2008年10月24日

カップヌードルきのう食ったぜ

 きのう、まともに食事をする時間がなくカップヌードルを食った。いい年してとんだ食生活だが、平らげた直後に横須賀の事件を知った。「ウソだろ」ゲップとともにぼやきが口をついて出た。と思ったら、いまニュースで野田聖子消費者行政推進担当大臣が「私も時々いただきます」といっていた。ホントかな。
 食に対する不安などといまさらいっても始まらない。毒入り餃子だの産地偽装だのと事件が続く。ここまで世の中が複雑化すると、一個人ができることは、「何が起きてもおかしくない」と腹をくくることぐらいかもしれない。
 完全に安全を確保することなどできない。われわれは店に並んでいるものを買うしかないのだから。自分で野菜を作り豚や牛を飼い魚を取りのでなければ。完全な自給自足でなければ100パーセント安全が確保されるわけはない。だからこそその危うさを払拭し、安全神話の信頼感を高めようと、システムは躍起になる。なっているフリをする。
 その昔、知人の怪人フジオカさんが、「文明の問題は、自分でできないことまでできるようにしたことだ」といったことがある。聞いていたわれわれはフムフムと納得したのだが、次に怪人が言ったことにはたまげた。「電車を作れない奴が電車に乗るからおかしくなるんだ」、すかさずイケノ君が「じゃフジオカはどうなんだよ」と畳み掛けた。すると怪人あわてることなく「だって俺、電車作れるもん」。
 その場の結論は、でもやっぱり自分にできないことまでできるのが文明だということにおさまったのだが、他人任せは常に危険を孕んでいるわけだ。
 カップ麺一個食うのも大変だ。地雷を踏まずに戦場を歩くようなものか。すべてが間接化した社会では、安全も間接的に確保するほかはない。それが文明の知恵のはずだが、本質的には危うい綱渡りだということは肝に銘じておくべきなのだろう。ズルズルズル。
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2008年10月08日

ATLASによる大河小説

 おととい、きのうと翻訳ソフトATLASで遊んだ。言葉のいろいろな側面が見えてきて面白かった。
 ウィリアム・バローズのカットアップにも似た、新たな言語イメージの創造につながる可能性がある。
 たとえば、おととい、きのうの例では「黒山羊さんたら」の「さんたら」だけが切り取られ「santara」という単語になるかと思えば、「白山羊」が「白山(はくさん)」「羊」と分解される。そもそも文章を単語に分解する作業が不正確なのだ。
 ここから二つの誤訳の方向が考えられる。
 ひとつは、すべてひらがなで表記して句読点をつけない文章を英文に翻訳してみることだ。ひらがなの連続を翻訳ソフトはどう単語に分解し、英文化するか。
 もうひとつは、可能な限り漢字で表記して、英訳する。翻訳ソフトは漢字をどう読み、漢字の多義性の中からどういった意味を抽出して英訳するか。
 どちらもちょっと楽しみだ。
 そして、またそれを和訳する。おとといときのうは、英訳、和訳、英訳、和訳と繰り返していったのだが、これだとある段階でそれ以上の変化が起きなくなってしまった。
 単に翻訳の繰り返しではなく、出てきた和文から浮かんだイメージなども加えてみてもよいだろう。そのように、少し創作の部分を加えつつ、和訳と英訳を繰り返すことで、はじめの文章がどんどん変容していくという、言葉の大河小説が書けるかもしれない。
 出来上がったらこのブログで発表しよう。

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2008年10月07日

ATLASの翻訳マジック2

きのうから翻訳ソフトで遊んでいる。『山羊さん郵便』の歌詞を英語にし、その英語を和訳し英訳しを繰り返している。
きのうの最後からはじめよう。

「それでは、ヨーからの手紙がある人々羊のsantaraの大群衆にそれ、および全く白山完全な羊さんを食べる方法が全くないのは、幸運なmazuniです。手紙手紙のnaaniがさっきitaを予約するのは、企業です。」

「Then, it is lucky mazuni that there is no method of eating it and complete sheep in complete Hakusan in the large crowd of santara of the people sheep that has the letter from Yeoh at all. It is an enterprise that naani of the letter letter reserves ita a little while ago. 」

