2009年10月29日

『この惑星』の記事がアップされた

 『この惑星』の連載『アーティスト・アイズ』の記事がアップされた。ぜひご笑覧ください。URLはhttp://www.konohoshi.jp/index.html
 今月は松本人志監督の『しんぼる』を取り上げた。『しんぼる』は封切られたときから取り上げようかと思っていたのだが、何回目に取り上げるかは少し悩んだ。
 『アーティスト・アイズ』はアート関係のイベントを取り上げることになっている。私の興味としては古典や近代ではなく、新しいものを取り上げたい。古典や近代芸術はわざわざ私が取り上げなくとも、ふさわしい研究者や評論家がいる。『アーティストアイズ』というタイトルのとおり、現役のアーティストが同時代のアーティストの作品を見て感じたことを書くというのがコンセプトだ。こういったコンセプトで書く以上、私としてはたとえ反発を感じたとしても何かを共有している感じが持てるものを取り上げたいのだ。
 『しんぼる』は絶対に取り上げようと思っていたのだが、一応アート情報ということになっているので、現代美術か実験映画かダンスか演劇を2、3本取上げた後に、と思っていた。ただし、封切りが終わってしまっては情報コーナーとしての役割を果たさないので、ギリギリ3回目かなと予定していた。
 今月取上げようかと思っていたのは森美術館で開かれている『アイ・ウェイウェイ展 ―何に因って?』だったのだが、いってみてがっかりした。2回目にして他人の批判を書いてもしょうがないので、他の対象を探すことにした。いろいろ探したがピンと来るものがなく、となれば2回目だが『しんぼる』しかない。
 このあたりが難しいところなのだが、レビューを書いて読者が見に行ける程度の期間開催されているイベントとなると、新しいといってもある程度評価の固定したアートが多くなる。『アイ・ウェイウェイ展』はまさにそのつまらなさが出ていた。こういってはわるいが欧米の美術市場の支配下にあるような印象だった。
 少し前に、対象を選ぶ苦労をこのブログに書いたが、ちょうど『アイ・ウェイウェイ展』を観たあとだった。あの記事を読み『この惑星』の大島編集長から、読者が見に行ける対象にこだわらなくてもいいという電話を貰った。だが、この基準によって生まれる苦労は現在のアートのいろいろな面を考えるきっかけとなるので、私自身は無駄な努力とは思っていない。
 ちょっと整理してみよう。

1.新しいアートを取上げる。
2.ファインアートを中心に取上げる。
3.可能な限り、レビューを読んだあと読者が鑑賞できる期間があるイベントを取上げる。

1の「新しい」ということに関して言えば、作られた時代が古いもの、現在生きていても近代に分類されるアーティストの作品は避ける。問題は現在活躍中のアーティストであれば新しいわけではないのだが、その基準となると私の主観となる。つまり、この選定では私の見方が問われることになる。
2のファインアートということは、実はかなりやっかいだ。最近の現代美術はサブカルチャーのお尻を追っかけているところがある。また、fine(品質の優れた、純粋な、技術の優れた)という言葉は近・現代の芸術運動の標的でもあった。ファインアートという言葉自体かなり曖昧であり、その言葉で芸術の本質が衝けるのかという問題がある。それでいながら、欧米ならきちんと市場がある。つまり、ファインアートを中心にといった基準を立てるということは、ファインアートとは何か、それに意味があるのか、それを否定したら何が本質的に重要なことなのか、という堂々巡りの問いを抱え込んで執筆を続けるということになる。
3期間の問題は現在のアートの制度をかなりはっきりと映し出す。評価、興行、観客の問題、会場の問題などなど。

 この3つの基準は時々破りながらも、一応守って行こうと思う。守ることで、現在のアートシーンのいろいろな問題がが浮かび上がってくる。そうしたら、このブログに書いていくつもりだ。 
posted by 黒川芳朱 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | この惑星 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月10日

『この惑星』でリアルを探して

 『この惑星』のアーティスト・アイズで取り上げるイベントを探して美術館めぐり。なかなかピンと来るものがない。今、この惑星にはリアルが不足しているのか、なんてね。
 そもそもこのレビューにはちょっとした条件がある。だいたい記事は月末24日ごろにアップされる。それを読んで読者が見に行こうと思えば行けるイベントが好ましい、というのがこのWebマガジンを主催している大島氏からの要望だ。まあ、例外はあってもいいのだが、まだ連載2回目なのでもう少しは原則を守ろうと思う。
 で、24日に読んで、その後1週間ほど行われているイベントとなるとかなり限られてくる。何しろ原稿を書く時間もあるので、24日をはさみ2週間ぐらいは開催されていなければならない。となると大きめの美術展か、映画といったところだ。ダンス、演劇、音楽ライブなどでその条件に合うものはなかなかない。映像も実験映画や自主上映はむずかしく一般劇場公開ものになる。
 できるだけ真新しい表現を探したいのだが、この条件に合うとなるとある程度評価が固まったものにならざるをえない。その中で、比較的新しいものということだ。ただ、何回かに1回は条件を外れても真新しいものを取り上げようと思う。
 さて、今日見たものがいまいちだったので、どうするかなあ。 
posted by 黒川芳朱 at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | この惑星 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月24日

