いので、私なりに言い換えて要約すると@フィルムは文化財である。Aフィルムには目に見える画が記録されているので簡単に元の情報を読み取り複製することができる。Bフィルムは保管条件がよければ100年以上保存できることが実証済みである。Cデジタル時代には簡単にコンテンツの改変がなされる可能性があるので元の状態を知るためにもフィルムを保管する必要がある。ということになる。
多くの部分が「フィルム文化を存続させる会」のでの議論とも重なり、意を強くした。私たちが重視したのはフィルムは物質であり、デジタルは記号であるという点だ。物質で描かれた絵と記号で描かれた絵では感じるものが違う。また、記録メディアとしてもフィルムはストック型のメディアだが、デジタルはフロー型のメディアということになる。
0と1の記号で描かれた絵はデータであり再生機という翻訳機がないと読みとれない。物質で描かれた絵は肉眼で読みとれるし、光源とレンズという簡単な装置があれば増幅できる。
フィルムの重要性が広く議論され認識されて欲しい。
DVDはロゼッタストーンに及ばず。???
フィルム文化を存続させる会
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