「そして、完全な白山で全くヨーからの手紙を持っている人々羊のsantaraの大群衆でそれと完全な羊を食べる方法が全くないのは、幸運なmazuniです。手紙手紙のnaaniがさっきitaを予約するのは、企業です。」

後半の「手紙手紙のnaaniがさっきitaを予約するのは、企業です」という短いセンテンスは変わっていない。

「And, it is lucky mazuni that there is no method of eating it and a complete sheep in the large crowd of santara of the people sheep that completely has the letter from Yeoh in complete Hakusan at all. It is an enterprise that naani of the letter letter reserves ita a little while ago. 」

「そして、全く完全な白山にヨーからの手紙を完全に持っている人々羊のsantaraの大群衆でそれと完全な羊を食べる方法が全くないのは、幸運なmazuniです。 手紙手紙のnaaniがさっきitaを予約するのは、企業です。」

前の和文と違うのは「完全な白山で全く」が「全く完全な白山に」に変わっていることだけだ。

「And, it is lucky mazuni that there is no method of eating it and a complete sheep in the large crowd of santara of the people sheep that completely has the letter from Yeoh in quite complete Hakusan at all. It is an enterprise that naani of the letter letter reserves ita a little while ago. 」

「そして、全くかなり完全な白山にヨーからの手紙を完全に持っている人々羊のsantaraの大群衆でそれと完全な羊を食べる方法が全くないのは、幸運なmazuniです。 手紙手紙のnaaniがさっきitaを予約するのは、企業です。」

ほとんど変わっていない。
「全く」「完全な」と同義反復される間に「かなり」というあいまいな言葉が入っただけだ。
それにしても可笑しな話だ。「全く」と「完全な」の間に「かなり」だぜ、一体どっちなんだといいたい。

「And, it is lucky mazuni that there is no method of eating it and a complete sheep in the large crowd of santara of the people sheep that completely has the letter from Yeoh in quite considerably complete Hakusan at all. It is an enterprise that naani of the letter letter reserves ita a little while ago. 」

「そして、全くかなりかなり完全な白山にヨーからの手紙を完全に持っている人々羊のsantaraの大群衆でそれと完全な羊を食べる方法が全くないのは、幸運なmazuniです。 手紙手紙のnaaniがさっきitaを予約するのは、企業です。」

おおっ、全く完全に前の和文と同じになった。翻訳ゲームも個々で終わりかな。一応もう一度英訳、和訳してみよう。

「And, it is lucky mazuni that there is no method of eating it and a complete sheep in the large crowd of santara of the people sheep that completely has the letter from Yeoh in quite considerably considerably complete Hakusan at all. It is an enterprise that naani of the letter letter reserves ita a little while ago.」

「そして、全く全くかなりかなり完全な白山にヨーからの手紙を完全に持っている人々羊のsantaraの大群衆でそれと完全な羊を食べる方法が全くないのは、幸運なmazuniです。 手紙手紙のnaaniがさっきitaを予約するのは、企業です。」

「全く」が増えた。だが、ほかは全く変わっていない。なんで「全く」が増えるのかな。前と同じじゃなんだから一応変えておこうってワケでもないだろう。ま、これ以上の変化は無さそうだな。
じゃあここで、「さんたら」「まずに」「なあに」とローマ字になっているところをひらがなにしてもう一度英訳してみよう。

「そして、全く全くかなりかなり完全な白山にヨーからの手紙を完全に持っている人々羊のさんたらの大群衆でそれと完全な羊を食べる方法が全くないのは、幸運なまずにです。 手紙手紙のなあにがさっきいたを予約するのは、企業です。」

And, it is lucky catfish [nidesu] that there is no method of eating it and a complete sheep in the large crowd of the cod that the people sheep that completely has the letter from Yeoh in quite quite considerably considerably complete Hakusan doesn't do at all. It is an enterprise that reserves [gasakkiita] to letter letter [nonaa].