『この惑星』の連載が始まる

 『この惑星』というWebマガジンでイベント・レビューの連載を始めるという予告は数日前からしてきた。
 いよいよ今日から掲載される。タイトルは「アーティストアイズ」。映像、映画、美術、音楽、演劇、取り上げるイベントのジャンルは自由でいいという。月に一回の連載、私自身楽しみにしている。次は何を取り上げようか。批評家やキュレーターや研究者の視点ではなく、アーティストが同時代のアートを語る。この運動感を重視していきたい。運動、ムーブメントという言葉は隔世の感がある。だが、私がアートに関わっているときは常に、綱領も無く形にならないムーブメントに参加しているという意識でやってきた。
 そもそも近代の芸術運動は、批評と表現がともにあった。多くの場合そこに宣言文=マニフェスト(ああこのコトバ使いたくねー)も加わるが。現在、芸術に関して宣言文を書くようなひとつの方向性は見出すことが非常に難しい。だが、近代以前のように、芸術のあり方がかなりはっきりした形で社会に根付いている時代でもない。むしろ、宣言文も書きにくいくらいばらばらな試みが、あちこちで行われているといってもいいだろう。
 こういう時代こそ、表現と批評がともになければならない。あちこちで行われているばらばらな試みに何か共通性を見出したり、似ているような事象の中に相違点を見出したりしながら、アートが何を孕んでいるのかを探して行きたい。表現と言葉をたずさえて、見えないムーブメントに参加しよう。
 この文中の『この惑星』という文字ををクリックすればそのページに飛びます。ぜひご一読ください。
posted by 黒川芳朱 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | この惑星 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月16日

『メカスの映画日記』を読みながら

 『この惑星』というWebマガジンにイベント情報を書くことになった。映像、映画、美術、音楽、演劇ジャンルを固定せず、自由に書いていいという。書くに当たって念頭にあるのは、いまリアルなものとは何かということだ。写実ということではなく、いまというものをヒリヒリ感じられるかということに重点を置いて書いていきたい。
 そんなこともあって、ジョナス・メカスの『メカスの映画日記』を本棚から引っ張り出しペラペラめくってみる。この本は、メカスが『ヴィレッジ・ボイス』に書いた「ムーヴィ・ジャーナル」というコラムをまとめた本だが、そこには新しい映画を求めるメカスの初々しく痛切な気落ちが刻み付けられている。
 1959年、今から50年前、メカスはこう記している。
 「われわれは、たとえ完璧ではなくとも、より自由な映画を求めている。―古い世代には望むべくもないが―若い映画作家だけでも荒々しく、アナーキーに自分の殻を打ち破り、真に脱皮していけばよいのだ! 形式的な映画感覚を完全に錯乱させる以外には、、この凍てついた映画制度を破壊する道はない」。
 この、新しい映画への激しい希求の骨格をなしているのは、こんな言葉だ。
 「私は地方主義者だ。それがありのままの私だ。私は常にどこかの場所に所属している。どこへでもいいから私を置き去りにしてみたまえ。渇いた、生き物などまったくいない、死に絶えた、そこで暮らしたいと思う人など一人としていないような不毛の土地に―私はそこで育ち始め、瑞々しくふくらむだろう」。
 メカスはリトアニアからの移民だ。アメリカに生まれ育った人ではない。その彼が自分は地方主義者だと宣言している。地方とは自分自身がいる場所のことだ。自分自身のいる場所で生きることで、はじめて世界にも働きかけることができる。「私には、いまとここしかない」とも書いている。
 メカスは単に新規な映画を求めているのではなく、いまここに生きることと密接につながったものとして新しい映画を求め、その結果、自分自身も映画を作ることに向かった。
 メカスがこれを書き出した50年前と違い、新しさはそこかしこに溢れているようだ。新しいことはやりつくされ、もはや表現の飽和状態だという人もいる。本当にそうだろうか。50年前であってももうすべてがやりつくされた感はあったはずだ。私たちは毎日新しく生まれ変わっている。だとしたら、そんな私たちにとってリアルの表現は日々新たに作りださなければなるまい。
 いま、新しい表現を求めるとき、やはり私も私の立ち位置からしか出発できないし、すべきでもないだろう。
 イベント情報の連載が始まったらこのブログで通知します。ぜひお読みください。
posted by 黒川芳朱 at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | この惑星 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月29日

ぴあを買ってみた

 ひさびさに『ぴあ』を買ってみた。
 『この惑星』というWebマガジンに、毎月イベントレヴューを書く事になった。引き受けたはいいが、このところ出不精になっている上に、持病の金欠病が悪化して、あまり映画も展覧会も芝居もコンサートも行っていない。友人知人の画廊での個展や踊りやライブ程度で、チケットを予約していくようなものにはほとんど行っていない。そこで、『ぴあ』でも買っていろいろ見に行くものを探そうと思ったのだ。
 この夏に行ったそれらしいイベントといえば『山下洋輔トリオ復活祭』ぐらいだ。これは歴史をライブで目撃する、耳で確かめるという貴重な体験だった。しかも、本人たちが年をとっていたり、死んで代役を立てたりと二重三重の意味で歴史性が絡み、複雑な味わいに満ちた
コンサートだった。
 イベントレヴューを引き受けたのはアーティストが見たイベント評という依頼だったためだ。可能な限り、今アートの現場で何が起きているかといった視点で書こうと思う。そのためには、新しい今を感じさせるものを取り上げよう。
 というわけで『ぴあ』を見っているのだが、まだ勘が戻ってこない。
posted by 黒川芳朱 at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | この惑星 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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