「さんたら」「まずに」「なあに」ではなく「にです」「がさっきいた」「のなあ」がローマ字になった。英文にもちょっと地殻変動が起きたみたいだ。新しい単語も加わった。
和訳してみよう。

「そして、それを食べる方法が全くないのが、幸運なナマズnidesuであり、全く全くかなりかなり完全な白山にヨーからの手紙を完全に持っている人々羊がそうしないタラの大群衆における完全な羊は全くnidesuであること。 それは、手紙手紙nonaaへのgasakkiitaを予約する企業です。」

「幸運なまずに」が「幸運なナマズnidesu」になった。「幸運なナマズ」か。文章の順番が入れ替わるのは何でだろう。構文がゆるく、音の結びつきと切れ目、つまり単語としての音のまとまりが非常にルーズに作られる。大河小説だな、これは。

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2008年10月06日

ATLASの翻訳マジック1

去年のことになるが、ATLASという翻訳ソフトを買った。これに頼るつもりはないのだが、一応英文の当たりをつけるにはいいかと思って買ったのだ。使ってみてすぐわかったが、こいつは私より単語はたくさん知っているが、文章能力はない。

英文を翻訳した日本語を読むと結構可笑しな文章だ。日本語を英文にもしてみたが、英語は苦手な私でも可笑しな英語のような気がする。そこでちょっと実験をしてみようと思う。日本語の文章を英語に、日本語に、英語にと翻訳を何度かくりかえしてみよう。どんなんなるかな。

出だしの文章はなんにしよう。アッ、あの童謡がいい。

「白山羊さんからさんからお手紙ついた。黒山羊さんたら読まずに食べた。仕方がないのでお手紙書いた。さっきの手紙のご用事なあに。」

さあこいつを翻訳してみよう。日本語と英語の白黒ショーだ。
英語になれ!

「The letter doesn't have the method that eats large crowd of people sheep [santara] [yo] [mazuni] to which it is lucky from Mr. Hakusan sheep. Business thing [naani] of a letter letter book [ita] a little while ago. 」

[santara]ってなんだ。サンタナといえば『ブラックマジックウーマン』だ。でもこれはサンタラだ。さんだらなんだらなんだろべ。
それにしても[yo] [mazuni] って、日本語として解読できないところが残るんだ。よ、まずに、なあに、いた、日本語の余りってわけだ。字余り。
そんじゃもう一度、日本語になれ!

「手紙には人々羊のsantaraの大群衆を食べる方法がない、ヨー、それが白山羊さんから幸運であるmazuni。手紙手紙のnaaniがさっきitaを予約するのは、ビジネスのことです。」

うーむ味わい深い。santaraの大群衆ってなんだろう。食べられちゃうのか。まだここでは字余りが残ってますな。
まあとにかく、いたを予約するのはビジネスのことらしい。

Yeoh and it are lucky mazuni that there is no method of eating the large crowd of people sheep's santara in the letter from Mr. Hakusan sheep. It is a business that naani of the letter letter reserves ita a little while ago.

形の上では字余りは解消され、文章に飲み込まれたかに見える。少なくとも、 [ ]は消えた。白山羊さんはいつのまにか「Hakusan sheep」になっている。「ハクサン シープ」か。
もう一度日本語になって頂戴!

「ヨーとそれは白山羊さんからの手紙には人々羊のsantaraの大群衆を食べる方法が全くない幸運なmazuniです。手紙手紙のnaaniがさっきitaを予約するのは、企業です。」

はー、日本語に戻すと字余りは不明語として残るんだ。「Hakusan sheep」は白山羊に戻っている。

It is Yeoh and it is lucky mazuni that there is no method of eating the large crowd of people sheep's santara in the letter from Mr. Hakusan sheep at all. It is an enterprise that naani of the letter letter reserves ita a little while ago.


それはヨーです、そして、全く白山羊さんからの手紙で人々羊のantaraの大群衆を食べる方法が全くないのは、幸運なmazuniです。手紙手紙のnaaniがさっきitaを予約するのは、企業です。

In it, it is lucky mazuni that there is no method of eating the large crowd of people sheep's santara with the letter from Yeoh it, and complete Mr. Hakusan sheep at all. It is an enterprise that naani of the letter letter reserves ita a little while ago.

それでは、ヨーからの手紙がある人々羊のsantaraの大群衆にそれ、および全く白山完全な羊さんを食べる方法が全くないのは、幸運なmazuniです。手紙手紙のnaaniがさっきitaを予約するのは、企業です。

「ハクサン シープ」はここで白山と羊に分裂した。白山羊さんからの手紙はヨーさんからの手紙になった。ここにきて、だいぶ変化してきだぞ。とりあえず、きょうはここまで。

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2008年09月16日

クローズアップ現代『コピペ』を見た

 9月1日に放送され録画しておいた『クローズアップ現代』を見た。『「コピペ」〜ネットの知とどう向き合うか〜』というタイトルで、コピー&ペーストの問題を取り上げていた。
 この問題は私もものすごく興味がある。『パクリ学入門』という著書でもこの問題を取り上げた。
 『クローズアップ現代』は、コピペは人間を退化させるのか、進化させるのかという問いから始まる。
 ゲストの脳科学者茂木健一郎は、コピペをすると脳の成長を失うという。脳は様々な情報を編集することで発達する、だから検索やコピペを使うのはいいが、脳も使うべきだという。
 
 番組では2人の人物の情報への向き合い方を紹介する。
 経済学者の野口悠紀雄氏は、コピペを積極的に使う。統計データを表計算ソフトに貼り付ける。データの組み合わせで新しい問題意識が生まれるという。コピペをどういう目的・用途に使うのかが重要だと指摘する。
 教育学者の齋藤孝氏は、著書の中にたくさんの本からの引用することで知られている。だが、引用するときネットからコピペするのではなく、本を読み、三色ボールペンでマーキングし、ペンで書き写す。あるいはPCに打ち込む。その身体性によって、情報に深く集中することができるという。
 一見対極的な2人だが、どちらも、情報をそのまま流用するのではなく、なんらかの変容が加えられている。齋藤氏の場合は受容の仕方が重要であり、野口氏の場合は受容はそのままだが編集によって新たな価値が生まれる。
 
 基本的に、この番組ではコピペをいかに創造や有意義な情報の生産に結びつけるかという観点で作られ、まとめられていた。
 それ自体はまともなアプローチであり、挙げられた事例や結論も予想の範囲である。
 簡単に言ってしまうと、コピペで終わりにするんじゃなくて、そのあと自分で考えましょうということだ。はは。

 私がこの問題に興味があるのは、もちろんこういった実のある創造や「知的生産」の問題としてと同時に、この問題の負の側面にもひきつけられるからだ。
 新聞、雑誌、テレビ、インターネット、流通している情報の大半は、拡大再生産によって成り立っている。テレビのニュースのなど、一日に何度も同じ映像が流される。
 だが、いままで情報を拡大再生産して流通させていたのは、マスコミなどに限られていた。
 コピペはそういった情報の拡大再生産を、誰もがおこなえるものにした。
 コピペが、情報の拡大再生産を支えている潜在的な構造を露にする可能性があるのかないのか、そのことに興味がある。

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2008年09月10日

記録ということ

 部屋の中がめちゃくちゃになった。いよいよ大掃除をしなくてはならない。
 数年後には、映像メディア全体のハイビジョン化という事態が待ち受けている。
 映像作家というものをしているので、いろいろな映像のメディアが身辺に散らばっている。
 8ミリフィルム、16ミリフィルム、35ミリ写真のネガとプリント、オープンリールのビデオテープ、3/4インチUマチックのビデオテープ、VHSビデオテープ、8ミリビデオテープ、miniDVテープ、βマックスビデオテープ、βカムSP、レーザーディスク、DVD、時代の変化をとりあえず追いかけるようにしてきた結果、ゴミ御殿のようになってしまった。
 私のような個人で活動する映像作家にとって、自分の撮った映像は財産である。それが、いつまでも見れるように、必要なら編集できるように保存しておく必要がある。
 保存というと保守的な感じがして、それより新しい映像をもっともっと作りたいと思うのだが、記憶は大文字の歴史に対抗する根拠である。
 2011年のアナログ放送終了と映像メディア全体のハイビジョン化という事態を迎え、もう手を打たなければならない。


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2008年09月02日

ストリートビューの衝撃

 朝日新聞の朝刊に、グーグルの地図サービス「ストリートビュー」のことが載っていた。
 グーグルの地図検索で、地図や航空写真を見ることは多い。知らないところへ行くとき、航空写真を見ておくと、だいたいのその場所の雰囲気がつかめる。
 ストリートビューは8月から始まったサービスで、地図を表示したあと、ストリートビューという文字をクリックすると、路上から撮ったその場所の写真が映る。画面の中に表示される方角と矢印をクリックしたり、画面内をカーソルでドラッグすると、360度回転したり、位置を移動したり、拡大したりする。リアルタイムの映像ではなく撮影済みの写真である。
 記事によると、家の様子や通行人の顔、止まっている車のナンバーなどがわかり、プライバシーの侵害という批判もでているという。撮影は無許可であり、公道から撮ったものという建て前になっているが、公道と私道の区別がつきにくいため、私道から撮ったものも多々あるようだ。
 お恥ずかしい話だが、私はこのサービスをまったく知らなかった。そこでさっそく家の住所を入力、地図を検索しストリートビューの文字をクリックする。
 ありゃりゃりゃ、うちじゃん、あっお隣さんじゃん、これいつ撮ったんだ。しかも、画面内をカーソルでドラッグするとくるくる回転する。あ、加藤さん、あ、中村さん、ちょっとした散歩ができる。それにしても、物干しにお袋のパンツとか干してなくてよかった。
 特徴は人間の目の高さより少し高いところから撮影されていることだ。うちの、塀や門の上の面が見える。ということは塀から覗き込むように庭も少し見える。記事によると車の上にカメラを設置して撮ったという。
 撮影車両の写真も載っているが、乗用車の上に1メートルぐらいの高さの棒が立っていて、その上にカメラがついている。面白いのは写真のキャプションが「グーグルの撮影車両と思われる車=読者提供」とある点だ。つまりグーグルから提供された写真ではなく、逆無断撮影の可能性がある。怪しい車だから撮っておいたのかな。
 うちのあたりは住宅街で、道も細かく入り組んでおり、地図によっては道の表記を省略しているものもある。それが、何だか明るみにでてしまったようで複雑な気持だ。
 プライバシーの侵害という感じもするが、観光地や繁華街にある家などは雑誌やテレビに映る機会も多いだろう。ただ、地図とセットになっているので、ピンポイントで誰かの家を探そうと思えば可能である。
 個人情報保護法以来、団体の名簿というものの是非が議論されるようになって来た。母校の同窓会の幹事会でも名簿の取扱は議論になる。あまり神経質になるのもどうかと思うが、たとえば名簿が1冊あれば、そこに記載されている人がどんな住居に住んでいるかを、いながらにして「見る」ことができるのだ。
 その一方、道を歩きながら風景を撮り、なんらかの媒体に発表することができなくなったら、写真家や映像作家の表現はぐっと幅の狭いものになってしまう。
 それにしても、ネットの持つ破壊的なまでの力は、うちの前まで押し寄せてきている。プライバシーと表現の自由といった問題も、ネットの力によってこれまでとは違った局面を迎えているようだ。

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2008年07月18日

ユナボマーとその時代

 以前ユナボマーという、アメリカの爆弾魔に関連することを書いた。
 ユナボマーは18年に渡って、アメリカ各地で爆弾事件を起こした男である。本名ではなく、逮捕前の犯人像がまだ不明なときに、FBIが仮につけた名前である。本名はテッド・カジンスキーというかつて天才的な数学者と呼ばれた男で、逮捕時には山奥で隠者として生活していた。
 前回も書いたのだが、私がユナボマーに興味を持ったのは、1942年生まれで、1978年から1995年という犯行時期に引っかかるものを感じたからである。60年代の反乱の季節から遅れること10年、30代半ばのテッド・カジンスキーがなぜ爆弾テロに走ったのか。
 この事件があった時期がどんな時期だったかを再確認したくなり、『ユナボマー爆弾魔の狂気』(KKベストセラーズ)という本をもとに、ユナボマーとその時代の年表を作ってみた。あくまで私の興味を満たすためのものなので、他人には役に立たないだろうが、一応発表しておこう。
 太字がユナボマー事件の項目、それ以外の項目はさまざまな資料からなんとなくこの事件と併記してみたくなったものを、私見により抜き出しただけである。事件との直接の関係はない。

1977年9月28日 ダッカ事件。日本赤軍パリ発東京行き日航DC−8機をハイジャック。
1978年5月20日 新国際空港(成田)開港。
1978年5月26日 イリノイ大学駐車場に放置された小包発見。差出人として記入されていたノースウェスタン大学に返送され、爆発。大学警備員 テリー・マーカー負傷。
1979年1月13日 国公立大学初の共通一次試験実施。
1979年5月9日 ノースウェスタン工科大学技術研究所に仕掛けられた爆弾爆発。大学院生ジョン・ハリス負傷。
1979年7月11日 東名高速道路、日本坂トンネルで火災事故発生。死者7名。焼失車173台。
1979年11月15日 シカゴ発ワシントン行きアメリカン航空444便の貨物室で小包発火、緊急着陸。不発。12人手当て受ける。
1979年12月24日 ソ連、アフガニスタンへ侵攻。 
1980年5月18日 光州事件。韓国で民主化を要求する学生・市民と軍が衝突。
1980年6月10日 ユナイテッド航空社長バーシー・ウッドが、イリノイ州レイクフォレストの自宅に送られた小包爆弾で負傷。 
1980年9月22日 イラン・イラク戦争勃発。
1981年7月29日 ダイアナ、チャールズ皇太子と結婚。
1981年10月8日 ユタ大学(ソルトレイクシティー)で大学職員が爆弾発見、警察が処理。
1981年10月16日 北炭夕張新炭鉱ガス突出事故。死者93名。重軽傷者39名。
1982年2月9日 日航DC−8型機、羽田沖に墜落。原因は機長の逆噴射。
1982年4月2日 フォークランド紛争。アルゼンチン軍がフォークランド諸島へ侵攻。
1982年5月5日 ベンダービルト大学(テネシー州ナッシュビル)コンピュータ・サイエンス学部長宛に送られたパイプ爆弾が爆発。本人不在のため小包を開けた 秘書ジャネット・スミス負傷。
1982年7月2日 カリフォルニア大学バークレー校、ラウンジでパイプ爆弾が爆発。工学部ダイオグネス・アンジェラコス教授負傷。
1983年4月15日 東京ディズニーランド開園。
1984年7月28 ロサンゼルス・オリンピック大会開催。
1985年3月17日 科学万博つくば’85開催
1985年5月15日 カリフォルニア大学バークレー校、コンピュータ研究室に置かれた箱が爆発。大学院生ジョン・ハウザー負傷。 
1985年6月8日 神戸淡路島鳴門自動車道、大鳴門橋開通。
1985年6月13日 ボーイング社の組立部門に届いた小包が爆弾であると判明。爆弾特別部隊が処理。
1985年8月12日 日航ジャンボ機、御巣鷹山に墜落。死者520名、生存者4名。
1985年11月15日 ミシガン大学(ミシガン州アン・アーボー)心理学のジェームス・マコネール教授宛に送られた小包を、調査助手のニコラス・スイノが開け、爆発。軽傷。 
1985年11月29日 国鉄同時多発ゲリラ事件。
1985年12月11日 カリフォルニア州サクラメントでコンピュータ・レンタルショップの裏に放置してあったごみが爆発。ごみを片付けようとした経営者ヒュー・スクラットン即死。 
1986年4月26日 チェルノブイリ原子力発電所で爆発事故
1987年2月20日 ユタ州ソルトレイク・シティーで、コンピュータ・ショップの経営者ゲリー・ライトが駐車場におかれた爆弾につまづき爆破、負傷。はじめての目撃者あらわれる。 
1987年4月1日 国鉄分割民営化。
1987年11月29日 大韓航空機爆破事件。犯人、金賢姫。
1988年7月6日 リクルート疑惑発覚。
1989年1月7日 昭和天皇崩御。皇太子明仁親王即位。
1990年10月3日 東西ドイツ統一。
1991年1月17日 湾岸戦争勃発。多国籍軍、イラクを空爆。
1992年2月14日 佐川急便不正融資事件。渡辺前社長を逮捕。
1993年6月22日 カリフォルニア大学サンフランシスコ校の遺伝子学者チャールズ・エプスタイン、自宅に送られた小包爆弾が爆発し負傷。
1993年6月24日 エール大学(コネチカット州ニューヘブン)のコンピュータ・サイエンス学部長デビッド・ジェラーンターが、送られてきた小包爆弾を開け爆発。重傷。 
1993年8月9日 細川連立内閣誕生。
1994年6月27日 オウム真理教、松本サリン事件。
1994年9月4日 関西国際空港開港
1994年12月10日 ニュージャージー州ノース・コルドウェルの自宅にて、大手広告代理店ヤング&ルビカム社の事業部長トマス・モザー、小包を開封。爆破、即死。 
1995年1月17日 阪神淡路大震災
1995年3月20日 オウム真理教、地下鉄サリン事件
1995年4月24日 カリフォルニア州 森林協会のオフィスに送られた小包爆発。協会本部長ギルバート・マリー死亡。 1995年5月16日 オウム真理教教祖、浅原彰晃逮捕。
1995年6月28日 『サンフランシスコ・クロニクル』紙に6日以内にロサンゼルス空港発の航空機を爆破する予告がある。後日『ニューヨーク・タイムス』紙に「あれは冗談だ」という匿名の手紙届く。
1996年4月3日 ユナボマーことテッド・カジンスキー逮捕
1996年7月12日 堺市で、学校給食を感染経路とする、病原性大腸菌O157による集団食中毒発生。死者3名、患者数は9500名を越す。以後各地でも多発。
   
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2008年06月11日

『ザ・ネット』とユナボマー

 今年の「イメージフォーラムフェスティバル」で『ザ・ネット―ユナボマー、LSD、インターネット』というドイツのビデオ作品を見た。面白かったのだが、面白すぎて狐につままれたような気分になる作品だった。見終わったとき、私の眉毛には相当量の唾液が刷り込まれていた。
 ルッツ・ダムベック監督の115分の長編である。ユナボマーとは、1978年から1995年にかけて、アメリカ社会を震撼させた爆弾魔の仮称である。捜査中にFBIがつけた名前で、大学や航空会社を標的した事から、ユニバーシティのUN、エアラインのA、それに爆弾魔=ボンバーをあわせた造語である。
 18年間にわたり全米17ヵ所で死者3名、負傷者23名の爆弾事件をひきおこした。96年に逮捕された犯人は、テッド・カジンスキーという名の男だった。ハーバード大学を20歳で卒業する天才的な数学者だったが、大学助教授の職を捨て、山にこもり水道も電気もない隠遁生活をおくっていた。彼がニューヨーク・タイムスとワシントンポストに送った声明文では、反テクノロジー思想による犯行であることが明らかにされている。爆弾の送り先に政治的な標的はない。
 では、なぜそのような思想に至ったのか。
 ビデオでは、その動機を探る過程で、ユートピア思想、カウンターカルチャー、ヒッピームーブメント、アナキズム、テロリズム、テクノロジー、メディアアートそしてインターネットの歴史が絡みあって綴られていく。
 このアナロジーの巧みさと編集のテンポのよさで、それこそネットのようになんだかすべてが関連しているように思えてきて、だからどうなんだという気分にさせられる。そんな、時代の思潮のアナロジカルな織物より、テッド・カジンスキーという一人の男の存在のほうがはるかに不気味である。
 というわけで、『ユナボマー爆弾魔の狂気』(KKベストセラーズ)を読んだ。著者はタイム誌編集記者となっており、5人の名前がクレジットされている。
 私がユナボマーに興味を持ったのは、その犯行時期である。テッド・カジンスキーの生まれたのは1942年、日本でいえば団塊の世代より少し上だ。犯行が始まった1978年といえば、テッドはすでに36かそこらの歳である。また、いわゆる60年代のヒッピームーブメントに代表されるカウンターカルチャーのムーブメントはとっくに終わり、AORないしはその対極のパンクロック真っ盛り、日本では最近話題になったキャンディーズの解散があった年だ。時代の思潮とはちょっとずれている。
 最後の犯行は1995年、日本ではオウム真理教による地下鉄サリン事件のあった年、これは奇妙な符合だが、こじつけは避けよう。
 この本には、マスコミに送付した「産業社会とその未来」という声明文の全文が掲載されている。これを読めばあきらかなように、この事件は「理性による犯行」である。連合赤軍の同志殺しが「理性による犯行」であったように。ちなみに、連合赤軍の事件は1972年で60年代の延長腺上にある出来事だ。
 時間的ズレを考えると、時代の思潮の直接的な影響ではない、何か独特の思考のプロセルを経て犯行に至ったのだろう。しかも、ものすごく頭はいい。 
 1978年から1995年、奇妙な時代である。日本ではいわゆるバブル経済をいう時期を含む。この長きに渡って爆弾を作り送り続けたユナボマーについて、もう少し考えてみようと思っている。

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タグ:ユナボマー
posted by 黒川芳朱 at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | メディアとネットワーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月29日

日記と幻影

 先日のあがたさんや鈴木さんの映画を見て以来だろうか、日記鞄という言葉が頭に浮かび、ずっと離れない。なんだか分からないのだが、とにかく浮かんだのだ。 
 仕方がないので、自分で解釈してみよう。日記の詰まった鞄。あるいは日記が鞄になっている。それを持ち歩く。
 生まれてからその日までの日記が詰まった鞄を持ってあちこち旅をしながら移り住むような放浪の人生を想像してみる。たとえば、フーテンの寅さんは日記をつけていたのだろうか。つけていたとしても、それまでの生涯の日記すべてを持ち歩いてはいなかったろう。
 タオルやパンツや歯ブラシに混じって日記帳が入っている鞄は旅行鞄である。だが、私の頭の中にあるのは日記鞄なのだ。
机の上に目をやる。黒革のシステム手帳が目に入った。こいつが巨大化したら日記鞄になりそうだ。私は日記に関しては三日坊主をなんどもくりかえしている。だが、システム手帳はメモやスケジュールなどに愛用していて、毎日開き何か書き付けている。
 日記をつけることは長続きしないのに、日記という言葉は好きである。私的な記録というものには強く惹かれるのだろう。歴史は権力の物語であり、日記は個人の物語を記すものだから。生涯の日記を持って放浪する人生というのは、自己同一性の幻影かもしれない。
 でも、なんか重たいなあ。日記帳が重たいのではない。過去を背負っているようで、精神的に重ったるい。
 ブルルルル…、ブルルルル…、携帯がなっている。
 そうか、携帯だ!
 いまなら一生分の日記でも電子化してサーバーの中に保管しておける。携帯やパソコンがあれば、日記を持ち歩かなくとも、日々書き込み、必要に応じて読むことができる。持ち歩くのと同じことが、持ち歩かずにできるのだ。軽いじゃん。精神的にも。
 ブログと携帯電話やパソコンは仮想の日記鞄だ。
 だが、一つ心配がある。電子化されたデータは一瞬にして消えるかもしれない。
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posted by 黒川芳朱 at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | メディアとネットワーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月26日

コピー&ペーストの呪文

 今日もまた新聞ネタだが、金沢工業大学の教授が、「コピペ」を見抜くソフトを開発したという記事が朝日新聞の朝刊に載っていた。面白い。
 学生のレポートなどで、コピー&ペーストが横行し教育現場で問題になっているということは、以前にも新聞で話題になっていた。この教授も学生のレポートを読んでいて、2人の学生の文章が似ているのでネットで検索し、あるブログからのコピー&ペーストであることを発見したことから、このソフトの開発に乗り出したという。
 記事によると、「文章を単語や文節に分解」し、「ネット検索し」て出典を探し出すソフトだという。これはいわば、編集作業を逆に辿るわけで、そのプロセスを想像するだけで刺激的だ。安易なコピー&ペーストの発見にとどまるようなソフトであれば問題はない。うんと高度な脚色や編集作業によって作られた文章を、どこまで逆に辿ることができるだろうか。それができればできるほど、迷路に入り込んでいくような気がする。想像するだけでワクワクする。
 言葉を喋ったり書いたりすることは、100パーセントオリジナルということはありえない。単語や慣用句はもちろん、遠い記憶であっても誰かの言い回しやどこかで読んだ言い回しをコピー&ペーストしている可能性はある。完全に独創的な言語体系は誰にも通じない。
 これまで書かれた万巻の書物がすべてネット上にアップロードされていたとして、ある文章を入力するとそのルーツを探り始める。出てきた結果はその文章を書いた本人の、まったく覚えのないものかもしれない。
 このソフトを使って悪戯すると言語のマニエリスティックな時空間が広がってくるかもしれない。
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posted by 黒川芳朱 at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | メディアとネットワーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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